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葉山日記
80 鬼怒川温泉
2006年8月12日
中山 俊明 中山 俊明 [なかやま としあき]

1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。

ニックネームはTOSHI、またはiPhone-G(爺)
到着した温泉ホテルのロビーは、まさに芋の子を洗うような混雑ぶり。ほとんどがお年寄りか中高年で、その間を縫って小学生たちが走り回る。チェックアウトとチェックインが重なり合う時間帯なのだろう。この調子だと、温泉もすさまじい芋洗い状態を覚悟せねばならないだろうと、到着そうそう暗澹とした気分になった

僕ら夫婦と、妻の姉夫妻の一行4人が、新宿からのホテル直行バスで到着したのは、栃木県・鬼怒川温泉の某ホテル。昨年までは義兄が勤務する会社の軽井沢の保養施設でお盆前後の数日を過ごすのがこのきょうだいと、その子供たち「一族」の恒例行事だった。この施設は、浅間高原の森林地帯のど真ん中に建つ長期滞在型マンションで、最上階の温泉の眺めはすばらしかった。同じく最上階の会社所有の部屋はメゾネットスタイルで、一族10人以上が泊まっても十分な広さがあった。

義兄が数年前その会社で定年を迎え、続く2年の嘱託契約も昨年暮れ切れた。会社との関係がまったくなくなったいじょう、今年の夏から施設は使えなくなったのだ。昨年夏の最後の滞在のとき、僕は豪語したものだ。「来年以降は僕が温泉付きログハウスを手配する」。僕はほんとうにそうするつもりだったのだが、その言葉を僕以外は信じていないようだったが、案のじょう、約束は守られなかった。その夏が終わる頃、僕の会社の大型受注業務がとつぜん打ち切られ、それ以降、もだえ苦しむ日々の連続となった。旅行どころではない、この先どうやって食っていくか、というところまで追い詰められた状態のまま1年が経った。

「ことしはどこも行かず、さびしい夏になりそうだね」と妻と話していた矢先、鬼怒川旅行のお誘いがきたのだ。義姉のメールには「私たちも年金生活者になり、贅沢はできませんが4人でまた温泉を楽しみましょう。1泊にしようかとも思いましたが、思い切って2泊とりました。運転はお疲れでしょうからバスでいきましょう」。

ロビーの芋洗い状態をみて、置かれた現実をあからさまに見せつけられたような気になったのは他の3人も同じだったろう。心やさしい義姉が僕の顔をちらりと見るのが感じられた。僕の反応を察して気にしているのだ。冗談ではない。その姉夫妻の思いやりで僕らは夏の温泉を楽しめるのだ。僕はつとめて明るい顔をした。

通された部屋は7階で、入り口近くにある洗面台の周辺の壁紙こそ端がめくれ上がり、人手不足のためメンテナンスが十分に行きわたっていない状態を示してはいたが、部屋にはいってみると清潔で、なによりもベランダから見える景色がすばらしかった。鬼怒川の流れが真下にみえ、観光客をのせた遊覧船が川を下っていく。ホテルは川の斜面に建っており、先ほど到着した道路側に面したロビーが5階で、裏側が鬼怒川に面しており、すべての部屋から鬼怒川がみおろせる。1階が露天風呂、2階が室内浴場になっている。

時間は正午を過ぎたばかり。さっそく大浴場にいく。意外にもロビーの喧騒がうそのように他の客はいない。広い浴室を義兄と2人占めだ。湯量は豊富で、わずかに硫黄のにおいがある。湯にすこしとろみがあるが湯質はさっぱりしていてさわやかだ。なによりも鬼怒川がすぐそばにあるのがいい。天気は晴れ、川向こうの斜面には夏の緑が広がっていた。「いやあ、これは大正解。穴場ですよ。いい湯ですねえ」と僕は上機嫌で義兄に声をかける。義兄もロビーでの僕の反応を気にしていたらしく、「喜んでもらえてなにより」と上機嫌だ。

義兄がベランダから左のほうに見える橋を渡ったところにある、コンビニにビールを買いにでかけた。備え付けの冷蔵庫の飲料は高い。「年金生活者」たちはこういうところでも節約をこころがけるのだ。風呂上りのゆかた姿姉妹も合流して楽しいおしゃべりがはじまる。つまみは、ピーナッツと干しいか。

「着いたときはどうなることかと心配したけど、けっこういいじゃないここ」と義姉もほっとしたような表情だ。2人とも僕のことを気遣ってくれているのが、伝わってくる。その気持ちがうれしくて、僕ら夫婦の気持ちもほわほわと緩んでくる。

おしゃべりやら昼寝やらでのんべんだらりと過ごしたあと、5時半から4階の大広間で夕食。この部屋だけで100人はいそうだから、全部あわせると数百人の宿泊客が同時に食事を開始することになる。プラスチックの膳にプラスチックの食器。料理は品数こそあるもののとても豪華とはいえない。だが気心のしれた4人の楽しい会話があれば、質素なおかずでも食が進む。飯がうまい。考えてみれば、最近の宿は、温泉というより食事の豪華さで客を集めているような傾向がある。つまり豪華な食事で利益を捻出しているのだ。だが温泉を愛する人間としては、食事はほどほどでいいと思う。よい空気とよい温泉さえあれば、そして楽しい仲間がいれば、何を食ってもうまいのだ。

そして夜は露天風呂。これがまたすばらしかった。正面の山の稜線のうえには満月が出ていた。鬼怒川のせせらぎの音が大きく聞こえ、蛍が飛び交う。そして、昼間と同じように他の客はおらず、義兄と2人占め状態。いったいあの「芋の子」たちはどこへ行ってしまったのだろう。もしかすると、ときどき飛んでくるアブをみな敬遠しているのかもしれない。なあにかまうものか、じっとしていれば刺されることもあるまい。僕はまた義兄に声をかける。「この温泉気に入った。幸福、幸福」。義兄がまた応える。「よかった、よかった、喜んでもらえて」。

この宿に2泊するあいだ、僕らは大浴場と露天風呂をなんども楽しみ、夫婦対抗の卓球に歓声をあげ、昼寝をし、おしゃべりをした。これまで4人の旅行はつねに僕が運転する車で移動したものだが、今回初めてバスで来たので、遠出はできない。外出といえば、川沿いをいちど散歩し、「安くしとくよ」と声をかけてきた初老の男のマイクロバスに乗って近くの滝を見に行ったくらいのものだ。だが、こういう旅もまたいいものだ。

義兄夫婦には失礼かと思ったが、東京に帰ってこのホテルをインターネットで検索してみた。「ちなみに1泊いくらですか」と僕がたずねても、義兄はただ「安いんだよ」というだけで口を濁していたので、招待された側としては気になったのだ。宿泊料金はなんと4人部屋で1人1泊4750円とある。朝夕2食付、新宿からの往復バスも含めてこの値段である。そういえば、卓球も無料だった。この宿泊費でよく経営が成り立っているな、と思う。壁紙のはがれくらいは許そう、という気になる。いや経営者の営業努力に拍手すらしたい心境だ。

来年もこの温泉にやってこよう。もちろん今度は、僕ら夫婦で義兄姉を招待だ。もしこの1年で僕の事業が動いたら、そのときはもっと豪華な宿にしてもいいな。いやいや、4人が健康でこれからの1年を過ごせ、そしてこの1泊4750円の宿に再びくることができたら、それはそれで十分に幸せなことだと考えたほうがよいのかもしれない。
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