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縁の下のバイオリン弾き
91 センス・オブ・ワンダー
2014年4月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
私はテレビのない世界を知っている最後の世代に属する。ごく小さいころ、家でとっていた「子供の科学」という雑誌にテレビの絵がのっていた。ラジオは生まれたときからあったけれど、テレビということばも実体もなかった。将来そういうものができるということが書いてあった。

その絵の中のテレビの画面には漫画が描いてあったせいでそれは大変印象深いものになった。ディズニーの漫画が映画館に行かずに家で見られるなんて夢のようなことだったし、それだけでなくその画面には色がついていたからそんなすばらしいものが自分の生きている間に手に入るだろうなどとは子供心にもとうてい信じられなかった。

そのうちに小学校のクラスの友達の間でテレビが話題にのぼり始めた。彼らは毎晩特別な経験をしているように思われた。私たち兄弟はそれがうらやましくて、テレビを買ってくれとうるさく親にせがんだ。

我が家にテレビが入ったのは皇太子つまり今の天皇のご成婚の年(1959年)だった。近所の人たちがその映像を見せてくれといって我が家に集まったものだ。


子供のころにはレコードだってなかった。蓄音機(ちくおんき)と書くとあまりの古さに我ながらあっけにとられるけれど、今みんななんて呼んでいるのだろう。ステレオだろうか。でもステレオができる前に、ステレオではない機械があったのだ。7歳ぐらいのときに子供の雑誌の付録に蓄音機があった。紙で機械がくみたてられるようになっていて、やはり紙にワックスをぬったレコードがついてきた。苦労してくみたててレコードをかけてみるとひどく小さな音量で、しかも大変なスピードで「もーもたろさん、ももたろさん」が聞こえて来た。エジソンの実験室もかくや、という雰囲気だった。

その後本格的な機械を買ったときにはステレオだというふれこみだったのだが、スピーカーが箱の中に二つついてはいるものの、機械自体が小さなものだったためにステレオの意義がどこにあるのか全然わからなかった。デモ用について来たレコードで汽車が右から左に走り抜ける音を聞いた時はなるほどと思ったけれど、オーケストラなんかはすべてが一丸となって鳴り響くのであった。

そういう白黒のテレビや「蓄音機」は今のものとくらべるとこれが同じ機械かとおどろくばかりだ。


また例えばジーンズなどというものも我々の世代が初めて接したものだっただろう。そのころはすそを高く折り曲げてはくのが流行だった。アメリカではこどもに実際の脚より長いジーンズを買って、彼が成長するにしたがってすそをおろしていくのだというような真偽のさだかではない話が伝えられていた。


小学校の低学年だったろう。文房具屋にいったら上等の白い紙で作ったメモ用紙を売っていた。それまでそんなものは見たことがなかった。家でも学校でもワラ半紙という黄色がかったそまつなぺらぺらの紙が使われていて、紙といったらそれしかなかった。それなのに本に使うようなりっぱな紙を落書きにでもなんでも使っていい、という。もったいなさに涙こぼれるような気持ちでそのメモ用紙を買った。


12歳ぐらいだったと思うが、祖母がなくなったので葬式のために大阪に行った。おばの家で食事がだされ、その中にサラダがあった。私は母のつくるサラダが大好きだったのでサラダときいてうれしくなった。それなのに一口食べて思わずはきだしそうになった。なんともえぐい、不思議な味がしたからだ。

それはセロリだった。私はそれまでセロリを食べたことがなかった。その味は今でも舌に残っている。その場面を回想するたびにまざまざとその味を思い出す。

衝撃的な味は確かにセロリだったのに、今ふつうに食べているセロリと同じ味だとはどうしても思えない。いったいこれはどうしたことだろうか。あまりに違うので一時はあれはセロリではなく、せりではないかと疑ったけれど、サラダにせりをいれるなんて聞いたことがない。やっぱりあれはふつうのセロリだったのだろう。

中国料理で使う「香菜」(シァンツァイ)をはじめて食べた時のことも忘れられない。大学生の時だった。新橋の駅の近くに「湯麺大王」というような名前のラーメン屋があった(この「なんとか大王」というのは中国ではごくふつうの店名です)。そこで食べた麺の上にのっていた青い葉っぱがひどいにおいなのでヘキエキした。どくだみではないかと思った…のだが、実はどくだみなんか食べたことはない。しかしもしどくだみの葉を食べたなら、きっとああいう味とにおいがするだろうとその時思ったし、今でも思っている。

店の人に「これなんですか」ときいても言葉をにごして教えてくれなかった。次にその葉っぱにお目にかかったのは香港でのことだ。そして香菜は中国料理になくてはならない香味野菜なんだということを学んだ。毎日食べているうちにすっかり好きになった。でもあの新橋での最初の出会いの味は確かに香菜にちがいないのに、なんだか別の味のような気がする。

メキシコ料理にも使われ、「シラントロ」と呼ばれている。そしてこれはずっと後に知ったのだが、江戸時代には日本でも使われていて「こえんどろ」と呼ばれていた。これはポルトガル語の「コエントロ」から来ている(実物はポルトガル人来朝以前にもう日本にあったそうだ)。英語では「コリアンダー」だ。

