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僕の偏見紀行
174 僕とウチナー(1)旧友
2014年6月23日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ 沖縄到着、市内へ向かうモノレール空港駅。30年前とすっかり変わった空港周辺。
▲ 恋の季節。なあーお前、そんなに邪険にするなよ!
沖縄本島からフェリーで15分ほどの久高島にて。ネコが沢山いた。島の人にたずねたら野生ネコといわれた。
▲ 久高島を自転車で走っていると人気のない海岸に出た。
宿を出る時から降っていた雨は「ひめゆりの塔」に着く頃土砂降りになった。駐車場にレンタカーを入れ車内で待つことにした。

梅雨の盛りの沖縄、観光客の姿は少なく修学旅行が目立つ。僕と沖縄の付き合いは長い。それは復帰直後から始まった。大半は仕事の出張だが、30数年前から毎年数回は訪れた。

その間仕事は勿論、個人旅行などでも「ひめゆりの塔」をはじめ多くの戦跡をきちんと訪れることは無かった。いつも心の片隅にあったがなんとなく避けてきた。

小降りになったので記念塔に手を合わせ記念館へ入った。展示された記録が70年前の悲劇を静かに告げていた。ひめゆり部隊から生還した人たちの映画コーナーがあった。その片隅に座り、僕はスクリーンの女性達が語る悲惨な体験談をじっと聞いた。そしてその事実の重さに打ちのめされた。

若くして戦場に駆り出された少女たちは、鉄と火の圧倒的な暴力に為すすべも無く死んでいった。そこには人間の尊厳も正義も、守ってくれるはずの国家も無かった。彼女たちの手記を読むと、絶望的な状況のでも国家への疑いを抱くことなく、傷ついた兵士や友人を思いやる少女達のやさしさが哀しい。

本土のために犠牲となったこの沖縄に対し国は何をしてきたか。その悲劇に報いるどころか、独立と引き換えに沖縄を切り捨て、復帰後もさらに多大な負担を押し付けたままだ。

僕らの国はなんという仕打ちをしてきたのか、と他人事みたいにいう資格など僕には無い。僕もただ手をこまねいて分かった風なことを言うだけだった。こんな自分に気づくのが嫌で僕は戦跡を避けてきた。

長い付き合いである沖縄の友人チョーユーさんに一度尋ねたことがある。国のこんな仕打ちを沖縄の人々はどう思っているのか。それに対し彼は2冊の本をあげ、それを読むようにいった。

「琉球処分」大城立裕著、「日米地位協定入門」前泊博盛著。

どちらにも過去から現在に至る、日本の沖縄に対する理不尽な仕打ちの数々が書かれ、読むほどにやりきれない気持ちがつのる。特に後者は、現在も続くわが国と沖縄の哀しい現実に満ちていた。日米地位協定の下、実は日本は独立国でも民主国家でもなかった。

オロカにも僕はそんな現実を全く知らず、沖縄問題の本質をまるで理解していなかった。僕にはこの2冊に関してこれ以上語る資格も能力もないと思う。お読みになった方も多いかと思うが、関心のある方は是非お読み下さい。

記念館の出口に感想を書く用紙が置いてあった。一度用紙を手にしたものの、結局僕は何も書けなかった。外に出ると雨はあがっていた。向こうから大勢の修学旅行の子供たちがやって来るのが見えた。無邪気にはしゃぐ子供達とすれ違いながら僕は「ひめゆりの塔」を後にした。

今年、恒例の九州への里帰りのついでに沖縄まで足を伸ばすことにしたのは、昨年ネコを亡くして以来、家を空けることが可能になったからだ。羽田で九州へ直行する家内と別れた僕は沖縄便に乗った。

3年ぶりの沖縄、那覇空港に着いてボーディングブリッジを歩くと両脇の色鮮やかなランの花が美しい。沖縄に来た、喜ばしい気持ちが湧いてくる。

復帰直後の那覇空港は狭くて薄暗く、かすかにカビに似た匂いがしたのを憶えている。ロビーに溢れる沖縄の人たちのマユの濃い精悍な顔立ち、そして不似合いな、・・しましょうねー、などというやさしい話し言葉に、僕は戸惑ったものだ。

