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縁の下のバイオリン弾き
100 マッカンチーズ
2014年9月4日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 宇野哲人先生
私がベートーヴェンに扮したスペイン語クラスの「インタビュー」は成功だった。そのインタビューには前文がついていたのだが、インタビュアーに扮した同級生が「ベートーヴェン氏はウィーン・ホテルのレストランのテーブルに座って好物のマカロニ・アンド・チーズを食べていた」と始めるとクラスのみんなはくすくすと笑い出した。冗談だと思ったようだ。

でもこれは冗談ではなかった。ものの本によるとベートーヴェンは本当に「ゆでたマカロニにチーズをまぶしたもの」が好物だったそうである。もちろん私だってそんなことは知らなかったからこれを発見したときはびっくりした。第一そんなむかしからマカロニ・アンド・チーズがあったとは知らなかった。

マカロニ・アンド・チーズはアメリカの子供の定番メニューだ。スクール・ランチにかならず出されるということもあって、子供にも大人にも人気がある。俗に「マッカンチーズ(マック・アンド・チーズ)」という。日本ではマックというとマクドナルドをさすようだけれど、アメリカではマカロニを連想する人が多いだろう。

ゆでたマカロニにチーズをかけてオーブンで焼いたものだ(焼かないものもある)。チーズはたいていチェダーチーズを使う。簡単といえばこれほど簡単な料理はない。単純だけど栄養はある。

スーパーでもインスタントにこれをつくるパッケージを売っている。マカロニといえばアメリカではこれが代表料理で、ほかにマカロニを使ったものといえばマカロニ・サラダぐらいしか思い浮かばない。

なぜこの料理がこれほど人気があるのだろうか。 まず、育ち盛りの子供には特に栄養のあるものを食べさせたいと願う親心がある。しかしアメリカの親は子供のためにこった料理をつくってやる習慣がないから時間のかからないマッカンチーズはうってつけのものだったのだろう。

マカロニはいうまでもなくイタリアのパスタだけれど、いかにもイタリアを感じさせるトマト味ではないという点でこれは異色だ。

つまり食べるたびに「イタリアだぞ」と念を押されることなく、どんなアメリカ人にも「われらがパスタ」という感じで受け入れられるものだからではないだろうか。

上にぱらぱらとパルミジャーノをあしらうのではない。黄色いチェダーチーズをごっそりかけてオーブンで焼くのだ。ゆで具合がどうのこうのという「通談義」なんかどこ吹く風、というおおらかさがある。

それで思い出すのは香港で食べたマカロニだ。香港では朝食にマカロニをいれたコンソメ・スープを出す。もちろん西洋料理屋でのことだ。香港ではこれ以外にマカロニを食べたことはない。何に由来するものなのか、宗主国だったイギリスでもそうやって食べるのか、そのへんはつまびらかにしないけれど、タンメンをそのまま西洋料理にしたみたいでいかにも香港的な食べ物だった。スープにマカロニだけ、ほかに具はなく、刻んだパセリやクルトンも浮かんでいない、という何の愛想もないところもはなはだ中国的だ。そのスープはふつうのチキンスープでトマト味ではない。

マカロニはトマト味にしなくてもさまになるパスタなのかもしれない。


とはいうものの、アメリカ人はイタリア料理が大好きだ。トマト味こそはアメリカを代表する味なのだ。

やれニューヨーク風だシカゴスタイルだといがみあうほど好みが分かれるピザは出身地のイタリアなどどこかに置き忘れて、ハンバーガーとともにアメリカを代表する料理となった。あれは要するにパイの厚さとトマトの味が勝負だ(トマト味ではないピザもあるけれど…)。

むかしボストンに住んでいたころ、歯が悪くなってタフト大学の歯科医院に通ったことがある。大学の医院というのは医学生に実務を覚えさせるために開くもので、患者はいわばモルモットだ。そのために料金が安い。

私を見てくれたのはインターンだろうと思われる若者だった。彼と話していて、「金持ちは甘いデザートなんかをたくさん食べるのだろうから虫歯ができるのも当然だが、金のない階層は歯医者には縁がないだろう」と言ったら、若者は「それは逆だ」といった。「社会経済学的にみると貧しい人々ほど歯が悪いんだ。金がなければ高い肉などには手が出ない。だから毎日毎日スパゲティだ、ピザだ、なんてものを食べる。時間がないときにスパゲティほど簡単にできるものはないし、ピザは宅配が頼めるからね。これらは皆炭水化物で体内に入ると糖に変わる。だからすぐ歯がやられてしまう」

私にはその時彼が言った「社会経済学的」ということばがおかしかった。彼はきっと教室で教授が使ったことばをそのままくりかえしたんだろう。そんなもったいぶるほどのご高説とも思えなかったけれど、金がなければスパゲティを食べる、という指摘は頭に残った。

それからしばらくしてテレビを見ていたら、低所得層のための団地でアナウンサーが10歳ぐらいの少年にマイクを向けている。「どうだい、君のお母さんは宝くじがあたったんだよ。すごいねえ。もう何でも食べられちゃうね。ねえ、今何が食べたい?」

その少年ははずかしそうに半分お母さんのかげにかくれるようにして「スパゲティ…」とつぶやいた。

「スパゲティ?うん、スパゲティはおいしいねえ。でももっとほかに食べたいものあるでしょ?もっとこう…なんて言うか、いつもは食べないやつ。お金なんかいくらかかってもいいんだから…。ねえ、なんかない?」

