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縁の下のバイオリン弾き
137 スピリチュアル
2017年5月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ サー・アーサー・コナン・ドイル。シャーロック・ホームズの生みの親は晩年心霊現象の研究に心血をそそいだ。
「寝ているところを起こして、時間ですからって睡眠剤を飲ませるんだぞ。すごい病院だろう」

これは去年なくなった永六輔さんの著書「大往生」に出てくることばである。この患者さんの「あいた口がふさがらない」といった表情を想像して、悪いけれどケラケラ笑ってしまった。私も大病をして入院したことがあるので「すごい病院だろう」という気持ちはよくわかる。

たいていの人が病院に対して抱いているイメージはこんなところに落ち着くのではないだろうか。病気になって治したくとも、理不尽なあつかいをがまんしなければならないのだ。

それでも病気が治ればいい。もう手の施しようがない、なんてことになったら悲惨だ。病院はなかなか簡単には死なせてくれない。

ホスピスの「終末治療」はそのような状態になった患者さんのためにある。なるべく人間としての尊厳をたもって、安らかにあの世に送り出すことを目的としている。

「あの世」と書いたけれど、我々は本当に「あの世」を信じているのだろうか。「大往生」でも何度もふれられているように日本人の大部分はあまり宗教的とはいえない生活を送っている。もちろん確固とした信仰に生きる日本人もたくさんいる。そしてそのような信仰を持つ人々のほうが人生の最後にはおだやかに死ねる確率が高いそうだ。

でも改めて「あの世」があると思いますか、と問われて、確信を持ってはいと言える人は少数派なのではないだろうか。あったらいいな、とは思っているけれど、結局は「わからない」という人のほうが多いのだろうと推察する。

この世は仮の世だ、ほんとうの生活は死んだ後にある、ということを心の底から信じることができたら人生はどんなに楽になるだろう。われわれはどんなにりっぱな生活を送ることができるだろう。でも現実は金をもうけることに一生懸命になったり、名声にしがみついたりしてドタバタやっているうちに一巻の終わり、ということになる。「死んでも死にきれない」とはこのことだ。

それでは日本に宗教はないか、といえばそんなことはない。仏教にせよ神道にせよ日本人の生活に深く根をおろしている。だからたいていの日本人は海外にでて宗教を問われるとすこしうしろめたい気持ながら「仏教徒です」ということになる。

それはうそではない。でも熱烈な信仰が日常を支配している人は少数派で、たいていは冠婚葬祭のときにしか宗教を思い出さないだろう。

学問の神様、菅原道眞(すがわらみちざね)にしてからが、「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」、つまりきれいな心を持ってさえいれば神社に行かなくても神様は守ってくださるだろう、と虫のいいことをいっている。これが大部分の日本人の宗教観ではないだろうか。その彼に受験生が大挙してお願いに行くのだから矛盾している。


私は子供のころキリスト教の学校に通っていまだにその影響から逃れられない。でもその結果無神論者になった。あまり聞かれることはないけれど、聞かれたら「無神論です」と答える。

アメリカは圧倒的にキリスト教が強いからこれは簡単なことではない。アメリカでも宗教の衰退はあきらかだけど、だれにも共有される文化としての宗教は強い力を持っている。正面切って神を否定する、というのはほとんどその文化に対する挑戦といっていい。だからふだんろくに教会に行きもしない人間が無神論には激しく反応する。そのためにアメリカで宗教を信じない人はたいてい無神論とはいわず、「不可知論」をとなえる。ようするに「わからない」ということでこれは一種のことなかれ主義だ。

その一方、はっきり無神論をかかげるアメリカ人の無神論者も存在する。社会が社会だから彼らはいきおい戦闘的になる。やっきとなって神が存在しないことを証明しようとする。しかしそれは証明できないことを証明しようとするものだから、「神学者の論争」(どうでもよいこと、という意味)にならざるをえない。信者を論破しようとする姿勢がだんだん宣教師に似てくる。そのために彼らの無神論は「ありゃあ無神論という名前の宗教だよ」と皮肉られることになる。

私は日本人なのでそういうアメリカ的な無神論とは縁がない。ひとさまはご随意に、私は信じません、というスタンスである。

宗教を敵視するアメリカの無神論者とちがい、私は宗教を尊敬している。もっとも信じていないのだから、宗教の側から見たらあまり歓迎できるような尊敬ではないかもしれない。

宗教がなかったなら、芸術は生まれなかっただろう。芸術は過去には宗教と宮廷をスポンサーに発達してきた。無上のものにあこがれる心がなかったら芸術は成り立たない。美術にせよ、音楽にせよ、文学にせよ、宗教を背景にして生まれたものをのぞいたら世界にどれだけの芸術が残るだろうか。

だからマルクスのように「宗教はアヘンだ」と切り捨てることができない。


アメリカで日本語を教えていて面白いと思ったのは英語にならない日本語、またその逆の日本語にならない英語だ。後者に属する英語のことばに「スピリチュアル」がある。

英語で「メンタル」「サイコロジカル」「スピリチュアル」と表現される別々の分野が日本語ではひっくるめて「精神的」と訳されてしまうことが多い。日本人にはこれらの区別がわかりにくいのだ。

