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麻酔 |
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2005年8月19日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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前号で書いた通り、ひさびさの「サラリーマン生活」を体験して、すっかり忘れていた2つの感覚を思い出した。
ひとつは、仕事が一段落したあと、職場のかたすみで始まる、乾きものをつまみにしたビールの酒盛りだ。23年勤めた共同通信を辞めたあと、しばらくのあいだ、ときどき夢に出てきたのは、はなばなしいニュースの取材現場などではなく、宿泊勤務のこの酒盛り風景だった。仲間たちと馬鹿話をしながら笑い合っている夢をみたあと、ふと目が覚め、しばし暗闇のなかで一種さびしい感覚に襲われたものだ。
いまから思うと、そういう夢をみたときというのは、自分が作ったばかりの会社の資金繰りで頭を悩ましているときとか、事業の将来に不安を感じていたりとか、つまり駆け出しの経営者としてうんうんと呻くような時間を送っていたときと一致するような気がする。「安定した有名企業にいながらなぜ俺は好き好んで険しい道を選んでしまったのか」と、いまだからこそ言えるが、悶々としていた時期があった。寝室の暗い天井を見上げながら、背筋がぞくぞくと冷えわたる感覚をなんど味わったことだろう。
その後10数年、そんな夢をみたことさえ忘れていたが、「新職場」の酒盛り風景をみて、ふと既視感のようなものに襲われた。とても不思議な感覚だったが、失くしたと思っていたもの、忘れていた時間がとつぜん眼の前に忽然と現れた、と表現したらいいのか。場所はニュース取材職場の片隅のソファー、大きなガラス窓の外には都会の夜景、そして仲間たちと交わされる会話は、主にその日に自分たちが取材した出来事、体験などなど、おどろくほど似ていた。
あーこのひと時の時間。自分はやはりニュースマンだったんだな、という感傷というか、懐しさというか、不思議な感覚にしばし浸った。違うのは、昔の職場が4階だったのに対し、新しい職場は地上38階。夜景のダイナミックさでは、圧倒的にこちらが上だ。もっとも以前の職場はその後、汐留の高層ビルに引っ越したので、もしかつての仲間たちが、いまも同じように深夜の酒盛りをしているとしたら、僕と同じように、高層ビルが乱立するダイナミックな東京の夜景を見ているに違いない。
もうひとつは給料日だ。勤務開始から25日目、事務スタッフに給与明細を渡された。そこに記載された金額が銀行の口座に振り込まれている、という。当たり前じゃないか、と笑われそうだが、自分の月給が、決まった日に自動的に銀行口座に振り込まれる、という感覚をしばし忘れていた。
零細企業の社長は月末になると、社員の給料その他さまざまな支払いをすませたあと、「さあて、今月はいくらいただけるもんだか」と自分の給料を決める。いただける給料があるときはまだいいが、ゼロの月もあれば、経理処理上いっかい月給をもらったかたちにして、それをそのまま会社に貸し付けることだってある。つまりゼロを通り越してマイナスの月だってあるわけだ。自分で起業したひとならこんな経験は一度や二度ではないだろう。だから月給がある日とつぜんぽかんと振り込まれている、という現実に思わずぽかんとしてしまったわけだ。
「月給というのは麻酔のようなものなんです」―大きな会社を辞め、いまは自由に自分のしたいことだけやって生きているという、親しい知人にこの話をしたところ、あっさりと言った。「もらえなくなって初めて分かる」という意味では月給というやつはまさに麻酔だ。僕の場合は禁断症状が長く続くあいだに、その痛みにすっかり慣れてしまっていたのだろう。その分、ひさびさの麻酔の効力は絶大だった。
2つの体験を通して、僕は「組織」が人間にとっていかに居心地のよい空間なのかということを思い知った。そして「組織」を離れるということは、いやかなり大変なことなのだ、ということを改めてかみしめたわけだ。そこでふと気がつく。世の中がこれだけ独立だ起業だと騒いでいても、大多数のサラリーマンは組織を離れようとしない。麻薬が切れたあとの痛みがどんなものか、皆さんきっちりと計算できているんだなあ、と馬鹿なことをしみじみとおもった。
さて、せっかく居心地のよい「組織」をふたたび手に入れたというのに、ぼくはそこをわずか1ヶ月で去った。その経過説明がなんとなくうっとおしくて、このエッセイ5ヶ月も書けない、という恥ずかしい事態になってしまった。
原因は簡単なことなのだ。昨年秋から今年2月までの激務ですっかり眼をやられてしまった。両眼がお岩さんのように腫れ上がってしまったが、プロジェクトの最終段階を控え、1日15時間もモニターのうえの細かい文字列を見続けるという状態が数ヶ月続いた結果、左目の視力が一部回復不能状態になるほど悪化してしまった。これが「再就職」の時期と一致した。
となると、サラリーマンと会社経営という二足のワラジはもうはけない。さて麻酔を選ぶか、それとも再び麻酔ナシの日々に舞いもどるか。
僕は少し迷ったあと後者を選んだ。自分という人間は、やはり自分でつくったみこしを担ぎたいタイプの人間なのだ。麻酔なしの道を選んだいじょう、また痛みに耐えつつ前に進んでいくしかないだろう。
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