1950年代に東南アジアで学術調査をした梅棹忠夫(うめさお・ただお)の著書「東南アジア紀行」(1964年)にこう書いてある。

[(植物学者の小川)のタイ語は、ずいぶん強引な発音だが、気合いで通じる。(中略)「カウ・パッ」とどなると焼き飯が出てくる。カウ・パッを注文すると、ひどく匂いの強い草をのせてくるのがふつうだが、かれはこれがきらいである。そこで、葉山君はかれに呪文をさずけた。
「メ・トン・サイ・パックチー」
かれは大声をはりあげる。かれは、これが文法的にどういう構造の文章なのか、まったく知らないだろうが、とにかくこれで、いつもかれの前には、匂いのする草ののらないカウ・パッが出てくるのだから、たしかに通じているのである。]

この「パックチー」は香菜のことだ。タイ料理が普及した今ではこのことばは日本でもふつうに使われている。でも半世紀前にわざわざこの話を書いたのはその匂いがよほど強烈な印象を残したからだろう。


同じことは最初にコカコーラを飲んだときにも起こった。飲み物だとは信じられなかった。医者がくれる水薬とほとんど同じだと思った。その薬くさい飲み物の味は昔から変わらないのに、今ではすっかりなれてしまって飲むのに抵抗はない。それにもかかわらず、あれはほんとにこの味だったのだろうかと疑う気持ちがどこかに残っている。


そのコーラがまだ存在しないころはジュースが子供の飲み物の王様だった。濃縮ジュースというものがあって、それにはオレンジ・グレープ・パイナップルの3種の味があった。私はオレンジがことに好きだったが、どうしても理解できないことがあった。オレンジとはみかんのことと聞いていたのに、そのジュースはどう考えてもみかんの味ではなかったのだ。冬になれば毎日みかんを食べないことはない。それをしぼったものがこんな味になるはずはない、ということには確信をもっていた。

その謎がとけたのは大学生になって初めて香港に行ったときだった。道ばたに老人がすわって柑橘類を売っている。その時私は生まれて初めてオレンジを見たのだった。それを手にとってためつすがめつしたが、「オレンジ=みかん」の呪縛があまりに強く、みかんに全然似ていないそれが何なのかわからなかった。けっこう小さかったので特殊なレモンではないかと思って「レモン?」と聞いてみたら老人は「ノー、オレンジ」といって比較のために私にもわかる本物のレモンを出して見せた。それで初めて私はそれがオレンジだということを理解したのだ。

香港に行ったことのある人はご存知だと思うが、香港の果物屋にはほとんど店中にオレンジがつみあげてある。店全体がオレンジ色に輝いているように見える。そしてそのオレンジはすべてアメリカからの輸入品なのだ。

店先にオレンジをしぼる器械がおいてあって頼むとすぐにオレンジをジュースにしてくれる。それを飲んではじめてあの濃縮ジュースのなぞがとけた。あれはみかんのジュースではなく、このアメリカのオレンジの味をまねして作ってあるのだ、と。当時の日本は貿易自由化以前でオレンジはなかった。濃縮ジュースは化学的に合成したものだった。

店先で飲んだオレンジ・ジュースの味は新鮮で私には天上の飲み物に思われた。今でも思い出すとその味が舌によみがえる。

最近では日本に帰ってスーパーに行くとパックに入った果汁100%の「みかんジュース」を売っているようになった。なぜ昔これができなかったのだろう。なぜあんないかがわしいものを飲まされたのだろう。


今の日本人にはこんな話をしてもどこか異国の昔話に思われるかもしれない。


でも昔話にもとりえはあって、それは英語でいう「センス・オブ・ワンダー」つまり驚異の感覚である。子供のやわらかな心にこれらの新しい事物はいかに強烈な驚きをもたらしたか。サイエンス・フィクションはこの「センス・オブ・ワンダー」を追求するものだ。しかしエイリアンやティラノサウルスを映画で見なくても、毎日の生活の中に驚異はあった。

なにも野菜果物にかぎったことではない。人間だって同じことだ。たとえば俳優とか音楽家をとってみても、その人が出現したときの衝撃があまりに強く、その後の長い経歴とはなんだかあいいれない感じがする、ということはないだろうか。

ロバート・デニーロにしてもアル・パチーノにしてもアメリカを代表する名優だが、デビュー当時つまり「タクシードライバー」とか「ゴッドファーザー」のころの鮮烈さを思い起こすとその後の数々の映画の中の彼らはまるで別人の感がある。顔立ちだってすっかり変わってしまった。演技力は深まったのかもしれないが、ふたりとも往年の面影はない。

ジェームズ・ディーンとかヒース・レジャーとか、若くしてなくなった俳優がいまでも人気を保っているのも無理はない。それは老け込んだ彼らを伝える映画がないからに違いない。

しかし自分自身のことを考えるとデニーロやパチーノを引き合いに出すのもおこがましい。何のなすところもなく老いこんでしまった私は若い頃の自分をかえりみて同じような驚異の感覚にさらされるのである。私にも可能性に満ちた、光り輝く短い季節があったではないか。その季節をすぎた後の私はほんとうに私だったのだろうか。それとも後の時間のほうがずっと長いから、今の私がほんとうの私で、あのころの私は突発的な変異にすぎなかったとでもいうのだろうか。

あれはほんとうにセロリだったのだろうか。 
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