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寄り道まわり道
29 辺境が好き 後編
2005年4月22日
吉田 美智枝 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]

福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房)などがある。
▲ 鮮やかな色のネックレス

西域の女性たちはこんな色のアクセサリーをつけていたのだろうか。赤い麻紐で一つずつビーズを結んだ。
▲ おそろいのピアス

使ったビーズはチェコ(赤、クリスタル)、日本(トンボ玉風)、タイ(カレン族の蝶形シルバー)
辺境には何がある? そう問われてもすぐには答えられない。

1990年代のある夏、私は韓国語の仲間3人と中国東北部の吉林省に旅した。吉林省はロシア・北朝鮮と国境を接し、その中の延辺朝鮮族自治州には現在200万人ともいわれる中国朝鮮族の多く(80万人)が住んでいる。

延辺は当時、最近のように北朝鮮からの亡命・難民問題で話題になることはまだ少なく、小さな家々が立ちならぶ、ひなびた感じのする街だった。

朝鮮(韓)民族の女性たちはもともとおしゃれで歌好きだといわれる。韓国に住んでいたころ、私が乗った車から、前を走る行楽バスの通路で着飾った女性たちが楽しそうに歌い踊っているのを見たことがある。

私たちはこの州都延辺市の街中でも、決して豊かとはいえない生活の中で美しく髪を整えて暮らす女性たちを見かけ、朝鮮族の女性の変わらぬ姿を見た気がした。実際、この街には、多くの美容院と小劇場にも似たノレバン(カラオケルーム)があった。

街中でみかけたチマチョゴリの色の鮮やかさは、数年後、バンコクに住んでいるときに訪れた中国雲南省昆明のレストランのショーの、少数民族の女性たちが纏っていた衣装の色と共通するものがあった。

延吉の街では、韓国料理の参鶏湯(サムゲタン)の原形のような素朴な鶏料理に出会った。一般家屋のような店の、入り口に続く暗がりの路地はぬかるみで、その上に渡された板の上を私たちは心細い思いで歩いたが、それでも案内された温突(オンドル)の床は夏でもほんのりとしたぬくもりがあり、韓国語が通じる気楽さも手伝って不安はいつの間にか消えていた。

一方、私たちが北朝鮮との国境線のある長白山(朝鮮半島の人びとは白頭山とよぶ)へ向かう途中立ち寄った料理店もまた朝鮮族の営む店であったが、そこで出された料理は川魚と紙のように薄い中国豆腐で、そこが中国であることを改めて思い出させるものだった。

その山頂へは、延辺の東にある北朝鮮との国境の街、図們からさらにバスで一日かけてでかけた。

中国と北朝鮮の国境線のあるその山は草木のほとんどない黒っぽい荒涼とした場所であった。湖水のある山頂は、その時分厚い雲と白い霧に覆われて見えず、まして国境線など存在していても目に見えるわけはなかった。

この一帯は以前“満州”と呼ばれた場所であった。この呼び名は戦後世代の私には実感がなく、映画「ラスト・エンペラー」で描かれた世界だけが唯一の手がかりだが、資料(注)によると旧満州は「現代中国の東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)に内モンゴル自治区の東部、河北省の北端を加えた膨大な地域を指す」のだそうだ。

私はこの地域のことを調べ始めてすぐに、このエッセーをほんの軽い気持ちで書き始めたことを後悔した。この旧満州は、内モンゴル自治区に前編で触れた察哈爾や綏遠などがあり、ロマンチックな想像をかきたてるシルクロードという存在がありながら、一方で日本・中国・朝鮮半島が時に激しい争いを繰り広げ、また朝鮮民族のこの地への移住に日本が無関係ではないという、重い歴史をもつことに気づいたからだ。

また、西遊記のモデルとなった僧の玄奘が長安(西安)の街を天竺(インド)に向け出発したころ(西暦629年)高句麗という国が、その後には渤海という国が栄えた場所でもあったという。

“満州”といえば、父が陸軍飛行兵として終戦を迎えた地だった。父は、引き上げの人びとの多くがそうしたように、気の遠くなるような長い道のりを徒歩で移動し、そこから列車と船を乗り継いで帰国したのだと、私と弟が幼いころ私たちに話してくれた。

その移動はハルビンかどこかから新京(長春)までだったか、奉天(瀋陽)までだったか、大連までだったか。父はそれ以上話そうとはしなかったが、その徒歩での移動によって父の足の裏全体が血豆になってしまったという話を聞くたびに、私と弟は自分たちの小さな足を何度もひっくり返しては見るのだった。

戦争という形でその地を知るしかなかった父は、その時まだ22歳の青年だった。父はそこでわずかでも美しいもの、心休まるものを見る機会があったのだろうか。

今、私は思う。父が片足が不自由になった晩年、列島の突端の宗谷岬や長崎鼻や能登半島(注)に行きたがった理由…それは、父が実際に自分の足でそこに立ち、かつて若い自分が行き来した海の向こうの世界を、自分自身の耳や目や皮膚でもう一度感じたかったのではないか。あるいは、それはそのまた向こうに胸踊らすシルクロードという世界が広がっていたのだという感慨だったのだろうか…と。

“辺境”…それは国境に近く、人種、文化、生活形態が混ざり合った場所であり、それぞれの文化の原形が数世紀を経て残っている場所、そしてはるか昔にはさまざまな人びとが自由におおらかに行き来した場所であった。

行ってみるとそこには、私が日々を生きるように、そこに住む人びとの日々の生活があった。

(注)
資料:Web宮崎正弘、世界紀行/満州
能登:能登は平安時代、何度も渤海との交流史に登場しており、富来町には遣渤使が宿泊した史跡などが残っていることが資料からわかった。 
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