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114 「プラハの春」、「ベルリンの秋」、「ウィーンの冬」
2010年9月10日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。












































































「プラハの春」、「ベルリンの秋」、「ウィーンの冬」


もうどなたも聞き飽きておられることと存じますが、今年の夏の酷暑は本当にひどかったですね。どちらかと言いますと、寒さよりは暑さに弱い私は、ほとんど「夏眠」状態で7月、8月を過ごしておりました。熱中症という言葉も、残念ながら、とても身近なものになってしまいました。

でも関東地方では、先日の台風を期に、あの猛暑もほぼ終息が近い雰囲気になってきましたね。そんな中で、私もそろそろ夏眠を脱して、通常の活動に入りたいという気持になってきました。

そこで、まずは読書の話題からスタートさせていただきます。上記のタイトルは、中部ヨーロッパを舞台とした3部作とも言える小説の題名です。春江一也氏という、かつて外務省職員としてプラハ、東ベルリン、西ベルリン、ハンブルグ、ジンバブエ(アフリカ)、ダバオ(フィリピン)に在外勤務した経験を持つノンキャリア外交官だった人物が書いた作品です。

春江氏は、1962年に外務省に入省し、2000年に退職しておられますので、38年間、外交官として様々な体験をしたことをベースにして、上記の3作をはじめ、「カリナン」、「上海クライシス」という作品も書いておられます。実は私はこの5冊とも全部読みました。いずれも読み応えのある、読後に心に何か残る力作だと思います。上記3部作を含めて、5つの作品の初版本発行年月は以下の通りです。

プラハの春     1997年 5月
ベルリンの秋    1999年 6月
カリナン       2002年 6月
ウィーンの冬    2005年11月
上海クライシス   2007年 4月

ということは、最初の2冊を世に出した時は、氏はまだ外務省の職員であったわけです。

氏は法政大学経済学部(二部)を卒業後、外務省に職を得た方です。東京大学法学部を卒業して、外交官試験に合格して入省した、いわゆるキャリア組とは異質な存在であったわけです。

官僚の世界では、キャリアとノンキャリアでは、天と地ほどの差があるのだそうですが、氏が体験した、ノンキャリアとしての悲哀や義憤が、これらの作品を生み出すエネルギーの一部となっていることは、読みながら痛いほど感じました。

小説「プラハの春」は、1968年8月21日未明、ソ連とその衛星国が、当時のチェコスロヴァキアに60万人もの軍隊を送り込んで、チェコスロヴァキア全土を力ずくで制圧した事件を中心に描かれています。

その頃、チェコスロヴァキアはドゥプチェク体制のもとで、社会主義社会の大改革を決断し、実行しようとしていた最中でした。ソ連はその改革を軍事的、政治的に押しつぶしたのです。私もあの夏のことは鮮明に覚えています。大学3年生の夏のことでした。

「静かな美しいプラハの市街は一夜にして、硝煙と戦車の走る轟音と学生のシュプレヒコールに包まれてしまった。いつも微笑みを忘れなかったドゥプチェクはどこへ行ったのか。チェコスロヴァキアは自らの統制力を失った。変わらないのは、ブルダヴァの静かな流れのみである。」

これは春江氏が、当時の在プラハ日本大使館2等書記官として、チェコ国内と他国を結ぶ通信手段がほとんど切断された中、命がけで占領軍に隠れて秘密裏に通信回線をつないでくれたプラハの人々の助けを借りて、8月22日午後1時43分に東京の外務省に打電した公電の一部です。

小説の中で、春江氏とおぼしき若い書記官は、侵略者に抵抗する学生達のリーダーに対し、「私は少しでも多くのことを正しく知り、少しでも多くの人々に語り伝えよう。私は諸君の悲しみを死んでも忘れない。」と約束しています。おそらく氏のその時の気持だったのでしょう。

ソ連のブレジネフ、東ドイツのウルブリヒト、ポーランドのゴムルカ等、スターリン的な硬直した独裁者達が、「人間の顔をした社会主義」の芽を力ずくで押しつぶしたのです。ちょうど1956年秋のハンガリー事件の時のように。そうしないと自分達の体制も危うくなることに、権力にしがみついていた独裁者として感じていたからだと思います。その勘は、ある意味では当たっていたわけで、結局1991年に、周辺衛星国がすべて崩壊した後に、ソヴィエト社会主義共和国連邦は解体しました。人間を人間として扱わない権力体制のいわば当然の帰結でした。

ちなみに小説の中で、この公電に関して、「名文と言われているそうだが、ノンキャリアがいい気になって出過ぎたことをするんじゃない!」と霞ヶ関の外務省キャリアが主人公に嫌みを言う場面がありますが、これもおそらく春江氏が実際に体験したことの一部なのでしょう。

