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龍馬のように |
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2008年7月9日 |
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 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
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▲ 淡水パールのラリエット。 Top部分はベネチアンビーズ。 |
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▲ きれいな虫…と撮影したが、バラの天敵カミキリムシだった。 |
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「3日一緒に住めば、後の1年は(その人のことを)話して暮らせる」
坂本龍馬の妻だったお竜(おりょう)がこんなことをいったそうである。
T氏は、当時野党第一党の政治家だった。私が彼の秘書となったのは30代半ば、ひょんなことからであった。実家も嫁ぎ先も与党支持者ばかりだったので、その仕事を引き受けたとき夫は結構びっくりしたに違いないが、とくに引き止めるわけではなかった。引き止めても無駄…そう思ったのかもしれない。
坂本龍馬という人を写真で見ると、黒澤明監督の映画『七人の侍』に出てくる侍のようである。頭髪は乱れ、素浪人風で、お世辞にもお洒落とはいい難い姿。だが、ものの本によると、風貌に似合わず香水を好んで使う洒落者の一面もあったという。が、全身に振りまかれた香水の匂いに閉口したとも書かれていた。
T氏も外見はオシャレな人ではなかった。太り気味の体型を左右に揺すりながら歩いた。しかし、食べるもの、気配り、旅行…すべてにおいてセンスがよく、面倒見もよかった。履歴書やアンケートの趣味欄に「人の世話」と本気で書いていたのが、微笑ましくも可笑しかった。
京都の粋人であったが、その因習や枠に収まらず(むしろ嫌で蹴飛ばして)京都人らしからぬ人であった。繊細さと大胆さを併せ持ち、寂しがり屋でもあった。政治屋のように見えて政治家だった(と思う)。そして贅沢を知りながら、根っからのS党人であった。
私は、彼の下で世の中の仕組み、からくり、お金の使い方など多くを学んだ(身についたかどうかはかなり疑問だが)。彼は、ことばを「武器として」使うすべ(自分の発することばが、どのように周囲や社会に影響を及ぼし、人を動かすか)を知り、しかも会話は軽妙だった。
しかし、それよりなによりも彼を特徴づけていたのは、独創的な発想と自由奔放な行動だった。若い頃キエフに行き送還された、アメリカ横断中の列車内で腹痛を起しトイレのドアが開かず列車を止めてしまった、最高級ホテルの部屋を水浸しにした、食堂では(友人のものでも娘のものでも)注文して最初に運ばれてきたものを食べた…など大小とりあわせて問題も多かったが、問題を起した後のしょげ方には子どものようなところがあって憎めなかった。
「3日一緒に住めば…」というお竜さんのことばは、作家によって後に付け加えられたものかもしれない。が、実際お竜さんにそういわせてもおかしくないところが龍馬にはあったのだろう。
「これほど人を退屈させない人はいないけれど、一緒に住むのはごめんです」
T氏の夫人と娘さんは笑った。彼の溢れるエネルギーは、語りきれないほどのエピソードを生み、周囲の人を疲れさせもしたが、それを補ってあまりある魅力があった。
ふり返れば、60代半ばで逝ってしまった彼の人生は決して長かったとはいえない。戦後をS党人として駆け抜けていった彼が示してくれたもの…それは、イデオロギーや既成の価値観を超えた人間的魅力ではなかったか。
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