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僕の偏見紀行
237 マカオ(2)タイパ村そしてコロアネ村へ
2018年4月26日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ ザビエル記念教会。信者でもない僕が勇気づけられた言葉。
▲ コロアネ村の民家。少し色あせたところがいい。
▲ タイパ村の路地を歩く。
僕は知らなかったが、かつてマカオは中国大陸の半島部と、二つの島から成り立っていた。今ではそのタイパ島とコロアネ島は、島の間が埋め立てられ半島より大きな一つの島になった。そして島と旧市街のある半島部は3本の大橋で結ばれている。

この埋め立ては、住む土地を広げたいというマカオの切実な願いの表れだろう。それは半島部の旧市街を歩けばよく分かる。そこは土地が狭く、急斜面にまでビルが林立し、新たな建設の余地は少ない。

現在も島の沿岸部は高層マンションやカジノリゾートの建設が続いている。僕は大橋を渡るたびに、マカオのあくなき膨張エネルギーを見る思いがした。そのためか、マカオの海はかつて沢木耕太郎が見た「グリーン、それも翡翠のような重く沈んだ緑色」ではなく、泥が溶けた薄い茶色だった。

半島とつながるまでは、タイパもコロアネも田舎の漁村だった。タイパは高層マンションや空港が建設されているが、かつては半島に住むポルトガル人の別荘地だった。今もその名残りが残っている。二つの島の間を埋め立てたコタイ地区は有名なカジノホテルがたくさん建設され、世界中からたくさんの観光客が押し寄せている。

コロアネは開発の手があまり入らず、昔ながらの魚村だという。僕らはマカオ散策ではこれらの村を訪ね、今も残るというポルトガルの面影を探しに行くことにした。

しかし、その前に埋め立地の豪華カジノホテル群も気になっていた。到着した次の日、そこへタクシーで向かった。マカオはバス路線が充実しており、たくさんのバスが走っている。しかしバス停の路線図を見ただけでは乗り方が理解できなかった。そのためとりあえずコタイ地区へはタクシーで行った。

カジノホテルはいくつもあったが、まず一番目立つヴェネチアン・マカオに行った。ラスベガスのサンズ社経営のこのホテル、さすがにでかくて豪華絢爛、いたるところ金ぴかだった。

ホテルの入り口から人が溢れ、ロビーの中は満員電車並みの混雑だった。これだけの人がいるが、多分大半は、僕らも含めてただの見物客だろう。いったいどれほどの人が実際にカジノで勝負するのだろう。

ロビーには巨大なオブジェが置かれ、その天井には鮮やかな色彩の絵画が描かれている。その下を人の波がぞくぞくとショッピングモールやカジノへ向かっていた。しかしこの華やかさ、どこか薄っぺらい印象で、現実味が乏しい。

しかしさすがにここのカジノはでかかった、世界一らしい。ごつい警備の黒服の前を通り抜けると巨大な空間が広がり、そこには無数のカジノのテーブルが並んでいた。

このカジノ、単にでかいだけではなかった。テーブルに示されたレートが凄い、1回の賭金は最低300パタカから上は1万パタカまでだ。1パタカ約15円として、なんと一勝負が最低4500円からだ。

ほんの一瞬の勝負に4500円か、なるほどこれがカジノなのか。しかし遠くのテーブルがかすむほど広いこのカジノで、一体どれだけの人が賭け事に群がっているのか。しかも奥の階段を上った階も同じようなカジノなのだ。ここでは僕のような小心な人間には気の遠くなるような巨額のカネが動き回っているだろう。

70数年生きて初めて見たカジノの迫力に僕らは圧倒され、少し頭を冷やそうとカジノを出た。ショッピングモールへ行ったが、いろんな店がある割には大したものがない。

マカオ名物のクッキー店、ブティックなどが並んでいる先に「ベニスの運河」があった。水たまりほどの青い水辺にゴンドラが繋がれ、粋ないでたちの船頭が立っている。船頭が粋な姿をしているのがかえってわびしかった。

次の日、僕らはホテルそばのバスセンターで路線や料金を調べた。案内板はポルトガル語の地名を漢字で表記してあり、どう読んだらいいのか見当もつかない文字が並んでいた。

しかしなんも繰り返してガイドブックと案内板を見て回った結果、大まかな見当がつくようになった。マカオのバスは路線がたくさんあり、走るバスの数も多いので、利用方法が分かると便利だった。その後旧市街を歩いた時もバスをよく利用した。

僕らはまずバスでタイパ村へ行くことにした。下調べをしたので僕らはスムーズにタイパ行のバスに乗ることができた。乗ってわかったが、運転はかなり乱暴だった。乗車口でもたついているといきなり急発進し、狭い通りを猛スピードで走った。