以来30数年、沖縄担当の九州営業所を離れてからも通い続けた。それだけ大事な取引先があり、地元商社にいたチョーユーさんとの付き合いもそこから始まった。

仕事に厳しいチョーユーさんは取引先としては手強い人だったが、僕は、信義を重んじる潔い人柄の彼とはウマが合った。仕事を離れて一杯やりながら、日常雑事から天下国家まで彼と論じるのは僕の楽しみだった。

友人というものの、彼は僕より8才年上、今年は喜寿を迎えるという。人生の先輩から僕はいろんなことを学んだ。彼には高校野球の元エースという外面からは分からない繊細な一面もあった。中間管理職時代、部下の処遇をめぐって上司と対立した彼は悩みぬき神経症に陥った。その時の解決策として彼がとったのが身体を鍛えることだった。ランニングを始め、空手道場に入門した。

その結果彼は空手の有段者となり、フルマラソンを完走するようになった。そしてその頃には神経症を克服していた。僕も時に仕事で悩むこともあったが、そんな時彼は、精神が弱ったら身体をいじめろ、そういって僕を励ましてくれた。彼の助言に従って僕は水泳を始め、今に続いている。

3年ぶりのチョーユーさんとの夕食は楽しかった。日頃は奥さんから肉食を制限されているチョーユーさんのリクエストでステーキ屋に行った。旨い肉を食いビールを飲み、大いに語った。

身近な年金や健康のこと、社会問題、集団的自衛権から沖縄問題、いくら語り続けても話題は尽きない。今の僕にとって、古い友人と交わすとりとめのない会話は、人生の大きな楽しみのひとつになった。

しかし語るほどに、わが国の未来はとても厳しい、ということになった。僕らはオヤジとして、ジジイとして子や孫にどんな社会を残せるのだろうか。

先進国の中で最悪の1000兆を超える国の借金、しかもそれは今も増え続け、既にGDPの2倍を超えた。消費税10%でも焼け石に水だ。大幅な社会保障費の削減と税負担増は世代を問わず避けて通れない。このままではわが国の財政は破綻し、そのツケは弱者である国民が払わされる。

重大事故が発生すれば人類の力ではコントロールできず、廃棄物の最終処分方法も分からない原発に依存したままのエネルギー政策、大震災の教訓はどこへいったのだろう。

沖縄問題はすなわち国の防衛問題といえよう。戦後アメリカの属国状態と引き換えに防衛を他国に依存してきたわが国。しかしこんな虫のいい話がいつまでも国際的に通用するわけがない。言葉遊びのような、稚拙で乱暴な議論で憲法解釈を捻じ曲げて済む話ではない。

ただ防衛問題の議論の前に国がなすべきことが残されている。先の敗戦に関して、国民に対する責任を誰もとっていない。無謀な戦いを始め、拙劣で乱暴な作戦指揮によって不必要な戦死者が大幅に増えた。終戦時には、ソ連参戦の情報を握りつぶして天皇にも知らせず、いたずらに戦争を長引かせた。

その結果2度の原爆投下を許し、一般市民への大空襲も繰り返された。この国民を苦しめた責任を誰もとっていない。「一億総懺悔」などといい加減なごまかしで済ませている。この問題ではマスコミの罪も大きい。

僕とチョーユーさんは話しながらだんだん沈みこんでいった。戦後70年、なんという国になってしまったのか。しかしこれが僕らの置かれた現状なのだ。嫌なことからは目を背け、のほほんと見せかけの豊かさを享受してきたツケが積もり積もってこうなった。政治家は、おとなしく物言わぬ国民に甘え、国民も心地いい現状に甘え、国中が問題を先送りしてきた。

今も沖縄北部のヤンバルの森では、小さな高江集落の周囲に何箇所も米軍ヘリ発着場が建設中だ。一旦墜落事故でもあれば集落の存立にかかわる。地元の人々は身体を張って阻止活動を続けているが、工事は進み、司法も住民の訴えをしりぞけた。このことは地元紙が取り上げているものの知る人は少ない。

3年前、車で本島北部を目指していた僕は、ヤンバルの森近くの道路脇で偶然テント小屋を見つけた。周りに「米軍ヘリパッド反対」などと書かれた立看板や横断幕があったのに、何も知らない僕は素通りしてしまった。長年沖縄に通いながら、僕の理解はこの程度だった。

