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老舗の店頭から
117 景徳鎮・有田・マイセン
2010年12月2日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
景徳鎮・有田・マイセン


陶磁器がお好きな方なら、この3つの名前を聞けば、世界的に名の通った焼物の産地のことだとおわかりになることと思います。中国、日本、ドイツを代表する産地ですね。そしてこの順番(景徳鎮・有田・マイセン)は、陶磁器作りの歴史の長さの順でもあります。

この3つの中で、最も長い歴史を持ち、かつては中国の宮廷に逸品を供給し、またヨーロッパの王侯貴族達をも熱狂させた景徳鎮は、現在ではすっかり衰退し、日本の有田やドイツのマイセンのように、景徳鎮をまねて磁器作りを始めた後輩達に、質的にすっかり追い越されてしまっています。

それはなぜなのか。そしてその理由には、中国の製造業が現在でも抱える問題と共通点があると指摘する小論文を見かけました。現在、中国・上海に在住する日本人で、上海と東京を拠点にして多くの企業のコンサルタント、アドバイザーとして活躍しておられる、田中信彦氏という方の文章です。

以下は田中氏の論文の抜粋です。妻の影響で、すっかり焼物好きになってしまったものですから、とても面白く感じました。田中氏は数年前に中国、江西省の北東部にある、景徳鎮に実際に行かれたのだそうですが、こんな感想から、この小論文を書き始めておられました。

<<抜粋引用開始>>

『中国ブランド構築の難しさ 〜景徳鎮はなぜ衰退したのか』

<凋落著しい景徳鎮>

現代の景徳鎮はさびれた町だった。確かに今でも陶磁器の町ではあるのだが、道端で売られているのは日常使いの安物ばかりで、観光客向けに派手な昔の名品の彷古品(複製品)が土産物として売られている。だいたい観光客が極めて少ない。一部の若手作家が自分の窯を構え、芸術的要素の強い作品を作ってはいるが、あまり市場性があるとは思えなかった。中国国内の新聞でも近年の景徳鎮の凋落ぶりは話題になっており、「中国磁都」の称号を他の町に譲るべきはでないか、などと書き立てられている。どうしてこうなってしまったのだろうか。

景徳鎮は中国にあって、2千年以上前の漢代から陶磁器の生産が始まっていたとされる。後には一貫して宮廷御用達の器を焼く「官窯」が置かれた。宋代には青磁、白磁を産み出し、元代にはいわゆる「白底青花」(白地に青で花鳥風月が描かれた繊細な磁器)と呼ばれる高品質の染付磁器を産出し、宮廷で用いられただけでなく、欧州やイスラム圏など海外にも輸出された。清朝の雍正、乾隆期(1723 〜 1795)が最盛期とされ、その後、徐々に衰退の道をたどった。

一時は欧州の王侯貴族を魅了し、「China」(磁器)の代名詞にもなった景徳鎮が衰退してしまったのはなぜなのか。そう思っていろいろ調べてみたら、この問題には優れた研究がたくさんあり、衰退には理由があることがわかった。そして、その理由は一景徳鎮だけに留まらず、中国の製造業が現在でも抱えている問題点と共通性があり、中国経済の今後を考える上でも大きな示唆を与えてくれる。

<景徳鎮のライバル有田>

景徳鎮の成長と衰退を考える際に、日本を代表する陶磁器の町であり、かつては景徳鎮に学んで成長してきた有田と比較しつつ話をすると、よりわかりやすい。

有田はご承知のように、日本で最も歴史ある磁器の産地で、江戸時代前期の17世紀後半から生産が始まっていたとされる。江戸時代後期に全国各地で磁器生産が始まるまで、日本で唯一、長期間にわたって磁器の生産が続けられていた。有田焼は「伊万里」とも呼ばれるが、これは製品の積み出しが伊万里港から行われていたことによる。

有田での磁器生産の始まりは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、肥前・鍋島藩主が朝鮮から連れ帰った陶工のひとりが1616年に、有田で白磁鉱を発見し、窯を開いたことによるとされている。その後、1640年代には景徳鎮の職人から技術を学び、色絵磁器が生産されるようになる。

明から清への移行期の戦乱や、清朝の海禁令 (一種の鎖国政策、1656年) などで景徳鎮からの輸出が減少したことをきっかけに、有田磁器の品質の高さが注目され、オランダ東インド会社などの手によって欧州への輸出が急増した。

