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春のワルツ |
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2007年3月5日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ 春の色を集めて…。ヴィンテージビーズを使ったチョーカ風ネックレス。 |
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▲ ピアスは3種つくった。少しずつちがう。デザインが決まらないのもまた楽しい。 |
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▲ 一面の菜の花畑は、ドラマ「春のワルツ」の原風景として毎回登場した。菜の花の咲く小さな島の風景がとても美しかった。 |
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韓国ドラマ「春のワルツ」が終わった。結末をあれほど楽しみにしていたというのに、いざ最終回を見始めるとなんだかがっくりした気分になった。ドラマが完結した後に残る虚脱感をまた感じなければならない…そう思ったからだ。 一つの季節が終わると、次の季節へ進まなくてはならない。ハッピーエンドであっても、なぜか切なさが残る。ドラマの終わりとともに自分の一部も終わってしまう…そんな気がするのである。 「韓流ドラマにはまっている」というと、私の年齢の女性にはなにも珍しいことではないので、一笑に付されるかもしれないが、好きなものは好きなのだ。それに比べて、最近、日本のTVドラマを見る気がしないのはなぜだろう。
NHKで放送されたドラマ「春のワルツ」は、あの「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督が四季シリーズの最後に手がけたドラマである。毎回やさしい気分になれ、なんだか心地よく、タイトルにある「ワルツ」のようにふわりと終わってしまった。だからといって、内容が物足りなかったというわけではない。むしろ、淡々と登場人物たちの気持ちが描かれたこのドラマが私はとても好きだった。主人公の重たい生い立ちの秘密(これは韓国のドラマによくある設定ではあるが)を核にしながら、登場人物たちはそれぞれに痛々しいくらい悩み、苦しむ。 ドラマには、悪人は登場しない。それは、この監督の作品の特徴なのだが…。描かれている人物たちは、とてつもなくお人よしだったり、愛に関して物分りが悪かったり、嫉妬深かったり、おろかなほど盲目的で一方的に恋人思いだったり、親バカだったり、生活やお金にだらしなかったりするが、ドラマを通して見ると、結局みんな好人物である。 韓国のドラマや映画は、多かれ少なかれ「情」を描いている。それは、戦争映画であっても同じで、描かれているのはごく限られた、狭い人間関係における濃密な情の世界であることが多い。ドラマの背景が、ウィーンの街や韓国の小さな離島であっても、情の世界を描いたという点ではこのドラマも共通している。 それでも深刻すぎず、毎回風が吹いているようなさわやかさを感じるのは、配役や、主役のソ・ドヨンが歌う美しく胸を打つテーマソングや、ユン・ソクホ監督の持ち味から来るものなのだろう。 韓国ドラマは基本的にとても饒舌なものが多い。この監督のドラマのように、寡黙さと静かな表情だけで豊かな感情を表現する作品は少ないように思う。そして、韓国のドラマにはクラシック音楽がとてもよく似合う。実際にBGMとしてクラシック音楽が、さりげなく使われている。現代を描いていても、人々の心の風景(人間関係)に“古典”ともいえる部分が多分に残されているからだろうか。 「韓国ドラマは、頭でなく情で見るものよ。情(感)を共有すれば、それだけで充分」 といったのは、韓国と付き合いの長い友人のOさんである。「冬のソナタ」にはまる知人たちを横目に、なんとも辛らつなことばを投げかけていたが、ひょんなことからとうとう「冬ソナ」にはまってしまった…と、彼女はある日、きまり悪そうに告白した。 理性や頭でとらえようとするより、それぞれの登場人物の情にどっぷり付き合うのが“韓流ドラマの正しい?見方”ということであろうか。 そうすれば、登場人物たちの気持ちいいくらいの正直さやまっすぐさに共感し、忘れ去ったはずのさまざまな感情が呼び覚まされる。彼らの気持ちに寄り添うとき、(濃密な人間関係は、今の日本人にはちょっと重たいと感じられるかもしれないが)、少しだけ気になるご都合主義的なストーリー展開を補ってあまりある魅力が韓国ドラマにはある。 人を思う心の純粋さ、濃密な感情、無防備に人を信頼する気持ち…そんな忘れかけていた「情」の世界へと私たちを誘ってくれる。
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