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アフリカ 〜エチオピア・アディスアビバに旅してから |
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2020年1月2日 |
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 | 原田 美佳 [はらだ みか]
東京都出身。学生時代から長年関わった韓国文化院を2015年末に退職。現在は、日本ガルテン協会の広報部長の仕事をしながら、これまで関わってきた韓国文化を日本に紹介するための著作、交流活動を中心に自分のライフワークを模索中である。共著書に『コンパクト韓国』(李御寧監修)、『読んで旅する韓国』(金両基監修)、「朝鮮の王朝の美」、『朝鮮王朝の衣装と装身具』などがある。 |
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▲ ボレ国際空港 ボレ国際空港 |
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▲ 王の館 エントット山 |
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▲ アディスアベバ・ライトレール |
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アフリカというと、まだまだ大草原だったり、サバンナ、野生の王国のようなものをイメージしがちだ。数年前に、妹についてエチオピアに行くことになったときに、首都のアディスアベバといってぴんと来るものは正直なかった。 エチオピアには古事記よりも古い神話「ケブラナガスト」が存在する。BC1000年に、ソロモン王とシェバの女王の息子であるメネリク1世が初代皇帝として即位。 また、世界の中で、約3000年の皇室の歴史を共有するのが、日本との二国だともいわれるが、1974年、最後の皇帝ハイレ・セラシエを最後に皇室が途絶え、エチオピア帝国は、革命をもって現在の「エチオピア連邦民主共和国」へと姿を変えた。エチオピアは、アフリカで独立を守り抜いた栄光の国でもある。 このように、ソロモン王とシェバの女王、皇室外交、支配されたことのないアフリカの栄光の国…とはいえ、誰でもああという知名度の高さは、やはり東京五輪でも走った裸足のアベベ選手と、エチオピア・コーヒーだろう。
ドバイ経由、パリ経由などがあるが、エチオピアに直行便というのがあるのもちょっと驚きだったし、アディスアビバに到着すると、乗り継ぎ便にみな走るようにして散っていった。私たちもエチオピア航空機を降りて、皆の後を歩いていたらうっかり乗り継ぎ方向に行くほどだった。エチオピアで降りた人はあまりおらず、まさにアフリカ各地への中継地であったのだ。 市内に行くと、中国人などによる建築ラッシュでもあるが、けっこうビルがずらりと並び、上を電車が走り、車も渋滞する新興国の大都会であった。
アディスアビバは2500mの高地にあるのだが、初日に3000mのエントット山というので高度をおもうと大丈夫かと心配したが杞憂であった。ここには、1876年に建設されたマリアム教会とメネリク2世の時に置かれた王の館がある。 眼下の町を一望して名づけたのが首都アディスアビバ(アムハラ語で新しい花)だ。 王の館は、韓国の船橋荘のように、同じように王室ゆかりの住まいだが、なぜかなつかしい感がした。品位がありながらも、人が生活していた感があり、日本と同じような木と土と、どこか見慣れた造りのためかも知れない。ハイレ・セラシエ皇帝が1956年、訪日時に見た庭園を気にいって日本庭園を造らせるほど何か共感できるものがあったのだろう、皇太子時代の上皇陛下も訪れたといわれる。 王はここに住み、バンケットルームで宴会を開いた。入り口は、王専用、客用、使用人用に分かれていて戸の高さも違う。主食のインジュラの材料を女性が干していた。
こんな感じで始まったアフリカ旅行だったが、妹は、昨年の横浜でのアフリカ会議参加だけではなく、チュニジア、南アフリカ…とあちこち行くので、いろいろなアフリカ製品が増えた。 わが家でも母が最近はテレビでもアフリカのことがしょっちゅう放送されているというほど関心度があがっている。いまは、ボツアナのオカバンゴのサファリの旅に行っているので、当分は野生動物の話題で盛り上がりそうだ。
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