路線が充実し手軽で便利な交通手段ではあるが、あまり親切とはいえない。路線ごとに定額の料金は乗車時に料金箱へ入れるが、お釣りは出ない。このシステムでは終点まで行っても途中で降りても同額なので分かりやすい一方不公平な気もした。

旧市街で乗った時、料金を確認しないまま乗り込んだ。適当に小銭を放り込んだら、普段は不愛想でそっぽを向いている運転手が僕をにらんで、足りない、と言う。料金箱に入れた金額が運転席に表示されるらしい。効率優先で便利なバスだが疲れるバスだ。

タイパ村へはあっという間に到着した。何の変哲もないのどかな街並みがそこにはあった。未だ朝早いのに観光客が多い。路地を歩いてみると、古い造りの木造家屋が多く、少し色あせたパステルカラーの壁が旧市街とは違う雰囲気を醸し出していた。これがポルトガル風なんだろうか。

ブラブラ歩いても30分足らずで村を一周できる。最近注目されだした人気スポットだが、未だ観光地としては未整備で、わずかに土産物や、カフェ、食堂が点在するのみ。ベネチアンカジノリゾート等があるコタイ地区とはあるいて行ける距離にあり、そちらからここへ流れてくる観光客も多い。

有名な餅屋の2大チェーンの支店が賑わっていた。ここでいう餅屋とは、クッキー菓子店のことで、元来ポルトガルの素朴な焼き菓子が中国伝統菓子と出会ってできたクッキーを製造販売している。口に入れるとホロホロと柔らかく崩れ、やさしい甘みと香ばしい香りが広がる。我が家も後日旧市街の本店に行ってお土産としてこのクッキーを買い込んだ。

路地の一角にカフェなのか食堂なのかよく分からない店があって若いカップルで賑わっていた。僕らも小腹が空いたので入ってみると、お菓子なのかスナックなのか見当がつかないものを売っている。適当に注文したが、運ばれてきたものを見てもよく分からぬ代物だ。

スープに浸された丸い団子がが大きめの紙コップに入っている。薄茶色をしており、果たして何だろう。口に入れてかみついてみたら、それはかまぼこのような味と食感だった。あるいは団子状のさつま揚げ、か。スープは出汁のきいた薄味、コンソメ風。ポルトガルの伝統家庭料理というが、あまり旨いものではない。

コロアネ村へは後日別の日に出かけた。タイパより遠かったが、バスは30分ほどでコロアネ村へ到着した。そこは海沿いの小さな漁村だった。バス停のすぐそばに、マカオ名物エッグタルト発祥の菓子店があった。木造平屋の簡素な店だが、朝から客が集まってくるという。僕らが着いた時もすでに海外からのグループ客で店内は混雑していた。

僕らも早速一つずつ購入、歩きながら食べてみた。ごく普通のタルト生地ベースに目玉焼きの黄身がのっている。口に含むとタルト生地のカリカリ感とタマゴの柔らかな食感が一体となって美味しい。あまり甘くはなく、昔ながらの素朴な味がした。ただ、大騒ぎして買いに来るほどのことは無いように思う。

コロアネはタイパと比べて一段と静かでのどかだった。島の外れになるので車の往来も少ない。海岸に沿って遊歩道を歩くと対岸は中国の街並みが手の届きそうな近くに見えていた。村はずれに中国行きフェリーの桟橋があり、その傍らに小さな木造の税関事務所がひっそりと立っていた。

村内の路地を歩いた。古びた木造家屋が並び、家の前の植栽には南国特有の濃い緑の葉と鮮やかな色彩の花々が咲いていた。建物の色あせたパステルカラーを背景に花の色が鮮やかだった。

路地の曲がり角の塀に町名を示す白いプレートがあった。見るとそこには黒い文字で「情人街・AZINHAGA DOS AMORES」とある。これはちょっと色っぽいなあ、一体どんな事情があってこんな名前がついたのだろう。

村の中ほどに小さな教会があった。マカオを拠点に東アジアへのキリスト教伝道に生涯をかけたフランシスコ・ザビエルを記念した教会だ。それは、彼の苦労と功績を考えると意外なほど小さく簡素な教会だった。

教会の中もいたって簡素な造りだった。小さなマリア像やキリスト像が正面に安置され、キリスト教の歴史を刻んだ木版が壁に飾られていた。飾り気のない簡素な教会だが、そのことがかえってキリストの目指した世界を思わせ、異教徒の僕にも静かな感動を与えてくれた。

