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縁の下のバイオリン弾き
85 恐れを知らないギター
2014年1月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ パーラーギター(上)とドレッドノート(下)
年末に「インサイド・レウィン・デーヴィス」という映画を見た。この映画は監督として世評が高いコーエン兄弟の作品でじつにおもしろかった。レウィン・デーヴィスというのは主人公のフォークシンガーの名前で、1961年のニューヨーク、グリニッチ・ヴィレッジが舞台になっている。1961年というとボブ・ディランは登場したばかり、かれの影響がアメリカの音楽シーンを変えてしまう以前の話だ。

レウィンはかつてレコードを一枚出したことがあるだけ、という売れない歌手でコーヒーショップで歌っている。おりしもフォークブームで需要がないわけではないのだが、レコードの印税を払ってもらえない彼は生活に困って友達のアパートを泊まり歩いている。厳冬のニューヨークからシカゴまで行っても結局金にならず、何にもいいことがおこらない一週間ほどの期間を映しただけの映画だ。

「インサイド」といえばレウィン・デーヴィスの内面、ということになるがそれでは何のことかよくわからない。「レウィン・デーヴィスの魂」とでも訳すのがいいのではないかと映画を見ながら考えた。

私はもちろん1961年のニューヨークを知らない。でもフォークブームはよく知っているからなつかしいとも何ともいえない感情に襲われた。

もう50年前の話だ。あたりまえだが、この映画に出演している俳優のほとんどは1961年にはまだ生まれていなかった。そういう人たちが当時の雰囲気を的確に表現できるというのがおどろきだった。

フォークミュージックはずっと昔から存在していたけれど、1960年代のフォークブームには特別な意味がある。1950年代まで我が世の春を謳歌していたアメリカ中産階級の保守的な政治感覚に対してそのこどもの世代が異議を申し立てた反体制運動の表現だった。だから「フォーク」(民衆)ということばとはうらはらに大学のキャンパスを中心として都会ではやった。その音楽を好むのはむしろエリートであり、日常に埋没することを拒否する先鋭な感覚の持ち主だった。

しかしだからこそフォークソングを歌う歌手は金に縁がなく、商業的な成功を収めることはまれだった。しかも、歌手たち自身が金銭的な成功を体制側に寝返る日和見主義(なつかしい言葉ですねえ)だと定義していたからなおさらその日暮らしから抜け出せないわけだ。

歌を売り出す側にしてみればそういう世の中にうとい若者たちをあやつって金をしぼりとることはぞうさもないことだった。雨後のたけのこのように現れたフォークグループを売り出し、ブームを巻き起こし、歌手たちを使い捨てにした。そのためにブームは長続きしなかった。

根性のあるミュージシャンはそういう建前ばかりのフォークソングに音楽的に満足できないものを感じていたのだろう。ディランがニューポート・フォークフェスティヴァルにエレキギターをひっさげて登場しフォークに別れをつげたのは1965年だし、ピーター・ポール&マリーは1967年に「ロック天国」(原題:“I Dig Rock‘n’Roll Music”ー ロックが大好き)を発表している。

映画の中に印象的なシーンがある。レウィンがときどき食事をおごってもらっている大学教授の夫婦がいる。彼のファンである。あるとき、どうにも金に困ってレウィンがこの夫婦のアパートに行くとちょうど食事どきでもうすでに先客が2組来ている。主人はレウィンを喜んで迎え、「才能のあるフォークシンガーだ」と客に紹介する。食事のあと、かれはレウィンに一曲歌ってくれないかと頼む。レウィンは気乗りしないのだが食事をふるまってもらった手前、むげにいやだとも言えず、しぶしぶギターを取り出す。歌いだすとその家の奥さんが合唱する。レウィンはばったりとギターを弾くのをやめ、「何をしてるんですか」と詰問する。「あら、ハーモニーをつけてるのよ」と奥さん。レウィンは「やめてくれ」と言う。「おれはプロだ」と言って怒りだす。

私には彼の気持ちがよくわかる。プロは当然金を払ってもらう権利があるのだ。それなのに「才能のあるフォークシンガーだ」といいながら平気でただで歌わせようとする。しかもその家の奥さんは彼に断りもせずにハモりだす。まるでパーティーの余興ではないか。

これはフォークミュージックが素人に毛の生えたようなだれにでも手を出せる音楽だという通念が社会にあるからだ。クラシックやジャズの音楽家だったらそう簡単に「歌ってくれ」などとはいえないだろう。まして奥さんが合唱するなどということは夢にも思いつかないはずだ。ところがフォークと名がつくととたんに「くみしやすい」と思われる。

このシーンは当時のフォークミュージシャンの心の葛藤をみごとにあらわしている。60年代のフォークはそれまでのキャンプファイアを囲んでみんなで歌うようなものではないのだ。歌とギターに全存在をかけてメッセージを送った。その音楽性とパフォーマンスはそれまでにないものだった。

自分の音楽を喜んでくれている人たちにも結局はわかってもらえない、という悲しみはほかのジャンルではあり得ないことではないだろうか。

そのギターだが、レウィンはどこに行くにも必ずギターを持って行く。レウィンを演ずるオスカー・アイザックという役者は本物の歌手だそうで、ギターも歌も半端ではない。

音楽評論家のデヴィッド・ハイドゥによると、フォーク運動はそれまでのアメリカの音楽を根本的に変えたという。従来は楽器といえばピアノが中心だった。よく映画で見るように、パーティーでりゅうとしたいでたちの伊達男(だておとこ)やドレスを着飾った令嬢がピアノをひき、みんながそれを聞きながらカクテルと会話を楽しむ、というのが定番だった。ということはピアノを買える階層しか生の音楽を楽しめない、ということだ。それをギターがすっかり変えた。

