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ユルスナールの靴 |
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2008年7月1日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ トルコ石風トップと淡水パールのネックレス。
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▲ 地上3m、車庫の壁、どこから飛んできたのか…。コンクリートのわずかな隙間に根を下ろしたサルビア。 |
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「きっちり足にあった靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ・・・・・・行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ」
歩くことが好きだったという須賀敦子という人の著書『ユルスナールの靴』のプロローグの書き出しである。
「ユルスナール」は、フランスの作家マルグリット・ユルスナール(1903-1987)のことで、須賀敦子という人は、旅に一生を費やしたユルスナールが辿った土地を自分の足で歩き、精神的な足跡を(作品を通して)自らも辿り、自身の(痛みをともなった幼い頃の)回想を織り交ぜながらこの作品を書き上げた。
フランス、イタリアに住みながら、また日本に帰国してからも自身を精神的な放浪者と感じ続けた須賀敦子という人が、フランス貴族の末裔でありながら(各国を放浪しつづけた父親とともに)幼い頃から祖国を離れ、晩年アメリカの小さな島に住み着くことになったユルスナールという女性作家を追ったところに、私は同じ女性として共感を抱き、慰められる。
上の文章を読み、まっさきに頭をよぎるのは若いころの自分の姿である。若いころ私は、いくつかの職場を渡り歩いた。それは、仕事という場で自分の居場所と思える場所を探しつづけた結果にほかならなかったが、基本的には今も私は変わっていないように思う。対象が、もっと抽象的なものになったけれど…。
須賀さんは、こうも書いている。
偉大な『ハドリアヌス帝の回想』という作品を(数十年の構想をもとに)完成させ世に出した、私から見れば確固としてゆるぎないように思えるユルスナールでさえ、精神的には自分と同じ放浪者であったことに、驚きとともに限りない共感を抱いた…と。
自分が長年、辿り、身につけてきた経験をできるだけぴったりの場所で、仕事で生かしたいと臨むのは誰も同じであろう。自分にぴったりの靴を見つけられる人はこのうえなく幸せな人だ。
余談だが、この『ユルスナール』という名前は、本名クレイヤンクールのアナグラム(文字を入れ替えることによることば遊びのひとつ)なのだという。
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