小説「ベルリンの秋」は、「プラハの春」から数えて21年後の1989年、「ベルリンの壁崩壊」とその後の東ドイツ(DDR)消滅への過程で、これらの国々の人々が体験しなければならなかった痛みと悲哀を、外交官としてだけでなく、渦中に居た人間としての気持を込めて書き上げたフィクションですが、事実もかなり踏まえていると感じました。

シュタージ (Stasi = Ministerium für Staatssicherheit = Ministry for State Security) という、悪名をとどろかせた東ドイツの秘密警察組織は、彼らが確保した非公式協力者 = 密告者 (Inoffizieller Mitarbeiter = IM) を含めると、なんと当時の東ドイツの総人口の1割以上の人数になってしまい、それによって国内のあらゆる反体制的活動の芽を根絶していたわけです。これはもう人間らしさをまったく失った暗黒の世界と言わざるを得ません。現在の北朝鮮や、戦前の大日本帝国の思想統制を想起させます。

権力は必ず腐敗すると共に、己に従順でない思想を徹底して排除しようとします。春江氏が書いているように、権力は本来、悪なのです。だからこそ、権力は分散されるべきであり、所業の内容はできる限り公開されるべきなのです。どのようなイデオロギーに基づくものであれ、独裁は人間の業として許してはいけない体制です。春江氏の作品は、そんなことも感じさせてくれました。

「ウィーンの冬」は、ソ連崩壊直前の北朝鮮、日本のカルト教団(オウム真理教をモデルにしています)、過激派イスラム原理主義グループ等のテロ集団との秘密裏の戦いがテーマですが、そういうことが密かに行われていたのかもしれないなあ、と思える内容でした。核兵器や生物科学兵器がテロ集団の手に入ったら、というのは現在も存在する危険で、しかも非常に可能性の高い危険なのです。世界はどうしてこんなことになってしまったのか。あらためて人間の業を思わざるを得ません。

「上海クライシス」は、現代中国のアキレス腱のひとつ、西域問題がメインテーマです。ウイグル人が多く住んでいる、新疆ウイグル自治区の問題です。中国政府の明確な意図のもと、この地域には漢族の流入が続き、2000年の時点で、漢族の人口が41%に達していましたので、現在ではウイグル人の人口は圧倒的多数ではなくなっていると思われます。

本来、異なる風土に住む異なる人種であったウイグル人を、武力と資本力でねじ伏せ、この地域に埋蔵されている豊かな天然資源の獲得を視野に入れて、「自治区」とは名ばかりで、実質的には自治権などまったく与えず、あの地域全体をウイグル人から完全に奪い取ろうとしている現状を踏まえています。北京オリンピック前の新疆ウイグル自治区、ウルムチのウイグル人による暴動と、中国当局によるその弾圧のすさまじさは、限られたものながら、世界があの時、垣間見たことですね。春江氏のこの作品は、2009年に起きた暴動の2年以上前に書かれており、はからずも氏の慧眼を証明することになりました。今後も目を離せない問題です。

新疆ウイグル自治区にはまた、ロプノール周辺に中国の核実験場があります。1964年以来、中国政府により数十回の核実験が行われ、深刻な人的、環境的被害があると言われております。秘密主義の独裁権力と、外国人が立ち入ることのできない遠隔地のためその被害の実態は必ずしも明らかになってはいませんが、これまでの中国政府のやり方を見ていると、かなり深刻な被害があると思わざるを得ません。白血病や奇形など、悪性の病気が蔓延している状態は、この小説の中でも取り上げられています。

世界はこの先、どうなっていくのかと暗澹たる気持にさせられることが多いのですが、この春江氏という方は、70歳代の方と拝察しますが、語るべきことをたくさん持っている方の若さを感じます。精神年齢というのは、たしかに大きな意味があるとあらためて痛感した次第です。

ちなみに、「カリナン」という作品につきましては、2年前に私が当社のブログに2回に渡って書き込んでおりますので、もしもご関心をお持ちになった方は、以下のURLをご覧いただけたらうれしく存じます。

カリナン (Calinan) その1
http://www.el-saito.co.jp/cgi-bin/el_cafe/cafe.cgi?mode=res&one=1&no=3331

カリナン (Calinan) その2
http://www.el-saito.co.jp/cgi-bin/el_cafe/cafe.cgi?mode=res&one=1&no=3333

読書は何と言っても私の最大の楽しみのひとつです。早く、本格的な読書の秋が来てくれることを願いつつ、これらの本のご紹介をさせていただきました。

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