18世紀後半以降は日本国内向けが中心になるが、明治以降は輸出が再び盛んになり、欧州での評判は中国製磁器を圧倒した。

現在に至るまで「有田」「伊万里」が日本を代表する陶磁器ブランドして認知されているのはご承知の通りである。毎年4〜5月のゴールデンウイークに行われる有田陶器市は今年で106年目になる。毎年数十万人の買い物客が押し寄せる世界最大級の陶器市としてますます賑わっている。

<なぜ有田が成長したのか>

有田の成長の要因は、地域を挙げての「粗製濫造」防止に対する取り組み、言い換えれば「有田」という地域そのものをブランド化するための努力にあったことが、これまでの研究で明らかになっている。

江戸幕府の時代、すでに陶工子弟の共同教育や「有田(伊万里)」という商標の保護、乱売の防止などといったブランド育成策を掲げて地域が取り組みを始めていた。

パリ万国博覧会に出展したのも明治維新前である。1871年の「勉脩学舎」(現有田工業高校)の設立は、その資金を地元有志の寄付でまかなったという。今日まで100年以上も続いている「有田陶器市」の原点は品質向上を競い合う品評会であった。こうした「ヒト・モノ・カネ」すべての面にわたる地域を挙げた取り組みが、今日に至る有田の歴史を支えてきたのである。

<外地人の集合体だった景徳鎮>

一方で景徳鎮のほうはどうだったのだろうか。

近代に入ると、世界市場における景徳鎮の重要度は総じて低下した。日本の産地にとっても、海外市場における競争相手はもはや中国ではなく、イギリスやドイツに移っていた。景徳鎮における生産の際立った特徴として、この町が地元住民でなく出稼ぎ職人によって支えられていたことがあげられる。

清の康熙帝の時代(在位1661〜1722年)から200年以上にわたり、景徳鎮で仕事をする職工のほとんどは、中国の他の地域からの出稼ぎ者で占められていたという。職工たちは景徳鎮に定住しているわけではないので、川の水かさが減って製品の水運に適さない季節になると故郷に帰ってしまう。

そのため景徳鎮の工場は「租厰制」と呼ばれる標準貸し工場を職工が利用するシステムになっており、職人の自前の工場ではなかった。工場のオーナーにしてみれば、職人は、いつ居なくなってしまうかわからないから、その職人独自の設備や仕様を取り入れて工場を改造することは、やりたがらない。リスクが大きいからである。

そのため職工は誰もが同じような設備を持つ標準工場を使わざるを得ず、技術の画一化、陳腐化が発生しやすく、技術革新が進みにくかった。

また職人にしてみると、自分の個性に合わせた工場のシステムを構築することができないので、製品の品質はいきおい職人個人の技能に依存せざるを得なくなる。そのため職人の腕は確かだが、システム化されにくく、技能の伝承がしにくいという弊害があった。

加えて大きかったのが職工同士の地域対立である。景徳鎮の職工は製造する磁器の種類によって出身地が異なっており、しばしば対立抗争が起きた。

このような状況では、有田の人々が実践したような地域全体の利益を考えた行動などは、景徳鎮では望むべくもなかったと言っていいだろう。

<定着の有田、流動の景徳鎮>

近代以降の有田と景徳鎮で最も違ったのは何か。それは有田では江戸時代から地元の人々が「粗製濫造の防止」に力を合わせ、技能の向上と蓄積、地域ブランドの構築に取り組んだのに対し、景徳鎮では磁器製造に携わっていたのは外地人であったため、「地域ブランド」という考え方が普及せず、技術力が蓄積していきにくかったという点である。

興味深いのは、こうした景徳鎮のような、「地元民は貸し工場などを立てて外地の人々に貸し、自分自身はその産業に従事しない」という形態は、現在の中国でもごく普通に見られる形であるということだ。また出身地域間で従業員の対立や集団抗争などが発生するのは、現在の中国の工場でもしばしば見られる現象である。

広東省の多くの都市のような、農村から急激に工業化したような地域では、現在、工場が林立している土地は、大半がもともとは農地だった。中国の農地は農民の集団に所有権がある。仕組をごく簡略化して言えば農民は土地を進出してくる工場に貸すか、もしくは自分たちで公司を作って貸し工場を建て、そこにテナントを入れるなどの形で「大家さん」になっている。こうした形態は工場進出が進んだ地域ではごく普通にあることである。

