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僕の偏見紀行
172 越南二人旅(6)東アジアのラテン語
2014年4月2日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ フエの宮殿跡、回廊の修復作業。気の遠くなるような作業が続く。あちこちでこんな光景が見られた。
▲ 宮殿裏手、残された礎石を隠して生い茂る雑草の向こうに回廊が見えている。そこで「ベトナム教育システム展」が開催中だった。科挙合格者の石碑からとった拓本の掛け軸が延々と並んでいる。
▲ 科挙合格者名を刻んだ石碑の拓本。一瞬ここがベトナムであることを忘れる。
宮殿見学の朝、どうやって行くか少々迷った。歩けないことはないが、ホテルから30分以上かかる。言葉の通じないシクロは料金交渉がしんどい。それにしてもこんなことでグズグズするとは、歳のせいかな。

結局タクシーにした。2年前と比べてタクシーの数が増えている。流しのタクシーも時々見かける。歳相応の楽をしてもいいだろう、家内もいることだし。

客待ちをしているシクロを見ないようにしてホテルを出る。通りの反対側に立って空車を探した。待つこと暫し、1台の空車が来た。乗り込んでメーターでと頼む、ドライバーは当たり前のようにうなづいて宮殿へ向かった。

未だ流しの数は少ないが、フエのタクシーに何の問題も無かった。到着してメーターの金額を支払う。シクロとあまり変わらないし、ドライバーもホーチミンより素朴な感じで安心だった。2年前とはずい分変わったようだ。その頃はフエ駅前広場には仕切り屋みたいな男がいて、そいつがドライバーに代わって法外な値段を吹っかけた。メーターは付いていても使用することは無かった。

宮殿入り口あたりは改装中だった。王宮門のまわりも囲いでおおわれ全容が見えない。入門して堀を渡ると正面に見えるのは太和殿だ。紫禁城を模して造られたというが規模は小さい。ベトナム戦で破壊されたが再建された。

宮殿跡を歩くとまるでと中国のような錯覚にとらわれる。建物、庭園、植木、あちこち配置された鼎や磁器の壷は中国そのものだ。フエの街は宮殿の外と全く異なる世界が広がっている。僕にはよく識別できないが、韓国ソウルの宮殿とも似ている。

とある建物で人だかりがしていた。中へ入ると皇帝の玉座の周りで中国人らしいグループがはしゃいでいる。玉座には絢爛豪華な装束をまとった女が皇后に扮して喜んでいる。周囲はそれをカメラで撮り大騒ぎだ。

ベトナムに来ると中国文化の影響を強く感じる。フエ王朝時代の文物や建築物にそれは顕著だ。中国人観光客はそれを見てどう感じ、どう思うのだろうか。自国文化の誇りか、他国を支配した自責の念か。多分それは後者ではないだろう。そしてそれはアジアに同様の影響を与えた欧米諸国も同じことだろう。

広大な宮殿は修復されたのはほんの一部で、歩いていると回廊や建物のあちこちで改修作業の人影が見える。敷地の後方は大半が礎石と壊れた石垣が残り、雑草が生い茂るのみだ。僕らはこの放置されたままの荒れた草地をゆっくり歩き回った。広大な宮殿の荒れ果てた跡地に人の世の儚さと無常を思った。

残された回廊の一角に立て看板が出され展示物が並んでいた。近寄ると「ベトナム教育システム展」とある。展示された掛け軸状の資料を見ると、どうやら古い石碑の拓本のようだ。

この掛け軸は長い回廊の端まで数十枚は展示されている。読んでみるとどうやら科挙の合格発表のようだ。「第一甲進士合格・・・・」と合格者の出身地・姓名が刻まれている。勿論全て漢字表記、一瞬ここは中国か、とまたもや錯覚しそうになる。

ベトナムでは科挙制度も導入されていたのだ。合格者を石碑に刻んでその栄誉を末代まで称えるとは、科挙に合格するとはそれほど名誉なことだった。合格者は第一甲から三甲まであるが第一甲の合格者は少なく、該当者無しの年もあった。

科挙制度は朝鮮王朝でも導入されていた。同じく合格すると、政府高官への道が開けた。周辺諸国まで広がったこの制度はよほど優れていたのだろう。本家の中国でも漢民族だけでなく、元や清など異なる民族が覇権を握っても、その統治を支えるシステムとして機能した。

同時に漢字という優れた文字も諸国へ大きな影響を与えた。勿論わが国もその一つだが、漢字とともに様々な文化・知識が大陸から伝来した。かな文字という漢字から派生した文字ができたもののわが国独自の文字は残念ながら無い。

この漢字を使うことのメリットも大きい。中国の影響下にあった国々では今でも漢字で筆談が可能だ。ベトナムでは機会が無かったが、韓国・中国で漢字による筆談が僕にも可能だった。先日新聞のコラムで、漢文は東アジアにおけるラテン語、というのを読んだが、まことにその通りだと思う。

歩きつかれて裏手の和平門を出ると左手高台に宮殿の一部だったと思しい高楼にカフェがあった。お茶を飲んで一休み、堀を渡って吹いてくる風が涼しい。宮殿裏手は旧市街の民家が連なっている。

堀の向こうの家並をよく見ていて気づいて驚いた。お堀端に並ぶ店舗数十軒全てがバイク屋だった。店頭にギッシリとバイクが並ぶ店が延々と続き、荒廃した宮殿跡と不思議な対比を見せていた。

夕食後ホテル付近を散歩した。あてもなく歩きながら雑貨屋、食堂、カフェなどをひやかすのは旅の楽しみのひとつだ。大通りへ出る角で家内が突然何かを発見、よく見ると布製の小物入れや壁掛けの店のようだ。面白そうなので狭い店内へ入る。

伝統的な図柄の壁掛けやテーブルクロス、バッグ類が並んでいる。いずれも落ち着いた素朴な色調が美しく、地味だが面白い。リビングの壁飾りやテーブルセンターとして良さそうだ。気に入ったのか、家内は目を輝かせてあれこれ品定めを始めた。

我が家と息子達にと数点を選び店員の少女に値段を尋ねた。しかし彼女は困った顔つきで首を横に振り、カタログを開いてその商品のところを差し出した。彼女は聴覚に障害があり喋れない様だ。気づかなくて悪いことをした。

店内に展示された案内によると、市内の別の場所に障害を持つ若い人たちが働く工房があり、その製品をここで売っているのだった。支払いを済ますと少女は満面の笑みを浮かべながら何度もうなづき、搾り出すような声で短い言葉を発した。きっとお礼をいってくれたのだろう、僕は柄にもなく胸が一杯になった。

それにしても我がツレアイは、通りすがりによくこんな小さな店を発見したものだ。地味な構えで、通りからはわずかに壁に展示された壁掛けが見えるだけなのに、さすがお土産探しの名人だ。

気に入った家内は滞在中何度もここに通っていろいろ買い込んだ。ある時、ひとりの若者が店番をしていた。彼は当初僕らが来た事に気づかず、レジの前に座り一心に何か見つめていた。

見ると彼の目の前にはスマホがあり、その小さな画面の向こうでは可愛い赤ちゃんを抱いた若い女性が微笑んでいる。彼はスカイプで家族と言葉不要の対話中だった。時おり彼は赤ちゃんをあやすような仕草もした。僕は邪魔しないようそこを離れた。(続く)
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