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123 京都名刹めぐり その27 清閑寺
2011年11月2日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。














































京都名刹めぐり その27 清閑寺


京都市東山区に清閑寺(せいかんじ)という地名があります。厳密に申しますと、清閑寺という名前を冠した町名があります。郵便番号検索で見てみますと、次の3つです。

清閑寺池田町
清閑寺霊山町
清閑寺山ノ内町

場所はちょうど清水寺の裏手、五条通りを経由して山科方面に抜ける道の途中にあります。このあたりはかつて、鳥辺野として知られた葬送の地であり、現在でも本願寺系のお墓やら、葬送に関するいくつかの施設があります。

そんな、いわば寂しい場所にこの清閑寺はあります。もちろん観光寺院ではありませんし、むしろ観光客を基本的に歓迎しない雰囲気がありますので、ここを訪れる人は決して多くありません。先年、私達が行った時も、小一時間の滞在中、他の参拝者は皆無でした。

上段の写真が石段を登って境内に入る門です。「歌乃中山 清閑寺」という看板が架けられています。「歌乃中山」とは、古来からのこのあたりの地名でして、ここから清水寺までの山路は、桜や紅葉がみごとで、昔から多くの歌が詠まれたことから、そのような地名がついたのだそうです。現在は、清閑寺の山号となっているようです。宗派は、同じ東山区にある智積院を本山とする、真言宗智山派です。

この清閑寺に関しましては、何点かの見所があります。時代としては、平安時代末期(1100年代後半)から、幕末(1850年代)までという、700年近くにわたる時間が関わっており、いかにも京都らしい話です。それでは、まず古い方から参ります。

小督局(こごうのつぼね)という女性の名前をお聞きになったことがありますか? 謡曲にも「小督」(こごう)という曲が、名作としてあるのだそうですが、それはこの女性の人生をモデルにして作られたものだそうです。

小督(こごう)は、平安時代末期の保元・平治の乱の時代、保元2年(1157年)、藤原一族で中納言であった藤原成範の娘として生まれ、その後女官として宮中にあがりました。そして当時の帝、高倉天皇に愛され、20歳の時、高倉天皇の娘(第一皇女)を産みました。高倉帝の中宮(正室)は、平清盛の娘、後に建礼門院となった平徳子でした。

高倉天皇自身も、苦労の多い人生を歩み、早世した人物です。年譜を見るとこんな具合です。

生年: 1161年 9月

即位: 1168年 3月   なんと、7歳足らずで帝に即位。

    1172年 2月   平清盛の娘、徳子が中宮として入内。
                その時、徳子17歳、高倉天皇は11歳足らず。

    1177年11月   小督が第一皇女を出産。
             この時、中宮・徳子との間に、まだ子供はいませんでした。

    1178年11月   中宮・徳子が、後の安徳天皇を出産。
   
    1179年      小督局が出家。

退位: 1180年 3月   在位期間は12年間でした。
                 この時、年齢は18歳余。

没年: 1181年 2月   退位後1年足らず。20歳になる前でした。

時代は、平安末期で、朝廷、摂関家の内紛や、皇位継承権問題、武家の台頭、公家の没落、それに社会不安等が頻発し、大混乱の時代でした。だからこそ、7歳で即位する帝が誕生したわけです。

そんな中で宮中にあがった中納言・藤原成範の娘は小督局(こごうのつぼね)と呼ばれ、天皇の寵愛を一身に受けました。ところが、中宮(正室)の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて、小督局を寵愛することを嫌い、小督を宮中から追放してしまったのです。清盛としては、娘・徳子が帝との間の子を産み、その子を次代の帝にすることを画策していたわけですから、小督は邪魔だったのです。

いったんは嵯峨に隠れた小督は、密かに宮中に戻りますが、やがてまた清盛に知られ、強制的に出家させられます。それが1180年、小督23歳の時でした。そして、小督局が出家させられた寺が、この寂しい場所にある清閑寺だったのです。

謡曲につきましては、僕は聴いたことはないのですが、小督局が嵯峨に隠遁している時のことをテーマにしたものだそうです。

高倉帝は、そのこともあり落胆はなはだしく翌年退位し、さらにその1年後には亡くなってしまったのです。そんなわけで、高倉天皇の墓(陵)は、清閑寺に隣接してあります。上の中段の写真が、清閑寺に隣接してある高倉天皇陵です。

さて清閑寺に関する次の歴史的逸話は、幕末期に清水寺出身で、尊皇攘夷派として活躍した、僧・月照や西郷隆盛との関わりです。月照は、明治維新に先立つこと9年前の1858年に、「安政の大獄」で京都を追われ、薩摩で命を絶ったのですが、京都に居る時代に、この清閑寺で西郷隆盛と密かに会合を重ねていたのだそうです。

