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107 秋艸道人
2010年1月31日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。









































秋艸道人 (しゅうそうどうじん)


「艸」などという文字を見せられても、なんのことやら・・・という反応はごく当たり前だと思います。もしかしたら、「草」とか、「くさかんむり」と何か関係があるのかな、と思ってくださった方は、もう上出来です。実はこの一文を書いている私もよく知らないのですが、昔どこかで見たことのある、俳人・松尾芭蕉の句に、

春雨や蓬をのばす艸の道 (はるさめや よもぎをのばす くさのみち)

というのがありましたので、きっと草のことなのだろうと思っているわけです。漢和辞典を見ましたら、この字は、「2本の草の芽が並んで生えているさまを描いた象形文字。雑然と生える草のことで、意味は草とまったく同じ。」とありました。やっぱり草のことだったのです。

ところでこの 「秋艸道人(しゅうそうどうじん)」 とは、美術史研究者、歌人、書家、等々であった、會津八一 (あいづ やいち 1881 〜 1956) 氏の雅号です。1881年と言えば、明治14年。そして、1956年は昭和31年です。

あなたはどこかでお聞きになったことがありますか、この會津八一という人物のことを。彼の略歴は以下の通りなのですが、実は私はかなり昔から、この人の歌人としての側面にいささか惹かれるところがありました。数年前、所用で新潟市へ生まれて初めて出かけたのですが、その折、市内に 「會津八一記念館」 という建物を見つけました。ああ、會津八一は新潟の生まれだったのかと気づき、用事を終えてから、1時間余り、その小さな記念館を楽しんで参りました。市内から海岸に向かった所にある、本当に小さな建物でしたが、思いがけず見つけたこともあって、私にはたいへん楽しい経験でした。

秋艸道人、會津八一氏は、東洋美術の研究者であると同時に、個性あふれる書家として、また奈良の風光と美術に魅了された歌詠みとして知られた学芸人でした。そしてこんな人生を送った人でした。

1881年 (明治14年) 8月1日に新潟市で生まれました。本名の 「八一」 は、この生年月日から来たものでしょうね。生家は、今でも新潟市の中心繁華街のひとつ、古町通り (ふるまちどおり) にあった老舗料亭の會津屋で、八一はそこの次男として生まれました。

古町通りは、今でも古町モールとして、市の中心商店街として賑わっていますが、もちろん會津屋さんは、もうありません。

中学時代は病気のためスポーツから文学に転向し、正岡子規の 『ほととぎす』 に投句したり、 地元の新聞に俳論を連載する文学少年であったようです。

1899年 (明治32年) 8月、 早稲田大学の前身である東京専門学校の巡回講演で坪内逍遙の講演を聞き、その態度と雄弁に感動したことが、その後の彼の人生を決定づけることになりました。八一が18歳の時のことでした。

1902年 ( 明治35年) 4月に東京専門学校高等予科に入学し、1903年 (明治36年) 9月には早稲田大学文学科に入学して、英文学を学ぶことになりました。恩師の中には、坪内逍遙、ラフカディオ・ハーンなどがおりましたから、彼らから、後年の短歌や美術史研究について、大きな影響を受けことは間違いないと思います。

早稲田大学を卒業すると新潟県下の有恒学舎の英語教師となりました。この英語教師時代に、會津は着実に美術史研究への道を歩み始めていたようで、実物作品の研究と文献史料の研究を車の両輪のごとく駆使するという、會津美術史学の基礎を確立していったようです。

1910年9月には、坪内逍遙の推薦により、早稲田中学の英語教師となりました。その後、早稲田中学・早稲田高等学院・早稲田大学で英語や英文学を担当しながら、美術史学の研究をさらに進め、1926年(大正15年)には、早稲田大学文学部の講師として東洋美術史の講義を始めることになりました。ここに至ってはじめて、會津の美術史研究が社会的に認知されたわけです。

新潟の有恒学舎時代に、はじめて奈良を訪れた會津は奈良美術のすばらしさを知り、以後は、上京後、頻繁に奈良通いを始めました。同じ古美術でも、京都ではなくて、奈良を選んだというところが、いかにも會津らしいと思います。京都と奈良は違うのです。

