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109 エトルタの針は空洞か? 
2010年4月5日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。


エトルタの針は空洞か? 


エトルタの針は、本当に空洞だと思っている人が世界中にはけっこういるのではないか? というよりも、空洞であって欲しいと私のように願っている人も多いのかもしれません。

失礼しました。アルセーヌ・ルパン (Arsène Lupin、フランス語で発音すると、アルセーヌ・リュパン) に関心がないと何のことやらわからないことを、まず申し上げてしまいました。

実は私は高校時代に堀口大學訳のルパン・シリーズを文庫本でほぼ全部読んで以来、すっかりこの怪盗紳士のファンになってしまいました。今でも時々読み返しているくらいですから、かなり重症なのかもしれません。

でも最初に読んだ高校生の時には見当もつかなかったこと。たとえば出てくる場所や地域の風土や景色、あるいは小道具類などと、その後の人生の中で少しは実際にふれ合った体験が、このモーリス・ルブラン (Maurice Leblanc) のシリーズ小説を、今の方がより面白く感じさせてくれているのかもしれません。

ところで、タイトルの謎めいた文言、「エトルタの針は空洞か?」という言葉から説明させていただきます。

まず、エトルタ (Etretat) とは何かと申しますと、それは地名です。フランス、ノルマンディ地方、英仏海峡に面した小さな町の名前ですが、あのあたりは地質が石灰岩のため、海に面する台地の縁が波浪で浸食されて断崖となってしまったエトルタの断崖 (Falaise d’Etretat = ファレーズ・デトルタ) で有名です。モネをはじめ印象派の画家達もエトルタの海岸を題材にした絵画を多く描いていますし、もちろんルパンとも縁の深い町です。

上の写真をご覧ください。上段と中央の写真がエトルタの断崖にある、エトルタの針 (レギュイ・デトルタ = L’Aiguille d’Etretat) と呼ばれている巨大な、とがった岩です。ルパン・シリーズの中でも、最高傑作のひとつ、「奇巌城」 (原題は L’Aiguille Creuse = レギュイ・クルーズ = 空洞のある針) では、この岩の中が空洞 (クルーズ = creuse) になっており、そこには何層ものフロアがあり、数々の名画の本物 (なにせ、この小説の中では、ルーブルにあるものが複製だということになっているのです!) や、歴代フランス王家の膨大な秘宝が隠されており、そこがルパンの秘密の隠れ場所だということになっているのです。

つまり、エトルタのエギュイ(針)は、中がクルーズ(空洞)で、そこにはヨーロッパの歴史に関わるような数々の財宝が隠され、ルパンは休息のためにそこで至福の時間を過ごすという設定なのです。ですから、「エトルタの針は空洞」なのです。

もちろん実際にはそんなことはないのですが (たぶん)、「奇巌城」が作者モーリス・ルブランによって生み出されたのが1909年ですから、それから100年経った今でも、空洞の針の中にお城があると信じてエトルタを訪ねてくる人が絶えないと聞きます。まあ大半は私のように、そうであってくれたら素敵だなあ、と思って来る人達だと思いますが。

作者のルブランは、エトルタと同じノルマンディにある、大聖堂で有名なルーアンの生まれですが、50歳代半ばにこのエトルタに家を購入し、以来毎年パリからここにやって来て夏を過ごし、執筆したということですから、きっと彼にとっても、エトルタは特別な場所だったのでしょう。

下段の写真は、そのエトルタにある、かつてのこの作家の別荘で、現在の「ルパン記念館」です。まだ私は行ったことがないのですが、近くのルーアンやオンフルールまでは、それぞれ別の機会に行っておりますので、いつの日か必ずエトルタにも足を伸ばしてみようと思っています。

モーリス・ルブランが最初にルパンの作品を書いたのは1905年です。1864年生まれの彼が41歳の時でした。シリーズ最後の作品は、1935年に発表された「カリオストロの復讐」ですから、ちょうど30年間、彼はこの人気シリーズを書き続けたわけです。

隣国の英国には、ほぼ同時期に、アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle KBE)という作家がおり、あのシャーロック・ホームズ・シリーズを書いていました。

ちなみに2人の生きた時期を比べてみますと以下の通りです。
モーリス・ルブラン      1864 〜 1941
アーサー・コナン・ドイル  1859 〜 1930

という次第で、2人が活躍したのは、ほぼ同時代であったことがわかります。謎解きも、英国人とフランス人のキャラクターの違いを見事に反映していて、ホームズは理屈詰めであるのに対して、ルパンの謎解きは直感的、芸術的です。

それから私の知る限り、シャーロック・ホームズ・シリーズに、ルパンは登場しませんが、ルパン・シリーズには、ホームズらしき探偵が登場します。しかも、そこではホームズらしき探偵が、ルパンによって徹底的にコケにされるのです。

ルブランのその書き方は、さすがにKBE (Knight of the British Empire = 大英帝国騎士)の爵位を得ていた、サー・アーサー・コナン・ドイルの気にさわったらしく、ドイルはルブランに抗議をしています。

でもそこでルブランが採った方法は、コケにして出し抜く探偵の名前を、Herlock Shorlmes (エルロック・ショルム) としただけでした。これでは元の Sherlock Holmes (シャーロック・ホームズ) と、ほとんど変わらないと思えますが、当時はこんなことで済んでしまったのでしょうか。今なら、そうはいかなかったと思いますが、それよりも、今ならルブランもこんなことをしなかったでしょうね、きっと。

まあコナン・ドイルの方もいろいろあった人物なのですが、彼のナイトの爵位は実は、シャーロック・ホームズ・シリーズの成功のおかげで得たものではないのです。直接的には南アフリカの第2次ボーア戦争(1899〜1902)における英国の露骨な帝国主義的行動に対する世界中からの非難に対する弁明を、『南アでの戦争:原因と行為』という冊子にまとめたことが叙勲の理由でした。

その冊子が英国内外でかなりの影響を持ち、英国としては自国の帝国主義的略奪を、(実は屁理屈なのですが)一部正当化することに貢献したということで、彼は1902年にイングランド南部のサリー州の副知事に任命され、同年ナイト爵に叙せられたのです。

ノルマンディは、ニース、カンヌなどのコート・ダジュールが、飛行機もTGVもない時代で、まだはるか遠くに感じられた頃、パリの人々にとっては、最高の避暑地でした。オンフルール、ドヴィル、ルアーブルなど、多くの人々が夏を過ごしたビーチがたくさんあります。またこの地域は人間活動の長い歴史を持っています。様々な遺跡や建築物もあり、とても魅力のある地域だと思います。

ルブランが生まれたルーアンには、モネが苦労して連作を描いた大聖堂があり、またこの町でジャンヌ・ダルクは処刑されました。(1431年)

ルパンだけでなく、なんとなく惹きつけるものが多い地域ですので、いずれ必ずエトルタにも出かけてみようと思っています。エトルタのエギュイ(針)はクルーズ(空洞)ではないことを確認することになるかもしれませんが・・・。

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