1853年のペリー来航以来、徳川幕府の政治は混乱を極めていました。開国すべきか否かという問題の他にも、病弱な13代将軍・家定の後継者を誰にすべきかという問題も浮上していました。

次期将軍候補は2人いて、それは紀州の徳川慶福(よしとみ)と、水戸の一橋慶喜(よしのぶ)でした。水戸の慶喜を推す勢力は、外交も内政も、もはや幕府の力だけで乗り切るのは困難なので、朝廷と協力して問題を解決していこうという公武合体論を主張しました。

この一派は、水戸藩主・徳川斉昭、老中・阿部正弘、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬などが主な顔ぶれでした。

その一方、紀州の徳川慶福を推していたのが、大老の井伊直弼です。井伊直弼は、大老に就任するとすぐに朝廷の意向を無視して、アメリカと日米修好通商条約を結びました(1858年)。井伊は、あくまでも幕府が力を取り戻し、幕府中心で国を治めることを目指していましたので、公武合体ではなく、幕府単独で問題を乗り切ろうとしていたのです。

そしてそのためには、朝廷を尊重し、勤王を唱える水戸藩から次期将軍を出すことには反対で、紀州の徳川慶福を推す必要がありました。

一方、慶喜を推す一派の薩摩藩は、朝廷に働きかけて、慶喜を次期将軍にするための勅許を得ようとします。この時に活躍したのが、島津斉彬の腹心であった、西郷隆盛でした。西郷は、清水寺の僧侶で尊皇攘夷派の月照の力を借りて、朝廷工作を行いました。しかしこの朝廷工作は失敗し、次期将軍は井伊直弼が擁立した徳川慶福に決定しました。この徳川慶福(よしとみ)が、14代将軍・徳川家茂(いえもち)です。

家茂を将軍にすることに成功した井伊直弼は、反対派の弾圧を始めました。これが「安政の大獄」(1858年)です。水戸藩主の徳川斉昭は謹慎、一橋慶喜も登城禁止となります。同じく一橋派だった島津斉彬は、この時すでに亡くなっていましたが、弾圧は西郷隆盛や月照にも及びました。西郷と月照は、幕府の追手から逃れるために何度も密談をしたことのある清閑寺で、京都から脱出する計画を立て、なんとか脱出に成功し、薩摩に戻りました。この時の密談場所が、清閑寺境内の茶室だったとのこと。その茶室は現在は残っていませんが、石碑だけがその場所を示していました。場所からしても、清水寺から近いですし、人が多く来る場所ではありませんので、密かな会談には都合がよかったのでしょう。

しかし、京都を脱出して薩摩に帰って来た西郷と月照は、藩から受け入れを拒否されました。島津斉彬が亡くなり、藩内の勢力が入れ替わっていたのです。この時期は、動きのあった諸藩のいずれもが例外なくそうでした。反幕府勢力と親幕府勢力が、何度も入れ替わり、その度に犠牲者が出ていたのです。

そしてその年、1858年、行き場を失った2人は舟で薩摩の錦江湾にこぎ出し、投身自殺を図りました。この時、月照は亡くなりましたが、隆盛は助けられて蘇生し、その後、奄美大島に流罪となりました。歴史の大きなうねりの中の出来事でした。

小督局が、清閑寺に出家させられたのが、1179年。そして西郷隆盛と僧・月照が密談を重ねたのが、1850年代後半。時間の単位が長いですねえ! 700年近い時間差ですから。

下段の写真は、清閑寺境内から眺めた京都市街地です。境内から西に向かって、ちょうど扇を広げたように街の景色が見えます。智積院、国立博物館、東本願寺などが、正面に見えます。京都駅前の京都タワーもちょっと見えますね。

扇の要の部分に相当する場所に、「要石」という石がありました。見方によっては、その石を要として、京都市街地が扇状に見えるので、そのような名前がついたとのことでした。

無理矢理、出家させられた小督局。幕藩体制を変えようと命がけで画策していた、西郷や月照。3人ともここで、それぞれの時代のこの景色を見たことでしょう。先年、師走の慌ただしさを忘れて、ゆったりとした時間を楽しんだ我達も、あの3人と同じ景色を味わって来ました。

なお、境内には「清閑寺窯」という表示がありましたので、見てみましたら、このあたりは、現在、清水焼や粟田焼として知られている、京都の陶磁器制作の起源となった場所なのだそうです。ここから現在の京焼が誕生したとのこと。ひっそりとした小さなお寺さんですが、なかなかに奥深い歴史を持っているのです。さすが京都ですね。
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