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縁の下のバイオリン弾き
96 かまわぬ
2014年6月16日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
今回日本に帰ったとき、我々二人は手ぬぐいを買いあさった。

我が家は周りを隣家に取り囲まれていてしかも彼らの家の方が我が家よりも背が高い。のぞかれるわけではないがなんとなく金魚鉢の中に暮らしているような気がする。そこで窓にカーテンをとりつけるのだけれど、どうもおもむきがない。

手ぬぐいをカーテン代わりにするというのはリンダのアイディアだ。大きな窓はだめだけれど、小さいのだったら手ぬぐいを2枚もたらせば立派なカーテンになる。

このごろは手ぬぐいを壁掛けとして使っている人もあるぐらいで、手ぬぐいのデザインは多種多様、日本人の美的感覚をみごとに表している。ちょうど時期的に藤の花が咲いていたので藤をデザインしたものをたくさん買った。

リンダは手ぬぐいを「てんぐい」と発音する。私が「手ぬぐい」と言っているのをきいて自然に覚えたので、てぬぐいともtenuguiとも書かれた文字を見たことがない。

英語には日本語で使うような短い「ぬ」の音がない。Nuと書くと「ヌー」とか「ニュー」と長くのばした音になる。たとえば New York はアメリカでは「ヌーヨーク」と発音する人が圧倒的に多いのだが、もし「ヌヨーク」といったら通じない。

そして英語の「n」の音は上の歯の裏に舌先をくっつけて発音するからちょうど日本語の「ぬ」を発音する時の口のかたちになる。それで手ぬぐいがてんぐいになるのだろう。


私は手ぬぐいが好きだ。西欧では真っ白なハンカチが主流で、たとえ柄があっても花柄のように比較的単純なものが多い。壁紙とおなじように何にもないところを埋め尽くす、というのがそもそもの発想だ。

手ぬぐいはそうではない。もし真っ白な手ぬぐいがあるとしたらそれはただの「さらし」を切ったものにすぎない。そこに模様をつけてはじめて手ぬぐいになる。画面を埋め尽くす反復模様も多いけれど、余白を効果的に使った絵心のあるデザインのほうがもっと多い。

手ぬぐいのように日常使う実用品にすぎないものにまであれほど心をこめておびただしい数のデザインを考えだす、というところに感心する。何も手ぬぐいにかぎったことではなく、日本人が使う品物すべてにそういう心遣いがあふれているのだけれど、手ぬぐいほどキャンバスとデザインの関係をよくあらわしているものはあるまい。


今回買った手ぬぐいの柄のひとつに「かまわぬ」というものがある。これは鎌(かま)の下に円を描いてその下にひらがなのぬがある、という図柄で七代目市川団十郎が考えだしたものだそうだ。鎌の下に輪があるから「かまわ」それに「ぬ」をつけて「かまわぬ」というしゃれだ。

そのとんちがおもしろいから買ったのだけれど、なぜかまわぬということばをこのような模様にしたてたのだろうか。歌舞伎にまつわるいわく因縁があるのかもしれないが、何にでも「かまわぬ、かまわぬ」と言いたい気持ちをあらわしたものではなかっただろうか。江戸時代のことだから(七代目は19世紀前半に活躍した)しきたりやしがらみがたくさんあってひとびとは半ばうんざりしながら浮き世のならいにしばられていたのだろう。それを歌舞伎のスターが、「かまわぬ、かまわぬ」と笑い飛ばした、と見るのは深読みにすぎるだろうか。

市川団十郎はその人気のために幕府ににらまれて江戸を追放になった。この「かまわぬ」模様はもともと彼が舞台で着た着物の柄だった。いまでも手ぬぐいの柄として残っているのは歌舞伎役者の習慣で手ぬぐいをファンのお客様に配ったからだろう。この模様もお上の感情を逆なでする要素のひとつではなかっただろうか。

ご老中が一本の手ぬぐいをにぎって「にっくき河原者(かわらもの)めが。どうしてくれよう」とわなわなとこぶしをふるわせる、などという場面が頭に浮かんでくる。


「かまわぬ」だけではないが、否定の「ぬ」は口語では「かまわん」と「ん」になる。Nuをぞんざいに言うとuがぬけてnだけになってしまう。リンダが手ぬぐいをてんぐいと発音するのも全く理由のないことではない。
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