僕もチョーユーさんも老いた。かつてのような威勢よく天下国家を論じるという訳にはいかなかったが、互いに思いの丈をぶつけ合うことが出来た。話し終わって僕はシアワセな気持ちだった。

ステーキ屋からスナックへ回ったが早めに切り上げた。外へ出ると雨のあがった路地裏を生温い風が吹いていた。別れ際、いつものようにチョーユーさんと握手を交わす。また会いましょう、どうかいつまでもお元気で!元エースの掌はがっしりと大きかった。(続く)
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90 マイ・センチメンタル・ジャーニー
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81 シルクロードの旅(4)ブハラへの道
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78 シルクロードの旅(1)タシュケント到着
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75 小笠原の旅(5)母島列島
74 小笠原の旅(4)宝石の島、南島
73 小笠原の旅(3)ザトウクジラの海
72 小笠原の旅(2)BONIN ISLANDS
71 小笠原の旅(1)波路はるかに
70 インド紀行(7)タージ・マハルの光と影
69 インド紀行(6)ガンジス川の夜明け
68 インド紀行(5)夜行寝台「ハウラー・カルカ・メイル・2311号」
67 インド紀行(4)ダージリン滞在
66 インド紀行(3)ダージリンへの道
65 インド紀行(2)コルカタにて
64 インド紀行(1)遠かったインド
63 暮れの浅草昼酒
62 雨の東北、芭蕉と紅葉旅
61 南会津の旅◆扮の尾瀬沼)
60 南会津の旅 弁愡浚村)
59 奥日光戦場ヶ原
58 スコットランド紀行(5)いくつかの思い出
57 スコットランド紀行(4)偉大なり、ピーター・ラビット
56 スコットランド紀行(3)ネス湖からスカイ島へ
55 スコットランド紀行(2)ウォールフラワー
54 スコットランド紀行(1)エジンバラ大学でお茶を
53 風に吹かれて八丈島(3)
52 風に吹かれて八丈島(2)
51 風に吹かれて八丈島(1)
50 イリオモテヤマネコに逢いたくて(4)
49 イリオモテヤマネコに逢いたくて(3)
48 イリオモテヤマネコに逢いたくて(2)
47 イリオモテヤマネコに逢いたくて(1)
46 秋空の下、いくつかの再会
45 白神の森の宝
44 挑戦!乗鞍岳
43 北東北ローカル線の旅 (4)津軽じょんがらの夜はふけて
42 北東北ローカル線の旅(3) 雨の下北恐山
41 北東北ローカル線の旅(2) うみねこレール
40 北東北ローカル線の旅(1) 春のうららのドリームライン
39 50年の時を超えて
38 知床の秋(2)、ウトロにて
37 知床の秋(1)、鮭遡上
36 風に吹かれて尾瀬ケ原
35 白神山地「ブナの学校」
34 初夏の山形、サクランボとそばの旅
33 ハワイ島滞在記(2)
32 ハワイ島滞在記(1)
31 春の予感、鹿沢(かざわ)高原にて
30 嗚呼!還暦大同窓会
29 年の暮れ、奥那須で想う
28 ラムネの湯「長湯温泉」はいいぞ
27 また「再会の時」道後温泉にて
26 大自然の力、姥湯温泉
25 知床の青いそら、光と風 その
24 知床の青いそら、光と風
23 春の東北ローカル線の旅
22 春の東北ローカル線の旅
21 春の東北ローカル線の旅
20 上海点描
19 やさしかったチェジュの人たち
18 さらば、災の年よ。
17 僕たちのセンチメンタルジャーニー
16 台風を避けて信州へ
15 青島印象記
14 よるべない孤独にみちた宿
13 海があまりに碧いのです
12 安曇野の光と水、そして高瀬川渓谷葛温泉
11 鞍馬山の向こうへ、大悲山峰定寺
10 雪の会津鉄道トロッコ列車の旅
9 初春初旅救急車
8 年の暮れ、峩々温泉再訪記
7 東北紅葉旅峩々温泉
6 蔦温泉、蔦沼、ブナの森
5 雨の幕川温泉再訪記
4 憧れのフルム-ン法師の湯
3 信州塩田平別所温泉
2 信州信濃路
1 東北紅葉雪見風呂
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