とアナウンサーは一生懸命もっと高そうな食べ物の名を言わせようとするのだが、その少年はなおさらもじもじして、考えたあげく、「やっぱりスパゲティ…」と蚊のなくような声で答えた。

かわいそうに、この子はスパゲティ以外に食べたいものを思いつかなかったのだ。この子にとってはスパゲティが最高のごちそうだったのだ。あの歯科学生の「社会経済学的」をまざまざと見る思いがした。


私はアメリカに来るまで「パスタ」という言葉を知らなかった。だいたい香港ではイタリア料理など食べなかった。スパゲティは日本でも食べていたから知っていたけれど、私にとっては「スパゲティ・ウェスタン」(イタリアで作られた西部劇映画のこと)のほうが本物のスパゲティよりはるかに近しい存在だった。

だからアメリカでパスタという言葉を聞いたときには最初めんくらった。スパゲティとどう違うのかわからなかった。パスタということばがスパゲティをふくんだ小麦粉製品全体を指す、ということがわかるまでにずいぶん時間がかかったように思う。

これにあたる日本語はない。日本で麺類、というとそば状のものを指す。ところがパスタはラビオリやラザニアのようにそばになっていないものも含む。

しかし中国語にはこれにあたる言葉があって、それが「麺」だ。中国語の麺はまさしくパスタであって、小麦粉を使ったすべてのものが麺の中に入る。餃子やワンタンも麺だ。パンまで「麺包」(ミエンパオ – 包は本来は麦偏に包)という。

明治大正のころは日本でもこの字を使ってパンと読ませていた。しかし日本人にとってはこれはまったく理解できない漢字の使い方だ。麺が小麦粉製品の全体を表す、ということが常識になっていない以上パンが麺だというには無理があるからだ。

こういう事情だから今では日本でもパスタということばが使われるようになった。

もし日本にパスタにあたる日本語があったとしたならば、それはそば・うどんを指すだけではなく、団子、すいとん、そばがきなどをもふくむ概念でなければならない。日本人はそういうものが総体として「同じものだ」と考えたことがなかったのかもしれない。


話をマカロニにもどす。今年日本に帰ったときに新装なった東京駅の丸の内側に立って私はいいしれない感慨を覚えた。ここだ、ここだ、ここにあった食堂でマカロニ・グラタンを食べたのだった、と40年以上前の思い出にふけった。

そのころ大学生だった私は中国文学などというはやらない学問を専攻するつむじまがりだった。人のやらないことをやるということに積極的な意味を見いだしていた。

ところが当時は大学紛争のまっただ中で、大学に行ってもろくに授業もない。そのためだったかどうか、私は日曜日ごとに湯島の聖堂に通うようになった。

これは東京在住の方でないとわからないと思いますが、お茶の水に湯島聖堂というのがあります。これは孔子をまつる廟(びょう)で、日本の儒学の中心だった。

その湯島の聖堂で毎日曜朝、宇野哲人(てつと)という先生が「荘子」の講義をしていた。どこからかそれを聞きかじった私はその講義に出席しだしたのだった。

宇野先生はそのとき90歳を超えておられた。この先生はむかしながらの儒者であり、漢学者だ。

先生は中国にもドイツにも留学されたことがある。先生が留学されたのは清朝末期の中国で、そのころだって私には想像もつかない世界だった。

荘子の講義はどんなものだったか今ではすっかり忘れてしまったけれど(あるいは当時から何もわかっていなかったのかもしれない)、中国の文化と人間について時々話されることはとてもおもしろかった。

中国では絵を描くのは専門の画家ではない。知識人が余技として描くのである。だから絵描きが知識人の集まりに出席して絵を描いても、話をして学問がないとわかるとすぐに帰されてしまう、などというこわい話をされるときもあった。

その講義に出席している生徒の中には若い人もいたが、たいていは退職したがんこそうなじいさんたちで、要するに今の私のような人物が多かった。先生がたまに病気で欠席されると長男の精一さんがかわりに講義をされた。そのころ還暦近いお歳の精一さんをつかまえて生徒たちは「若先生」と呼ぶのである。なんと言うか、とても20世紀後半とは思えないあやしげな大時代な雰囲気だった。

哲人先生は1974年に99歳で、精一先生は2008年に97歳でなくなられた。どちらも東京大学名誉教授だった。

私は当時小田原に住んでいたから日曜日の朝早く家を出て東海道線で東京駅に行き、そこで山手線にのりかえてお茶の水に行った。帰りに東京駅の丸の内側の食堂で必ずマカロニ・グラタンを食べた。なぜマカロニ・グラタンだったのか、今となってはわからない。マカロニ・グラタンがなにか特別に西洋的な、しゃれた食べ物に思われたのかもしれない。ベシャメルソースを使ったもので、マッカンチーズとはちょっと違うけれどトマト味ではないというコンセプトは同じだ。イタリア料理などとは夢にも思わなかった。


アメリカのマカロニ・アンド・チーズは第3代大統領トーマス・ジェファーソンがヨーロッパから持ち込んだのが始まりだそうだ。ジェファーソンは1826年に、ベートーヴェンは1827年になくなっている。まったくの同時代人だ。この二人が大西洋をへだてて夕食にマカロニ・アンド・チーズを食べて、「これこれ、この味だよなあ」とうなっていたんじゃないかなどと想像するのは楽しい。
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