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縁の下のバイオリン弾き
87 文化の違い
2014年2月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ディングルの風景。アイルランド旅行のスケッチブックから。
「アメリカではどこの町に行っても街路はたいてい1、2、3とか A、B、Cとか、それじゃなかったら大統領の名前がつけられているでしょ。まったく夢も希望もないわ」

これはスコットランドから移民した女性が語った言葉である。なるほど、アメリカの道路の名前はファースト・ストリートとか Bアベニューとか名付けられることが多い。大統領の名前というのはワシントン・ストリートとかリンカン・アベニューといったたぐいのことだ。

小さな町だと大通りはたいていメイン・ストリートだし、ちょっと大きな都市だとそれがブロードウェイになる。マーケット・ストリートもよくある名前だ。

もちろん小さな道には思い思いの名前がつけられるから、彼女が言うほど画一的ではないのだが、実は私も同じような印象を抱いていたのでこれは我が意を得たりという思いだった。

ニューヨークの五番街、などというとなにやら華やかな連想をさそわれるかもしれないけれど、道の名前を1、2、3とつけるというのは発想の貧困ではないか。

でもスコットランドから来た人が「なにしろ文化が違うから」と嘆いているのを聞いてちょっと意外な感じを持った。私から見るとスコットランドから来た人は 例外もあるかもしれないけれど白人で英語をしゃべる。アメリカの社会に溶け込むにはなんの障害もないように見える。すくなくとも日本から来て英語に苦労している我々のような者とは実際においてもたとえとしても「人種が違う」。

でも私はすぐに自分の考えのあやまちに気がついた。たとえば香港にいた頃の私を見かけた欧米人が「あいつはとくだなあ。すぐに中国人の社会に溶け込めて」などと思っていたとしたらそれは大間違いのコンコンチキだ。私だっていつも「なにしろ文化が違うから」と嘆いていたのだから。

アメリカは種々雑多な国から移民が来て作られた国だけれど、最初にアメリカの土を踏んだ移民にとってはこの「文化の違い」は大きい。それは人種や宗教やもとの国・地域に関係なくのしかかってくる重荷だ。

このスコットランド人の女性に会ったのは数日前我が家の隣家で行われた「針仕事のつどい」でのことだった。隣人のジャネットさんは60代前半、自身はアメリカ生まれだが親がアイルランドから来たのでアイリッシュ(アイルランド人または「アイルランド系の」という意味)であることを誇りにしている。彼女から「今度アイリッシュ女性の集まりがうちであるんだけど、音楽をひいてくれない?」と頼まれた。私はもちろん二つ返事で承知し、妻のリンダと音楽仲間のジョン・オーダムとで出向いた。

ジョンはイギリス人だがアイリッシュ・ミュージシャンだ。もう30年近い付き合いになる。1918年製というお化けのように大きいマンドリン(バイオリン属のチェロにあたるのでマンドチェロという)をひいて私のフィドルに伴奏をつけてくれる。この楽器は現在ではもう絶滅しているのでジョンは「マンドザウルス」と呼んでいる。


ジャネットから「針仕事のつどい」のみんなに当てて出されたメールをもらっていたので、私はてっきり縫い物や刺繍をする会だと思い込んでいた。それでまっさきにひく曲は「つぎだらけのズボン」というポルカにしようと思っていた。

ところが行ってみると食卓の上に食べ物やワインがならんでいるだけで、「針仕事」に使うような机もミシンもない。我々が行く前からもう何人ものメンバーがあつまっている。大半は中年をすぎたおばさんで、なかには結構なお歳のおばあさんもいる。

「食事のあと針仕事をはじめるわけですか」と聞くとみんな笑い出した。ジャネットが説明してくれた。

「第二次世界大戦のあと、ヨーロッパ戦線で戦ったアメリカ軍の兵士が現地から恋人をつれて凱旋してきたでしょう。戦争花嫁ってわけ。アイルランド人もたくさん来たわ。そのアイリッシュの花嫁さんたちはアメリカという外国に来て心細い思いをしていたの。それで私の母親なんかが仲間とかたらってアイリッシュ女性の『酒とゴシップの会』をつくったのよ。でもおおっぴらに『飲み会』だなんていえないじゃない。すくなくともその頃はね。だから名前だけ『針仕事のつどい』ってことにしたの。それが今までずっとつづいているのよ」

「メアリーの旦那なんか出かけようとする彼女にむかって『おい、糸巻きをわすれてるぞ』って言ったって噂よ」と別のひとりがいうとどっと爆笑が起こった。

なるほどそういうことだったのか。それでも私はやっぱり「つぎだらけのズボン」を最初にひき、10時ごろまで2時間以上演奏してやんやの喝采を博した。


外国から来た人々が同国人同士あつまって親睦会を持つことはめずらしいことではないだろう。なんといっても同国人でなければわからない感情があるし、いくら言葉が同じだと言ってもそこには独特の言い回し、しゃれ、とんちなどがある。

特にアイリッシュは機知とユーモアで知られる。なんでもかんでもしゃれのめして一体いつまじめになるんだろう、と思われる人もすくなくない(たいていは決してまじめにならない)。

でもアイリッシュ女性が飲み会を作った、というのはちょっと異例ではないだろうか。イギリス人ならアフタヌーン・ティーに招待しあうところだ。

これにはアイリッシュ男性の習慣が色濃く反映していると思う。

アイルランド人はアイルランド国内よりも国外に住んでいる人のほうが数が多い。これは歴史的にアイルランドが貧しかったからである。アイルランドは昔はれっきとした独立国だったが19世紀にイギリスに併合されて植民地とされ収奪を受けた。そのために生存ぎりぎりの存在しか許されなかった。

