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21 追憶ーソウル原風景
2005年2月6日
吉田 美智枝 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]

福岡県生まれ、横浜市在住。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在に至る。自作のアクセサリーをBeads Duoというブランドで販売しながら、韓国の主に女性たちについてエッセーを執筆中。『朝鮮王朝の衣装と装身具』(共著)、韓国近代文学選などの翻訳がある。
▲ 天然石だけでつくったシャンデリア型のピアス。
  ガーネット、煙水晶、シトリンなど。
韓国の冬はヒリヒリした寒さだ。その冬のソウルが私は好きだ。他の季節の韓国も美しいが、人びとの気持ちが冬の寒さのなかでその吐く息とともにひとしお伝わってくるからである。

私は韓国のことがまた気になり始めた。それは、最近の韓国ブームに負うところもなきにしもあらずだが、この2月という冬真っ只中の季節のせいだろう。

私と韓国との出会いは、タイとの出会いと同様に夫の転勤がきっかけだった。私たちが新婚旅行から戻って2週間ほどで夫はソウルへの転勤を告げられた。

夫が一足早くソウルに赴任したのはその年の大晦日、そして夫に遅れること約40日、2月12日、私は真冬のソウルに降り立った。私がソウルに発った日、私たちを引き合わせてくれた夫の伯父が亡くなった(と後で聞かされた)。

その伯父の弟であるもう1人の伯父は、なかなか帰って来られないのだから、喧嘩せず仲良く暮らせよ、といって私たちを送り出してくれた。そのことばは、いった本人にとっては何気ないことばだったかもしれないが、後々、大伯父の死によりなにかよりどころをなくしたような私たちを折に触れ励ますことばとなった。

不思議なめぐり合わせだが、タイへの転勤が決まった年の盛夏、私の父が10年近い闘病生活の後に亡くなり、夫の伯父の死と同様に私たちにとって一つの時代の終わりを象徴していたように思う。

結婚当初、夫の勤務地は沖縄(那覇市)だったが、私がそこに住んだのはわずか2か月だった。沖縄は冬でも気温19度、ソウルの気温はその日マイナス10度ぐらいだったろうか。本当に寒いのは、真っ青に晴れた高い空の下、雪が積もるでなく薄っすらと路上を覆っているような日だ。私がソウルに到着した日もそんな寒い日で、私は今でもはっきりと覚えている。

私はソウルに約4年住んだが、釜山と済州島以外の土地へは韓国国内で旅行した記憶がない。それは、タイ・バンコクに暮らした間も同様で、海外への旅行を除けば、私は日常生活の場を離れることにあまり興味がなかった。それがなぜだか自分でもよくわからない。日常のささやかなことへの執着が強いのだろうか。そして年々その傾向が強くなる気がする。(ときどきその日常から離れたくなるのも事実だが…。)

私たちの住まいは、ソウル市竜山(ヨンサン)という地区にある5階建ての外国人専用アパートであった。近くには米八軍の基地があり、ソウルを北側の旧市街と南側の新市街(江南=カンナム)に2分する漢江(ハンガン)という大きな河と、その基地との間の河岸にあった。

アパートは旧市街側の南端にあたり、韓国住宅供給公社が米八軍の家族用だったそのアパートを買い上げ、外国人用に提供していた。日本でもよくある公営住宅タイプで、建物は古かったが、レンタル家具とセントラルヒーティングが完備され、若い私たちには充分に広く快適な住まいだった。

窓からは漢江が見えた。少しずつ芽吹いてくる河辺の柳がグレー一色のようなその一帯にそろそろ春の訪れを告げるころ、私は韓国語学校に通い始めた。春先というより冬の終わりという感じが強く、周囲には木らしいものは柳以外には見当たらない殺風景なそのアパートから、人里はなれた冠岳(クヮナク)山麓のソウル大学校内にある語学研究所に、私は1年間ほとんど毎日通った。

バスに乗り、漢江を渡り、水産市場の脇を抜け、高い建物など何もなく民家ばかりが延々と続く市街を通り、どんどん寂しくなっていって、山を切り開いてつくった真新しい道をひた走って…。古いバスのドアが閉まらないくらい人ばかりが多くて、その人びとも次々と停留所ごとに降りていって、もう乗り飽きた…と思うころ山麓に校舎が姿を現す。

始点の次の停留所から終点まで約1時間の道のり。春には途中、道路の両脇にケナリ(レンギョウ)が真っ先に黄色い小さな花をつけ、茶色に煙った墨絵のような山麓を少しだけ華やかにしていた。夏には校門の脇で風にそよぐ大きなポプラの並木も、その季節にはまだ周囲の岩山に同化していた。

これらの風景こそ私の韓国との、また韓国語との出会いであった。その頃の私は、この後タイに行くまで約18年間という歳月のおおかた、なんらかの形で韓国という国と関係しながら生きることになろうとは夢にも思わなかった。

これまで韓国のことを自分のことばで語ろう、何か記そうと幾度となく思ったが、私は私の中に韓国を表現することばを持つことができなかった。長く韓国に関わってはいても私の中の韓国体験が対象化されることなく、その年月は私自身がただ韓国に同化するプロセスに過ぎなかったのかもしれない。

韓国に住んだころの私は幼かった。実際の年齢ではなく、私が一人の人間として出来上がらないままに韓国に住み、その後もそのまま韓国漬けの年月を生きてきたように思う。

それでも、韓国という体験の土台があったからこそ、タイという国の、同じアジアでありながらの異質性と、同じアジアだから持つ同質性が見えて来たように、タイを経て、そのタイでの経験も少し遠くなり始めた今、見えてくる韓国があるように思う。私が、日本人として韓国だけを、タイだけを見て発見するもの以上のなにかが…。

私はこの冬、厳寒のソウルを今一度見てみたいと思う。違った韓国、違ったソウルが見えるだろうか。
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