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縁の下のバイオリン弾き
88 一人っ子政策
2014年2月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ チャン・イーモウ監督の出世作「紅いコーリャン」に主演したコン・リー
中国の高名な映画監督張芸謀(チャン・イーモウ)氏が一人っ子政策に違反したために邦貨一億二千万円の罰金を課されたということが新聞に取りざたされている。こどもが3人いるそうだ。

一人っ子政策は中国政府の大方針だから罰金は当然で逃れられるものではない。しかし問題は張監督のような有名人にとっては一億円という莫大な罰金でもはらってはらえない金額ではなく、となると金持ちであるがためにこどもをたくさん持つことが可能になるという事実だ。貧富の格差を見せつける結果になる。どんなに不合理な政策でも社会全体がそれに取り組んでいる、と思うからがまんしているのに、地獄の沙汰も金次第というのではだれにせよ納得できないだろう。

その反面、政策に協力して一人しかこどもを持たなかったのに、そのたった一人の大事なこどもに早死にされて家庭の幸福も将来の保証も奪われてしまった老夫婦がたくさんいる。

去年のボストンマラソン爆破事件の被害者の一人は中国からアメリカの大学院に留学していた23歳の女性だった。

マラソンを見物に行くことが生死を分けることになろうと考える人はだれもいないだろう。犯人はアメリカがアフガニスタンとイラクで起こした戦争に報復するのが動機だったというから、彼女は無差別テロの犠牲になったわけだ。

現在の中国の若者が一般的にそうであるように、この呂令子(りょ・れいし)さんも一人っ子だった。両親の嘆きと無念は察するにあまりある。成績優秀でアメリカの大学院にはいって将来を嘱望されていた最愛の娘が、自分たちにはまったく関係のない他国同士のいさかいのために殺されてしまった。アメリカなんかにやるんじゃなかったと悔やんでも悔やみきれない心境だろう。

1979年に始められたこの政策はすでに30年以上の歴史を持っている。世界史の上で特筆されるべき大実験であることはまちがいない。

このままでいくと中国は世界最大の高齢化社会になってしまう。また労働人口が現に減っている。そのためにこの政策は今年から緩和されることが決定された。親の片方が一人っ子なら二人目を生んでもいいということになった。過去30年一人っ子政策をとってきて結婚適齢期の男女はほとんど皆一人っ子だからこれは実質的な「二人目解禁」である。


一人っ子政策は人口爆発が止まらない中国の苦肉の策だった。この政策が人権無視であることはちょっと考えてみれば誰にもわかる。現代の中国は兄弟のいない若者で満ち満ちている。兄弟がないのだからいとこもいない。

社会の少子高齢化がすすむ。親は自分の考えで家族を構築することができない。一人以上の子供を妊娠すると半強制的に人工中絶をさせられた。また伝統的に男の子をほしがる観念がわざわいして「産み分け」が行われた。そのために極端に女性の少ない社会になり、一生結婚できない男が増えた。

甘やかされて育った一人っ子は「小皇帝」「小公主(お姫様という意味)」とよばれ、協調性も忍耐力もないわがままで高慢ちきな人間になる。その反面、両親と二組の祖父母の面倒を一人が見なければならないし、彼らからのプレッシャーを肩にがんばらなければならない。その重荷のために精神がゆがんでしまう者がでてきてもふしぎではない。

密かに産んで戸籍に登録されない「黒孩子(ヘイハイズ―闇のこどもたち)」という問題もある。


だいたい人口というものは簡単にコントロールできるものではない。第二次世界大戦のときに日本の政府は「産めよ増やせよ」とかけ声をかけたが結局戦争には間に合わなかった。

戦後になってベビーブームが起こり、われわれ団塊の世代は生まれたときから激烈な競争にさらされた。その数の多さにものをいわせて国際的な経済戦争に「勝った」らしいのだが、 それもバブルの崩壊とともに泡と消えてしまった。

そんなふうだから人口が多いか少ないかがどのように一国の運命に影響するかはだれにもわからない。

でも世界の4人に1人が中国人だ。それほどの人口を何もせずに増加させていいはずがないという中国政府の危惧はよくわかる。この政策が実施された当初はもしこのままの人口増加を許せば中国経済は破綻してしまうという危機感があった。