ちょうどそのころ、中国の明器や鑑鏡のような古美術品を数多く購入し始め、 いわゆる會津コレクションの基礎をつくり始めました。もちろん、教育・研究の実物資料として買い求めたもので、その費用として自作の書画の即売展を開催したり、親戚知人からも揮毫料をもらったり、ときには坪内逍遙などからも援助してもらったといいますから、なかなか根性がありますね。

早稲田大学の学生を引率しての奈良実習旅行も、日本では最初のもので、 會津の実物尊重の教育・研究が徹底していたことを表わしています。ちなみに、彼は終生、独身でした。まあ、そんなことも會津コレクションの形成が可能であった一因かもしれません。

元来、俳句派であった彼が、主力を短歌に向けたのは、どうも1908年 (明治41年)、新潟有恒学舎時代の奈良旅行だったようですから、よほど奈良は彼にとって魅力的だったのだと思います。

新潟市西船見町にある記念館に入って、會津の残した多くの書や歌を見ながら、私がもっとも強く感じたのは、この人は顔つきに似合わず (失礼)、たいへんにやさしい人柄なのでは、ということでした。とにかく字体がやさしいのです。虚仮威し(こけおどし)や、取り繕いなどがまったく感じられない、自然な字なのです。

その時は、ちょうど参議院選挙に向けた政治家のポスターが、新潟市内各所に貼ってありました。顔は懸命に笑っていても、眼は笑っていない政治家の顔とはまったく正反対の優しさを持っているように私には感じられたのです。

ならざかの いしのほとけの おとがひに こさめながるる はるはきにけり
(奈良坂の 石の仏の顎に 小雨流るる 春は来にけり)

奈良坂にある石仏が雨に濡れて、あごのあたりに春雨の水滴が流れているさまを歌ったものですが、数多くの奈良を歌った作品の中でも、私が最も好きな一首です。

奈良坂とは、奈良国立博物館から北の奈良山稜に向かって行ったところの坂道を言います。道の途中に「般若寺」というお寺があり、そこを越えると京都府に入るのですが、このお寺を越えて京都(山城国)に入ることを、昔は「般若寺越え」と言ったのだそうです。

奈良には、それよりもずっと華やかな京都の街や寺院とは、まったく違った味があり、私はそれもまた大好きなのです。ですから、會津八一が、京都ではなくて、奈良を選んだその気持が、なんとなくわかります。

記念館で見かけたのですが、八一が1914年に、教育者として学生に送った人生訓がありました。 「秋艸堂学規」 というのだそうですが、こんな文章でした。

  一.ふかくこの生を愛すべし
  一.かへりみて己を知るべし
  一.学芸を以て性を養ふべし
  一.日々新面目あるべし

これは、「拙居家塾の塾生の為めに定めしもの」と注記され、自ら「率先して実践躬行」すると述べています。

既成の書道界とも、また大御所達が居る歌壇とも、ほとんど接触を持たず、独自の世界を切り開いていったこの学芸人に、師匠の坪内逍遙が贈った言葉がありました。それは、「とにかく君は天成の藝術家である」という見事な賛辞でした。

八一が、知人の子息が画家を目指して、東京美術学校 (今の芸大) に進もうかと迷っている時に、知人であるその両親に書き送った書状も記念館にありました。それは、日本だけではないが、とかく美術学校というのは、本物の芸術家を育てることはできない所だ、という趣旨の書状でした。(私も実は半ば同感なのですが・・・)

官立の大学には行かず、既成の芸術ソサエティとは没交渉で通したこの人物、なかなかの器量人ですよね。

記念館を出た後、すぐ近くの海岸に行って、日本海とそこに大きく浮かぶ佐渡を見ました。やっぱり気持が大きくなりました。彼もこの海を見ながら、既成の権威だの、序列だのがアホらしく見えたのではないかとさえ思ってしまいました。

でも、根が優しいから、別にそれらを非難したり、破壊しようとしたわけでもなく、別の途を独りで進んで行ったのだろうなあ、と日本海を見ながらそう思いました。

荒海や 佐渡に横とう 天の川 (芭蕉)

こんなスケールで世相を見たら、まったく小さく見えますね。

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