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ボーダーを越えて
146 黄昏の親子関係
2009年4月11日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ お気に入りのマッグを持つアイネズさんの手。
▲ 満百歳のお誕生日祝いをしたときのアイネズさんとシャーリー。

「ハロー!」
大声でそう言いながら、私はシャーリーの家につかつか入って行きました。シャーリーとは30年以上のお付き合い。歩いて5分の所に住む隣人でもあり、お互いの家の鍵を持っています。数分前に彼女が出かけ先から電話をしてきて、用事に手間取っていて、家にお母さんを1人で置いてきたのが気になるということでした。それで私はシャーリーが帰宅するまで、彼女のお母さん(アイネズさん)のお相手をしようととんで来たのです。

アイネズさんはその1週間前にシャーリーの家に引っ越してきたばかり。これまでの3年間住んだ高齢者ホームを引き上げて、娘のシャーリーと二人暮らしを始めることにしたのです。

リビングルームに入って、びっくり。そこにはアイネズさんだけでなく、全く見知らぬ男の人もいるではありませんか。遠い親戚かしら?と一瞬思いました。ほとんどのアイネズさんの親類には会ったことがあるのに、この人には全く見覚えがありません。がっしりした体格の大男ですが、私が足を踏み入れるまで二人で仲良く歓談していたような雰囲気がします。いったい誰だろう?と思っていると、その男の人が私に「シャーリーさんですか?」と聞きます。いいえ、と答えると、その人は「私は電話会社の者なんですけどね、2つ目の回線が通じないということで、その修理に来たものの、ジャックがどこにあるのかわからないんですよ。それでシャーリーさんが帰るまで、この方のお相手をしていたんです」などと言いました。

まぁなんて気が長い…というか、優しいのですね、この電話修理員は。さいわいにも私はアイネズさんの寝室となった部屋に回線が必要なことを知っていたので、この人は早速仕事にかかることができ、私はアイネズさんのお相手をしました。「1人でいるのは大丈夫」と、気丈なアイネズさんはいつも言うのですが、私が行くたびにとってもうれしそうな顔で迎えてくれます。それにシャーリーはやはり心配なのです。

去年の11月24日のトップページで、アイネズさんは101歳のお誕生日を元気に迎えたことをご紹介しましたが、今年の始め、アイネズさんは鼓動が不規則かつ少なくなり、元気がなくなってしまいました。それで1晩入院してペースメーカーを付ける手術をしました。それで鼓動は正常になったものの、ちっとも前のような元気が出ません。食欲をなくして食べないので元気が出ない。元気がないので食欲も湧かない、という悪循環になってしまいました。その頃のアイネズさんは1週間ごとに急速に1年老いていくような感じでした。それでシャーリーが付きっきりになりました。そのシャーリーも、いくら若く見えても80歳になりましたから、クタクタ。ときどき私も代わってお手伝いしましたが、恒常的には引き受けられません。それで1日24時間の付添人を週5日雇ったのですが、1週間に千ドルという費用がかかっても、シャーリーの心配は減らず、相変わらずホームへ母親の様子を見に行き、シャーリーの心身への負担も減りませんでした。

週末に母親を自分の家に連れてきてリビングルームで静かに日向ぼっこしているとき、シャーリーはその平穏さに心が休まり、思わず、「こうやって一緒に静かにいられるのがうれしいわ。お母さんがうちに引っ越して来てくれればいいのだけど…」と言いました。すると意外にもアイネズさんが「私もそうしたい」と言ったのだそうです。あれほど頑として、同居はしたくないと言っていたお母さんなのに。それだけ身体が弱ってきたのかもしれませんし、そんな自分に自信がなくなったのかもしれません。もともと母親に同居してもらいたかったシャーリーは、善は急げとばかりに引っ越しをトントンと進めました。

シャーリーのお父さんが亡くなられたのはちょうど30年前のことです。それ以後ずっとアイネズさんは同じコンドミニアム(日本で言うマンション)で一人暮らしを続けました。そこは寝室が2階にあります。アイネズさんが90歳を過ぎたころから、シャーリーはだんだん心配になって来ました。まだまだ元気で、週に1度の友だちとの朝食会には自分で運転して行くほどしっかりしたアイネズさんでしたが、階段から転げ落ちるというようなことが起こらないとも限りません。シャーリーの家からアイネズさんのところまでは道路がすいていても1時間半はかかります。それでシャーリーは同居への説得を始めました。

が、アイネズさんは、我が娘とはいえ、人の世話にはなりたくないという気持が固く、動こうとしません。それでやっと、シャーリーの家からそう遠くない所にある高齢者ホームに移ることにお互いが譲歩し、アイネズさんは98歳になったときに、長年住み慣れたコンドミニアムを売り払って、設備のいい高齢者ホームに移って来たのです。

気丈でも温和で、ユーモアのあるアイネズさんは、たちまちホームの人気者になりました。友だちもいっぱいできて、毎日のようにトランプゲームやビンゴに誘われたのです。ところが、今年になってから、アイネズさんは自分の部屋から出る元気もなくしてしまったようです。

「母は人生の最後に達しているんだと思うわ」と、シャーリーは淡々と言います。残されているのはあと数ヶ月かもしれない、とも。
「でも、わからないわよね、私の方がぽっくり先に逝っちゃうかもしれない」と、言ってシャーリーは笑いました。

個人主義のアメリカとはいえ、中年や熟年に達した娘や息子が年老いた親と同居して面倒を見るというケースは、意外と多いのです。ラジオやテレビでもよく取り上げられ、インターネットを検索してみて、親の世話に関するサイトが無数にあるのにびっくりしました。どんな社会でも、親子関係の絆は深いものなのですね。母が若死にし、父も既に他界している私は、老いていく親の心配から免れているわけですが、それでトクしたとはもちろん思っていません。むしろ、生きていく上での自然の経過から少々外されているような気がしています。その意味でも、アイネズさんが近くにいてくれることで私が得られるものはかけがえがないと思います。

この日曜日(12日)はイースター(復活祭)です。私はお祝いなどしたことなどありません。無信仰のシャーリーも同じです。でも、「今年はいっしょにイースターのブランチをしましょう」と誘ってくれました。アイネズさんを中心に一緒に集う時間をできるだけ持とうという考えからでしょう。私も楽しみにしています。

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