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フィルムが消える日 |
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2006年1月13日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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ついにその日がやってきた、という感慨がある。ニコンがフィルムカメラからの全面撤退を発表した。一部機種を除いて今後同社が生産するカメラのほとんどはデジタルになる。たぶんキャノンもこの動きに追随するだろう。以前から予想していたことではあったが、「フィルムが消える日」が意外と早くやってきそうだ。
僕が通信社の報道カメラマンをやめたのが1991年。この翌年にこの通信社の写真部長になった人物は、挨拶に訪れた僕に、「自分の目の黒いうちは職場にコンピュータを置くことはない」と豪語した。当時いちはやくコンピュータの世界にはいりこんでいた僕に対する皮肉が含まれていたのかも知れない。それにしてもいまから考えると、この部長は信じられないくらい時代が読めていなかった、ということになるが、時代の変わり目とはそういうものだろう。
その部長の言葉から数年以内に、写真部から暗室が消えた。そして現在、マスコミカメラマンたちの取材は100%デジタルカメラだという。かつてはオートバイを待機させておいてフィルムを送ったものだがそれもいまは電話によるデータ送稿。デスク業務、つまり編集作業もすべてデジタル。たかだか15年しか経っていないのに、その変化のスピードは、そらおそろしいほどだ。
写真のデジタル化にともなって、写真業界全体が大波乱のなかにある。昨年の秋から暮れにかけて、日本のストックフォト業界の1、2、3位企業が忽然と姿を消してしまったのだ。「ストックフォト」といってもご存じない方もいるかも知れない。写真家が撮影したフィルムを預かり(ストック)、写真家に代わってその使用権を販売するビジネスである。つまり写真家のエージェント(販売代理人)のこと。
出版社や広告代理店の近くにオフィスを構え(必然的に所在地は交通の便のいい一等地ということになる)、ロッカーにフィルムを保管しておけば、訪れてくる顧客が希望にあったフィルムを自分で探し購入してくれる。売上は写真家とおおむね折半。昭和40年ごろから日本経済の高度成長にあわせて、この業界かなりいい思いをした。僕の知り合いで、現在でこそ経営にふうふう言っている写真エージェント2代目社長は、今をさること30年くらい前の学生時代は黄色のフェラーリを乗り回していた、というから当時のこの業界の景気の良さが想像できるだろう。
ところがこの業界にもデジタルの嵐が襲う。なにが起きたのか。撮影フィルムをデジタル化し、その画像をデータベース化し、インターネット経由でユーザーに販売する企業がここ10年でぐんぐん伸びたのだ。これがどれくらいすさまじいことになっているかというと。ゲティ(あの石油王の孫が創業者)、コービス(同、あのビルゲイツ)2社だけで、世界のストックフォト市場2500億円のうち1500億円を押さえてしまったという。資本の力にあかせて、フィルムをデジタル化し、大サーバーを通じ世界市場で売りさばいていく。ここ10年で世界の中小規模エージェントのほとんどがこれら大資本に飲み込まれていった。
日本でもどうようの事態がいま進みはじめた。新興のA社が、業界老舗、売上では1、2位企業を買収してしまったのだ。3位は売り上げ不振からのれんをB社に売却。つまり昨年後半の数ヶ月で業界1、2、3位が忽然と姿を消してしまったことになる。いくら世の中全体がITの波に洗われているといっても、数ヶ月のあいだに同一業界内の売り上げ1、2、3位会社が消えてしまうというのは前代未聞だ。それだけストックフォト業界経営者の、IT時代到来に対する危機感の欠如、勉強不足の表れともいえるだろう。
いま業界に君臨するのはIT戦略を着々と推し進めてきたA社である。B社もそれに連なる中規模会社もいずれA社に収斂されていくのではないか、というのが業界筋の観測だ。
読者のなかには、「では中小零細もデジタル化を急げばよいではないか」と思われる方がいるだろう。まさにその通り、従来型のフィルムビジネスの先はない。いちどインターネットダウンロードの味を覚えてしまった顧客は、わざわざフィルムを見るために、エージェントまでは出向かなくなる。検索サイトで画像を探し、クレジット決済で写真はかんたんに入手できる時代になったのである。デジタル路線の選択以外に生きる道はない。
写真データベースをつくるためにはまずなにが必要か。フィルムのデジタル化である。しかしこれが大変。1枚あたり数百円というデジタル化費用であっても、その数が数千、数万となると総コストは莫大なものになる。顧客からみれば、データベースに収まっている写真は多ければ多いほどいい。しかし多ければ多いほどデッドストック(売れない写真)も比例して増える。売れる写真だけで投下資本を回収するためには分母を大きくする必要がある。つまりできるうる限りストック数を増やし、市場を出来るだけ拡大することだ。市場拡大はインターネットが勝手にやる。しかし、その前提になるのは大データベース構築と、相当量のコンテンツ(写真画像)の蓄積だ。となると結論はあきらかだろう。「資本力の差」ということになる。中小零細にはまったく太刀打ち不可能な世界だ。
読者から想定される次の質問。「フィルムのデジタル化にお金がかかるのなら、カメラマンがデジタルで最初から撮ればいいではないか」。その通りなんですね。
デジタルカメラで撮影された画像→データベース→インターネット
この流れができればあとは大きなデータベースと配信システムさえ作ればいい。フィルムカメラの消滅がこの流れを大きく加速するだろう。
ただし、プロ写真家、特にいま40歳以上の写真家でデジタルカメラを自由に使いこなせるひとはほとんどいない、といってもよい。たぶん写真家全体の10%にも満たないのではないだろうか。そこで今後予想されるのは、デジタルに対応できない写真家の廃業に向けた動きだろう。現にフィルムカメラしか使えない写真家の仕事がどんどん減っている。写真家もまたデジタル時代への準備を怠ったといえる。
とはいえ、プロ写真業界でフィルムというメディアが生き延びる時代はまだ数年は続くだろう。残されたこの数年のうちに、写真家はデジタル武装化をどんどん進め、ストックフォトエージェントは既存フィルムのデータ化をどんどん進める。それが出来ない写真家や企業は市場からの退場を余儀なくされる。
僕の予想では業界の大混乱は少なくとも5年続く。多くの企業と個人の淘汰が繰り返されるなかで、アナログからデジタルへの置換がどんどんすすみ、そしてふと気がついたとき、写真の世界はすっかりデジタルになっていた、というようなことになるのだろう。それは「むかしはフィルムというものがあったんだってさ」と子供たちが話すであろう時代の到来である。
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