フォークブームで誰もがギターをひくようになった。これは音楽の民主化だった。1961年にはアメリカ全土で40万丁のギターが売られたそうだ。

もちろんこの話は当のフォークミュージックがインスピレーションを受けた本物のフォーク、黒人のブルースや白人のカントリーの伝統を無視している。これらの音楽では昔からギターが使われていたからだ。しかし「泥臭い」と思われていて社会の主流にはならなかった。フォークブームでギターが爆発的に広まったのはまちがいない。


話は変わるが去年関川夏央さんの「『坂の上の雲』と日本人」という本を読んで私は思いがけないことを学んだ。関川さんは書いている。


1906年12月に戦列に加わった英国戦艦「ドレッドノート」が石炭時代最後の巨艦でした。日露戦争における「三笠」の活躍に刺激され、それをはるかに上まわる実力艦をということで建造された「ドレッドノート」は(中略)その最初の文字からとって日本では「弩(ど)級戦艦」と呼ばれました。第一次大戦直前には英国は(中略)「アイアン・デューク」を就役させ、こちらは「超弩級戦艦」と名づけられました。いま、たとえば松井秀喜のような野球選手を「超弩級打者」とかいいますが、その語源はこれです。


私がこどものころは映画の宣伝に「超弩級巨編」という言葉が踊っていたものだ。とてつもなく巨大だ、という事だ。その語源がこんなところにあるとは知らなかった。「弩」は「いしゆみ」と読む。いしゆみとは今でいうクロス・ボウ、人力ではとうてい引けないような強力な弓に器械をつかって弦を張り矢をつがえる武器をいう。ふつうの弓にくらべて威力が数倍するから、そのために「いしゆみ並み」というのだと思っていた。それは考え過ぎで、弩は単なる当て字にすぎず、「弩級」は「ドレッドノート・クラス」という事だったのだ。

ところが私はドレッドノート(恐れを知らないという意味)という名前の方は昔からよく知っていた。戦艦にくわしいからではなく、ドレッドノートがギターの名前に使われたからだ。

ギターという楽器はナイロン弦をつかうクラシックギターと金属弦をつかうアコースティックギターにわかれる。後者はアメリカで発展したもので、19世紀の終わりまでは比較的小型の楽器だった。室内で少数の人に聞かせるための伴奏楽器だったので、音が大きい必要はなかったからだ。これをパーラーギター(客間のギター)という。

ところが20世紀初頭にそれまでジャズで使われていたバンジョーにかわってギターが人気を得た。しかし圧倒的な音量のバンジョーにくらべるとギターは音が小さい。それでギターのしにせ、C.F.マーティン社がそれまでのものに比べるとずっと大きいモデルを作った。それを「ドレッドノート」型、と名づけたのである。もちろん英国の戦艦にちなんだ名前で、つまり「弩級」だった。

ドレッドノートは胴のくびれがほとんどなく、厚みも増したので深い大きな音が出る。迫力があるので人気を博し、特にカントリーではドレッドノートがスタンダードになった。フォークブームで使われたギターもおおむねドレッドノートだった。

アメリカの影響をうけて日本でも「フォークソング」が60年代から70年代にかけてはやった。ヤマハは1966年に日本で最初にドレッドノート・タイプのギターを売り出した。それは「フォークギター」と名づけられていた。

それから20年ぐらいはドレッドノートの全盛期で、楽器店に行くとアコースティックギターはもうドレッドノート一色だった。そのころテレビでフォーク歌手のイルカが歌っているのを見たことがある。小柄な彼女には不釣り合いに大きいマーティンのドレッドノートを抱えているのを見てちょっと気の毒に思ったぐらいだ。ギターはなにもドレッドノートに限ったことではない。ジョーン・バエズは昔も今も小型のギターを使っている。どのみち電気的に音量を大きくする現代のコンサートではギターの大小などほとんど問題にならない。でも「フォークならドレッドノート」というイメージがあったからだれもがあの大きなギターを弾いたのだ。

ドレッドノートは立って弾く時はまだいいが、座った時にはくびれの間に脚をいれることができないのでやたらに高い位置から手を回して演奏せざるを得ない。身体の大きいアメリカ人ならともかく、私などには手に負えないしろものだ。

映画のレウィンが使っているギターはギブソン社の1920年代のものでドレッドノートよりも前の小型のものだ。それがかえってフォークミュージックの草創期の雰囲気をよくあらわしている。

日本で「フォークソング」がはやったのはアメリカのモノマネだったかもしれないが、その流行は深い影響を日本の音楽に及ぼした。それは「一字一音符主義」がくずれたことである。それまで日本の歌は楽譜の音符ひとつに一つのかな(音)を当てはめるのが鉄則だった。だから英語の歌を日本語に訳したりすると悲しいほど内容のないものになった。それがディランの歌などをまねしているうちに、フォークソングではなにをやってもいいんだ、一音符にたくさんの字を盛り込んだってかまうことはない、ということになった。シンガーソングライターは素人の強みで自分の歌いやすいように無手勝(むてかつ)流で曲を作った。それで日本の歌は一変した。フォークソングの流行がなかったなら、現在の日本のポピュラー音楽の発展はなかっただろう。
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