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夢物語 |
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2006年7月17日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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「夢物語を熱く語る季節は過ぎました。」
かつて勤めていた通信社の同期生から定年退社の挨拶状が来た。僕は写真部カメラマン、彼は某部記者と所属が違い、僕が17年前に中途退社したあとはほとんどつきあいもなかったのだが、その1行に込められた思いにはなにか万感胸に迫るものがあった。
「報道者の社会的責務、と大上段に構えるつもりはありませんが、その場の端にいてなにほどのことを成し得たか、との疑問符を消せないまま区切りを迎えました」
定年の挨拶状はこれまで数限りなくいただいてきたが、この便りほど素直に、簡潔に、前線を去る者の心境を表現した文章を僕はみたことがない。彼の精神のまっすぐさ、邪念のなさが浮かびあがってくる。
なんだか、無性に彼の声が聞きたくなって、自宅に電話した。
「長いあいだ、ご苦労さん」 「なあに、ご苦労さんと言われるほどのこともしてないよ。お前さんのように退社する勇気も、能力もなかった人間が会社にしがみついて生きてきただけの話さ」
「勇気じゃなくて向こう見ず。能力があったわけじゃなくて、その過信というだけの話さ。それにしても夢を熱く語る季節は過ぎました、の1行にはずんと来たよ」 「いや酒飲んでさ、大声で大口を叩く時代はすぎた、というような意味さ。深刻にとらえないでくれよ。お前さんは社長で定年なし。これからもがんがん夢を追ってくれ」
「いやニュアンスは正確に受け止めたよ。ただ俺もね、この4月に還暦を迎えていらい、なんだか精神的に落ちこんじゃってさ。どうしたんだ、ただ60歳の誕生日を迎えただけの話じゃないか、と気を取り直そうするんだけどどうにも気分が沈みこんでね。はがき読んで、ああこんな心境になっているのは俺だけじゃないんだって、半分救われたような気になって、それで君の声が聴きたくなった」
そんなとりとめのない会話を10分ばかり交わして受話器をおろした。そして改めてはがきをみると「(これからは)思いのかけらの一つでも拾うことができたらもうけもの」という一文があることに気づいた。
ああ、そういう意味だったか、とひとり合点した。彼は今後ジャーナリズムの世界からはすっぱりと縁を切り、これから介護士の資格をとって老人介護の道に進むという。「思いのかけら」というのは「自分がいささかでも世の中に役に立つ存在でありたい」という意味なのだろう。
現在のジャーナリズムが、果たしてどれほど世間の役に立っているのだろうかという、彼がいま抱いているであろう虚しさのような感覚が、僕には痛いほどわかる。
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