特に問題なのはアイルランドの食料がジャガイモに大幅に依存していたことである。1845年に病虫害によるジャガイモの大不作がおこり、これが5年間続いた。英国政府はアイルランドを助けようとせず、飢饉(ききん)の間もアイルランドから英国にむけての食料輸出を強制した。これによってアイルランドは壊滅的な打撃をこうむった。100万人が餓死したと言われている。200万と言われるアイルランド人が英国やアメリカ、オーストラリアに職をもとめて移住した。現在でもアイルランドの人口(約600万)は飢饉前の水準に回復していない。1997年に当時のブレア首相はこの時の英国政府の処置につきはじめて謝罪した。

アメリカでは移民したアイルランド人はニューヨークなど東部に定住した。その一方西海岸では中国人がつれてこられ労働に従事した。1869年の大陸横断鉄道の完成はアメリカを飛躍的に発展させた大事業だったが、この大工事の西半分は中国人、東半分はアイルランド人の労働者によって完成された。当時はこの2種類の移民が社会の最下層だったのだ。

アメリカで「不法移民」というとだいたい中南米から来たいわゆる「ヒスパニック」をさすことが多いが、実はアイルランドからもつねに一定数の不法移民がアメリカに入り込んでいた。

かれら移民もしかし月日がたつにつれてアメリカ社会で頭角をあらわし上層にのし上がって行く者がでてきた。そしてついに大統領を出すまでになった。それがジョン・F・ケネディだ。彼は史上最初のアイリッシュの大統領で、またアイルランドが伝統的にカトリックだった関係上、歴代ただひとりのカトリックの大統領だ。

アイルランドを象徴するもっとも有名なものはギネス・ビールだろう(ビールといっても「スタウト」という黒ビールだ)。ギネスこそはアイルランド人が誇りとし、こよなく愛する飲み物で、そのポスターは「ギネスは健康にいい!」と高らかにうたっている。

ギネスを飲む場所がパブだ。パブはアイルランド人の心のよりどころで仕事を終えた労働者が帰りに毎日パブによって立ったままビールを引っ掛ける姿はめずらしくない。

アイリッシュ・パブは現在では世界中に存在する。日本ではもっぱら日本人のお客さんを相手にしているけれど、ほとんどの国ではアイリッシュ移民のたまり場になっている。

アメリカでも同様でたいていの都市にはアイリッシュ・パブがある。テレビでスポーツを観戦するスポーツ・バーでもあり、サッカーやアイリッシュ・フットボールを常時放映している。

ここに集まってギネスを飲み、音楽を聞きながら、時には歌を歌いながら故郷を懐かしむのがアイリッシュ・アメリカンの文化である。

アイルランドではパブは男女を問わない社交場なんだけど、第二次世界大戦後のアメリカでは女が、とくに結婚した女が酒場に入りびたることは世間から眉をひそめられることだっただろう。したがってアイリッシュ・パブは男専用になった。

「針仕事のつどい」はこういう状況でアイリッシュ女性の心のうっぷんをはらす場所として作られたのだ。いわば男にとってのパブの女性版で、だから「飲み会」なのである。


私はバーというものに全然同情がない人間だ。日本でも香港でも酒場と名のつく場所には行ったことがない。アメリカに来てからも同じだった。もしアイリッシュ音楽を始めなかったらパブだろうがバーだろうが私にはまったく無縁のものだっただろう。

アイリッシュ音楽はだいたいパブでセッションをする。そのために私は過去何十年というもの週に一回はパブに行って音楽を演奏して来た。ビールは飲むけれども目的は音楽を演奏することで社交もうっぷんも関係ない。

だから私はアメリカのアイリッシュ・パブとその顧客の生態に関する知識では日本で右に出る者のない権威だ。


「針仕事のつどい」の数日前にサンディエゴのアイリッシュ・コミュニティのリーダーだったジム・フォリーという人が亡くなった。75歳だった。

この人はお定まりのごとくアイルランドからニューヨークに渡ったのだが、どういうわけかカリフォルニアまで足をのばして定住した。「ブラーニーストーン」というアイリッシュ・パブのオーナーで、私はこの酒場で何年も演奏したからよく知っている。

「針仕事のつどい」の次の日にあった彼の葬式に私は出席した。もう何年も会っていない昔の知り合いにたくさん会った。この人たちとはみんなブラーニーストーンで知り合った。悲しいことだが近ごろはこういう機会に旧交を温める、ということが多くなった。出身も背景もまったくことなる日本人の私をあたたかく受け入れてくれた人々だ。

アイリッシュは人情にあついというが、それは本当だ。

「針仕事のつどい」でも彼のことが話題になった。「カリフォルニアに来たばっかりのころはフォリーさんにたいへん世話になった」という人がたくさんいた。

晩年にはジムは酒場を手放してしまったけれど、そしてそのために私は別の酒場のセッションに行くようになったけれど、たまにブラーニーストーンに行くと彼は必ずといっていいほど客としてバーにすわっていた。そうして私は彼と一言、二言言葉を交わすのがつねだった。

そんなに深いつきあいではない。しかし旧大陸の東と西のはてからやって来てアメリカで出会った。そして今彼の葬式に出席している。人生とはふしぎなものだと思う。

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