また多少形態は違うが、例えば上海から近い江蘇省や浙江省などの農村に行くと、地元の農民はもはや自分で農業はやっていない。何をしているかといえば、農地はより貧しい安徽省や江西省などから来た外地の出稼ぎ農民に耕作させ、自分はもっと賃金の高い工場で働くとか、別の商売をするなどして、より効率よく、楽に収入を得ている。

こうしたやり方自体、もちろん悪いことではないが、自分で体を動かして生業に取り組むのではなく、自分の資産を他人に貸すことによって収入を得ようとする傾向は中国社会には非常に強い。

つまり言葉を変えれば、中国社会では、工夫の積み重ねで生産性を上げ、技術を蓄積して高収益を目指すという 「製造業(industry)型」 より、資産を貸す、運用する、回転させることによって収益を上げる 「取引(trade)型」 の性向がより顕著だと言っていいだろう。景徳鎮の来歴を見る限り、どうもこうした傾向は清朝の時代から本質的には変わっていないように思われる。

<景徳鎮、有田、そしてマイセン>

そしてもうひとつ考えておかなければならないことは、有田と世界の関係である。上述したような有田の人々の努力はあったものの、現時点で陶磁器のトップブランドとして広く世界の人々に認知されているのは、残念ながら欧州系のブランドが多い。

例えば「西洋白磁の頂点」とも称されるドイツのマイセンは1705年、ドイツのザクセン候アウグストス強王が錬金術師ベドガーに磁器の制作を厳命したことに始まる。

当時、ヨーロッパでは中国や日本の磁器が上流社会にもてはやされていたが、純白で薄く、硬くて艶やかな硬質の磁器はヨーロッパでは生産する技術がなかった。そのため列国の王侯貴族、事業家たちはやっきになってその製法を見つけようとしていたという。

ベドガーによる4年間の研究の末、1709年、ドレスデンで欧州初の硬質磁器が誕生した。さらに中国風の染付が完成したのは1717年とされる。この後、ベドガーは製法の秘密漏洩を恐れた国王によって城内に軟禁されたまま37歳で生涯を終えるという悲惨な運命をたどるのだが、ともかくそのくらい欧州と中国や日本の技術差は大きく、欧州はなんとか追いつこうと必死だったのである。

しかし現在、一般に売られているカップ&ソーサーの値段を比べてみれば、マイセン数万円、有田数千円、景徳鎮数百円といった感じだろう。もちろんそれぞれ普及品から高級品まであるから一概には言えないが、この3者の中ではマイセンが世界各地で圧倒的な高価格で売られていることは間違いない。

技術の蓄積とブランド構築ができずに衰退し、低価格品に甘んじている景徳鎮。懸命の努力で品質は世界トップレベルだが、ブランド力では欧州に及ばない有田。最後発ながらブランド力をいかんなく発揮し、品質、価格とも世界のトップを行くマイセン。単純化しすぎと言われるかもしれないが、何やら世界経済の縮図を見ているようである。

<中国人も相当頑張らないと・・・>

中国企業、特に製造業にいま最も必要なのは、長い視野の取り組みで技術力を向上させ、企業内に組織能力を蓄積していくことである。しかし景徳鎮の事例を見る限り、その道はなかなか険しいものであろうと判断せざるをえない。それはまた同時に、中国進出日系企業の最大の課題でもある。中国発のグローバル・ブランド構築は、なかなか長い道のりになりそうだ。

<<抜粋引用終了>>

長々と引用させていただき恐縮ですが、以上が田中信彦氏の論文の抜粋です。たしかに世界の工場を自他共に認めている、経済大国、中国には、それ自体が世界に通用する、グローバル・ブランドはあるのでしょうか? OEM生産とか、下請け生産はたいへんなボリュームで行われているようですが、中国の独自ブランドはと聞かれても、私には思いつくものがありません。

安宅コレクションが展示されている、大阪市立東洋陶磁美術館には、昔の景徳鎮産のすばらしい磁器があります。よろしければ、私が数年前に、その簡単なご紹介をしておりますので、以下のURLをクリックしてご覧ください。

安宅コレクション
http://www.el-saito.co.jp/cgi-bin/el_cafe/cafe.cgi?mode=res&one=2&no=3095

焼物好きの私としては、景徳鎮・有田・マイセンの今後に大いに注目していこうと思っていますが、陶磁器にもこんな楽しみ方があるものだと、あらためて思いました。長いおしゃべりにおつき合いただき、どうもありがとうございました。

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