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ベートーベンハウス |
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2005年6月14日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ チェコ(ボヘミアン)ビーズのネックレス。Top部分は貝ビーズ。上の小さな菓子箱に描かれた女性はシシィ。王妃の身であったが、生涯のほとんどを旅に費やしたといわれる。 |
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なんでウィーンに行くことになったのか…。そもそもフィレンツェへ行くはずではなかったか。
今回の旅は、タイ時代からよく一緒に旅したM夫人と一緒だったが、実はもう一人道連れがいた。アキラさんである。
30歳、独身で、ハンサム、美術が好きな男性、おまけに寡黙で(まるで空気のよう)、いざというとき心強いボディーガードにもなる。旅の仲間としてこれほど得難いお相手がいるだろうか。そんな青年が母親世代の私たち女性2人の旅になぜ同行したか。
「ツアーは気後れする。かといって一人で旅の手配をするのは面倒」
これが、彼の母親であり、私の友人であるM夫人から聞いた彼の“同行の理由”であった。そして主体性のない私は(言い出しっぺであるにもかかわらず)、アキラさんが一度は行ってみたいというウィーンにいくことになったのである。
旅も後半になり、アキラさんは、ウィーン郊外のある画家の生家へ行くと言い出した。もちろんいつものように1人で行くのである。ここでも主体性のない私たちは、彼が行くのと同じ方向にあるハイリゲンシュタットのベートーベンハウスを訪ねてみることにした。
ハイリゲンシュタットは、ウィーン北の森の入り口にある穏やかな丘陵地帯で、ベートーベンゆかりの地として知られている。ウィーンの中心からトラムでわずか25分、6,7階建てのビルの立ち並ぶウィーン市街とは異なり、大きな屋敷の続く閑静な高級住宅街であった。
ベートーベンが難聴を苦に1度は遺書を書いたという「遺書の家」、交響曲6番田園を書き上げた「夏の家」などいくつかのベートーベンハウスと、『田園』の着想を得たという小道や小川などを地図片手に訪ね歩くことにした。日差しまばゆい暑い一日であった。
道に迷い、途方に暮れていたときだった。緑に覆われた小道からジョギング姿の男性が現れた。この男性のおかげで私たちはなんとか、1軒目のベートーベンハウスに辿り付けたのであった。
その記念館にはベートーベンが使ったピアノや自筆の楽譜、とりまく人びとの肖像、遺書などの資料が展示され、中庭のひんやりとした空気が心地よい記念館らしい建物であった。
「There are many Bethoven’s House!」
1軒目の「遺書の家」で、受付の女性はこう言った。 なんとベートーベンハウスは、このハイリゲンシュタットだけでなくウィーン市内やかつてはハプスブルグ家の避暑地だった街バーデン(第9を書き上げた)など、至るところにあるというのだ。
そして驚くのは、これら記念館としてのベートーベンハウス(一戸建てだったり、アパートだったりするが)はたいてい同じ建物の隣に普通に生活する人びとが住んでいたり、ワインケラーになっていたりすることである。なんとも日常の中に溶け込んでいるといおうか…。
辿り着くのに苦労したという意味では、2軒目の「夏の家」もしかり。友人と私は、暑い中を歩き回った疲れから、理不尽な目にあったような怒りを感じ始めていた。立て看板などはなく、地図を片手に番地を探しながら何度も同じ道を行きつ戻りつ…。
ようやくその番地を探し当て辿り付いたが、その建物は、建物の前面上部にそれが記念館であることを示す小さな旗が掲げられているだけで、中は人が住む普通の住宅であるため、観ることができるのは外観だけであった。
多くのベートーベンハウスの存在は、彼が引越し魔だったことを示している。彼は、短い夏の1、2ヶ月、そして長くても半年、1年といった単位でその場所に留まり、作曲を続けていたのだろう。
一箇所にじっとしていられなかったのか、住む場所や土地からインスピレーションを得るためだったのか…。引越しというより、旅のようなものだったのかもしれない。
ハイリゲンシュタットの小道を抱くようにそよぐ木々や、ウィーンの森に続く日当たりのよい葡萄畑の美しい丘陵、奥ゆかしい屋敷のたたずまいなどを見ながら歩いていると、ベートーベンがこの土地を好み生涯11回にわたり滞在したという理由がわかる気がする。
私は、同じくウィーンにゆかりのある音楽家ではモーツァルトやシュトラウスの方が親しみを感じていたが、こうしてベートーベンが愛した土地の空気を呼吸することで、彼の人となり、音楽誕生の秘密に触れた気がした。
そして、生涯を旅に明け暮れたシシィ(ウィーンに生きたハプスブルグ王家の皇妃エリザベート)…。人は何に突き動かされて、どう生きるのだろう。
「それにしてもどうしてこうも不親切なのだろう」とその時は感じた道案内…このすがすがしいほどの媚びのなさにヨーロッパ文化の深さを見た気がした。
そして予期せぬ同行者アキラさん。彼のおかげで、私たち主婦2人の旅はいつもより味わい深いものになった。
「次はどこへ…?」 “ちょっとだけ旅行魔”の友人と私。3人が揃う夕食の時間、そっとアキラさんをみる。彼は静かに、だが、毅然といい放った。
「次は一人で行く!」
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