一人っ子政策というと人工妊娠中絶の強制ということだけに関心が向きがちだが、中国政府は様々な人口抑制策、例えば晩婚、晩産、避妊具、ピルなどを奨励して来た。中絶は最後の手段だ。だれだろうと好き好んで中絶をするはずがない。

一人っ子政策によって4億人の人口抑制ができたと政府は発表している。しかしそれがどれだけの犠牲を払って勝ち得たものだったか、それがよかったのか悪かったのか簡単に判断できることではない。

中国のことだからといってひとごとではない。経済が世界第二位に達した中国の動向はすぐさま世界全体にひびく。


1995年に北京で開かれた世界女性会議で米国代表のヒラリー・クリントンはこの政策を批判した。女性の人権をじゅうりんしているというのだ。

クリントン政権の前のレーガン政権も中国の人口対策には批判的だった。

この点ではアメリカの保守・革新が一致して中国の人口政策を攻撃したということになる。中国にしてみればおおきなお世話だ、ということになろう。

これはアメリカという国の特殊事情による。私が見るところ、アメリカの2大社会問題は銃規制と妊娠中絶である。

銃規制については稿を改めて書くしかないが、妊娠中絶に反対する保守的な層はまた銃規制に反対する層でもある。つまり中絶を「殺人」であるとして非難する人たちが「殺人の道具」を持つ権利を絶対に手放さない、という矛盾した状況になっている。

中絶=殺人という公式はキリスト教のものだ。キリスト教を基盤とする保守派によると受胎の瞬間に人間の生は始まる。したがって中絶は神の意志に反する罪悪だという。彼らがそう信じているのはかまわないが困るのはそれをだれかれなしに押し付けようとすることだ。アメリカでは妊娠中絶が法律で認められているのにもかかわらず、それを実施する病院が爆破されたり、医者が暗殺されたりする。「殺人」を防ぐために殺人をするわけで、このあたりの論理は「戦争を終わらせるための戦争」と同じだ。

「じゃ近親相姦や強姦による妊娠も中絶してはいけないのか」と問われるとそれはいいことにしようとする。それでは神の御意志はどうなるのだ。御都合主義もいいところだ。

どんな理由であれアメリカでのんびりと「中絶はいけない」などと言っていられるのも中国が人口抑制策をとっているからこそではないか。

中国と同じように人口が多いインドは宗教の影響が強い国だから人口抑制策をとっていない。遅かれ早かれ世界の大問題になるのは火を見るより明らかだ。


その一方でフェミニズムの見解によれば女性の人権をないがしろにする政策はそれだけで存在してはならない許しがたいおろかな政策だということになる。

この勢力は妊娠中絶の権利を推進する側なのだ。「生む生まないは女性の権利」を旗印に保守派と戦って来た。しかし「第2子を妊娠したら中絶しなければならない」という強制は「妊娠したら生まなければならない」という強制と同様の女性の権利の侵害と映るのだろう。論理的にはそのとおりだが、それをそのまま他国の切実な現実に応用していいものだろうか。


中国は自国の発展のために一人っ子政策をとっていたのだが、結果としてそれは世界に貢献した。何もしなければ1年間でオースラリア、6年で英国と同じだけの人口が増えてしまう、という調査がある。それが世界の安定に対する脅威となるのは自明のことだ。

もし中国で内戦がおこり、億という難民が世界の他の国に押し寄せて来たら中国の人口政策を非難する国は彼らを受け入れる用意があるのか。人口爆発の結果大気汚染が世界中に広まってもいいのか。

こういうことを書くとそれは人種差別だ、と言われるかもしれない。今すでに人口過密と大気汚染に苦しんでいる中国人をそのままにして我々だけの生活を守ろうとするならそう言われてもしかたがない。

でもそれを全世界の問題として受け止めるならばまたちがった対処のしかたがあるのではないか。すくなくともアメリカのように手厳しく批判するだけでは解決にはならない。

人口を増えるに任せれば、現在のような中国経済の発展はなりたたなかったかもしれず、それは中国人を別の苦しみにおとしいれることになっただろう。

むしろ世界は中国のこれまでの実験に対して感謝してしかるべきなのではないかと私は思う。
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