メンタルというのがもっとも一般的な「精神的」だろう。サイコロジカルといえば「心理的」ということになるが、病院では心理科とはいわず、精神科という。

スピリチュアルは肉体に対する魂のがわのことをいう。特定の教義を奉じていれば「レリジャス(宗教的)」ということになるが、スピリチュアルは宗教という枠におさまりきらないもっと広い範囲のことを指す。しいて訳せば「霊的」ということになるのだろうが、このことばはほとんどキリスト教の専売で、一般的ではない。

単に霊というと日本では「背後霊」とか「大霊界」とかいう連想がはたらいて、なにかおどろおどろしい、まともにむきあえないような概念をふくむことばだと受け止められているのではないだろうか。

もうなくなった私の母親は毎朝のぼる太陽に手を合わせておがんでいた。それは別に太陽が神様なのではない。われわれ人間を超えたふしぎな自然の力のシンボルが太陽なのだ。そういう気持は誰の心にもひそんでいる。自分には手の届かないある高みにむけて、かなわぬまでも努力はしたい。肉体だけの欲求にしばられる人生はごめんだ。さきほど芸術について書いた「無上のものにあこがれる心」がスピリチュアルということではなかろうか。たいていの日本人はそれを「宗教的」とは考えていない。それをどう日本語で言いあらわせばいいだろう。


ところが、こうやって「スピリチュアルは日本語にならない」と大学で教えてきた私がそれを修正しなければならないはめになった。私が知らなかっただけで、日本では「スピリチュアル」という英語自体がすでに十分受け入れられて、れっきとした日本語になっているのだった。

ではその外来語としての「スピリチュアル」の意味は、というとこれが「心霊現象」のことなのだ。先ほど書いた「背後霊」を代表とする亡霊の世界、つまり「あの世」のもろもろを総称してスピリチュアルというらしい。アメリカでもそうだが、日本でもこの「スピリチュアル」を種にした産業がとても盛んなようだ。私はそのことを知ったとき、自分が抱いていたこのことばのイメージとのあまりの違いに驚いた。

どんな宗教でも霊魂の不滅をとく。人は死んでもたましいはなくならない、というその考え自体に私は不満をもつものではない。問題は霊魂の不滅を商売にする人々だ。

死んだ家族や友人と言葉をかわすことができたなら、というのはだれでも持っている願望だろう。しかしその切実な願いにつけこんで金をもうける、というのは許せない所業だ。

リンダは霊の実在を信じているが、死者と交流できる特殊な能力を持っている人はその力を世のため人のために役立てるべきで、自分の利益にしてはならないと考えている。

そのような人のことを霊媒(れいばい)という。古いことばだから、ひょっとしたらスピリチュアルとおなじように今では英語の「ミディアム」のほうが使われているのかもしれない。

リンダといっしょに心霊現象研究の大会に参加したことがある。霊媒の講演に出席したら、その男性が「このなかで霊の存在を信じない人がいますか」とたずねる。うそをつくわけにはいかないと思って手をあげたら私ひとりだった。霊媒は「君、インディアンにかこまれたカスター将軍みたいな気になりませんか」と冗談をいった。まったくその通り、というほかない。心霊現象に興味がなくても、アメリカ人の大部分は霊の存在を信じているのだ。

もうなくなったけれど、日本でもけっこう名前が知られているアメリカの有名な霊媒にシルビア・ブラウンという人がいた。たまたま行った本屋で講演会をやっていたので聞くともなしに聞いた。守護天使といって、人間一人一人についてその人を守ってくれる霊の存在を熱く説いていた。

聴衆のひとりが手をあげて「僕の守護天使の名前がわかりますか」と聞いた。シルビアさんはこともなげに「あなたの守護天使はケビンといいます」とアメリカによくある名前をあげた。質問した人はそれで納得したようだったけど、私はあっけにとられてしまった。もし彼女が東京に来て、おなじ質問をされたら何と答えただろうか。

たとえば私がなくなった先祖と交感したいと思っても、アメリカでの霊媒なら使うことばは英語だろう。死者との交流にことばは関係ないと彼らはいうかもしれないが、私にとってみれば、日本語を話さない先祖などとても信じることはできない。

以前雑誌で読んだ投書のことを思い出す。あるアメリカ人女性が「私は一生ブラームスの音楽を愛してきました。死んだらブラームスに会っていろいろ話をきけることが楽しみです」と書いていた。私はほんとうにびっくりした。歴史を通じて何億兆にのぼるともしれない無数の死者の中からどうやってブラームスを探すのか。それともあの世にはそのような困難は存在しないのか。いずれにしても、そのような願いを持って死ねる人はうらやましい。

こんなことを書くと、敬虔(けいけん)な信者をバカにしている、と思う人もいるかもしれないが、私はけっしてそんなつもりではない。人間に肉体と精神があるのは厳然とした事実である。ただ魂の不滅が信じられないだけだ。「死んでからきっとびっくりするわよ」とリンダはいうのだが。

宗教のお世話にならなくても、魂をゆすぶり、おもいがけない高みにひきあげるきっかけはいくらもある。どうせ死ぬんだからそんな経験が何になる、と考えてはならない。たった一度の人生で、これで終わりだからこそ、そのような経験は意味があるのだと思う。神様の保証なし。なんの見返りもない。それがわかっていて、それでもスピリチュアルに豊かな人生を送ることができたなら、もしできたなら、それこそ生きたかいがあったというものではないだろうか。

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