教会入り口のガラス扉にあった言葉もそうだ。そこには

「Go out to the whole world and proclaim」

とあった。

「国を出で、世界のあらゆるところへ赴け、そして告げよ、神の教えを」

この言葉、帰国して改めて撮った写真を見て気づいたが、もしかしたらもっと続きがあったのではないか。ガラス扉の前に立て看板があって、下の方が隠れていたのだ。しかし今となっては僕には確認のしようがない。文章の大意としては大きく違わないのでは、と僕は勝手に思っている。

読むたびに心が励まされ、勇気づけられる言葉ではないか、僕はこの言葉を、そう解釈し感動した。若きザビエル達もこの言葉に背中を押され、勇躍アジアを目指したに違いない。その当時、ポルトガルにからアジアへ向かうことは、この世の果てまで行くようなものだったに違いない。(続く)
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83 シルクロードの旅(6)国境越え
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81 シルクロードの旅(4)ブハラへの道
80 シルクロードの旅(3)アレキサンダー大王が来た街
79 シルクロードの旅(2)青の都サマルカンド
78 シルクロードの旅(1)タシュケント到着
77 小笠原の旅(7)惜別
76 小笠原の旅(6)小笠原海洋センター
75 小笠原の旅(5)母島列島
74 小笠原の旅(4)宝石の島、南島
73 小笠原の旅(3)ザトウクジラの海
72 小笠原の旅(2)BONIN ISLANDS
71 小笠原の旅(1)波路はるかに
70 インド紀行(7)タージ・マハルの光と影
69 インド紀行(6)ガンジス川の夜明け
68 インド紀行(5)夜行寝台「ハウラー・カルカ・メイル・2311号」
67 インド紀行(4)ダージリン滞在
66 インド紀行(3)ダージリンへの道
65 インド紀行(2)コルカタにて
64 インド紀行(1)遠かったインド
63 暮れの浅草昼酒
62 雨の東北、芭蕉と紅葉旅
61 南会津の旅◆扮の尾瀬沼)
60 南会津の旅 弁愡浚村)
59 奥日光戦場ヶ原
58 スコットランド紀行(5)いくつかの思い出
57 スコットランド紀行(4)偉大なり、ピーター・ラビット
56 スコットランド紀行(3)ネス湖からスカイ島へ
55 スコットランド紀行(2)ウォールフラワー
54 スコットランド紀行(1)エジンバラ大学でお茶を
53 風に吹かれて八丈島(3)
52 風に吹かれて八丈島(2)
51 風に吹かれて八丈島(1)
50 イリオモテヤマネコに逢いたくて(4)
49 イリオモテヤマネコに逢いたくて(3)
48 イリオモテヤマネコに逢いたくて(2)
47 イリオモテヤマネコに逢いたくて(1)
46 秋空の下、いくつかの再会
45 白神の森の宝
44 挑戦!乗鞍岳
43 北東北ローカル線の旅 (4)津軽じょんがらの夜はふけて
42 北東北ローカル線の旅(3) 雨の下北恐山
41 北東北ローカル線の旅(2) うみねこレール
40 北東北ローカル線の旅(1) 春のうららのドリームライン
39 50年の時を超えて
38 知床の秋(2)、ウトロにて
37 知床の秋(1)、鮭遡上
36 風に吹かれて尾瀬ケ原
35 白神山地「ブナの学校」
34 初夏の山形、サクランボとそばの旅
33 ハワイ島滞在記(2)
32 ハワイ島滞在記(1)
31 春の予感、鹿沢(かざわ)高原にて
30 嗚呼!還暦大同窓会
29 年の暮れ、奥那須で想う
28 ラムネの湯「長湯温泉」はいいぞ
27 また「再会の時」道後温泉にて
26 大自然の力、姥湯温泉
25 知床の青いそら、光と風 その
24 知床の青いそら、光と風
23 春の東北ローカル線の旅
22 春の東北ローカル線の旅
21 春の東北ローカル線の旅
20 上海点描
19 やさしかったチェジュの人たち
18 さらば、災の年よ。
17 僕たちのセンチメンタルジャーニー
16 台風を避けて信州へ
15 青島印象記
14 よるべない孤独にみちた宿
13 海があまりに碧いのです
12 安曇野の光と水、そして高瀬川渓谷葛温泉
11 鞍馬山の向こうへ、大悲山峰定寺
10 雪の会津鉄道トロッコ列車の旅
9 初春初旅救急車
8 年の暮れ、峩々温泉再訪記
7 東北紅葉旅峩々温泉
6 蔦温泉、蔦沼、ブナの森
5 雨の幕川温泉再訪記
4 憧れのフルム-ン法師の湯
3 信州塩田平別所温泉
2 信州信濃路
1 東北紅葉雪見風呂
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