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縁の下のバイオリン弾き
163 めぐりあい
2019年7月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ クレモナの朝
クレモナという街は人口7万人あまり、普通の地図では探すのも難しい小都市だ。私はそのつもりで、ただただストラディヴァリゆかりの街だというだけで訪ねたのでそのほかのことは何にも知らなかったのだけど、ここにはびっくりするようなものがあった。それは市の中心に建つ大伽藍(12世紀のもの)に付属する鐘楼だ(1309年完成)。高さ112.7メートルあってレンガ造りの塔としてはイタリア最高、世界でも3番目に高い塔なんだそうだ。有名なピサの斜塔より高い。そしてまたレンガ造りの塔としては世界最古だという。

その中に全部で502段のらせん状の階段がある。リンダと私はそれをあえぎあえぎ登った。ところどころに銃眼のような窓がある。てっぺんの階まで登るとさらにその上の展望台まで数段の鉄のはしごがあるのだが、それがどうにも登りきれなかった。せっかくあそこまで登っておきながら有終の美を飾ることができなかったのは残念だったけれど、71歳にしてはよくやったと褒めてもらいたい。

その高さからのロンバルディア平原の眺めは素晴らしかった。クレモナの町が代赭色(たいしゃいろ)の瓦を連ねて眼下に見え、ポー川の向こうは緑の平野だ。

降りるのは登るよりもっと難儀だった。教会の真向かいにある店で外に出してある椅子に座ってコーヒーを飲んだ。 そこへひょっこり顔見知りがやってきた。

「やあ、おはようございます。ハリーさん」
「おや、ニシさんかね。これはこれは」
「おはようございます、ニシさん、リンダさん、あんたがたに会うだろうという気がしていたのよ。狭い町だからねえ」とハリーさんの連れ合いのモリーさんがいう。

この老夫婦とは昨日ここに来るまでの電車の中で知り合った。他に彼らの孫だという16歳の少年がいたのだが、今朝は彼は見当たらない。

ベネツィアからクレモナに来るにはブレシアという駅で幹線からローカルの電車に乗り換えなければならない。雨が降っている寒いブレシア駅でそこにとまっている電車に乗り込んだ。車内には我々二人だけで誰もいない。

そこへ三人組が入ってきた。少年は大きなチェロのケースを肩に背負っている。全員アジア人に見えた。おばあさんが「ハロー」という。

「クレモナにはこの電車でいいんですよね」
英語だ。
「はい、そのはずです。我々もクレモナに行くんですよ」
「あらよかった。じゃ一緒に座りましょう」

というわけで通路を挟んで席に落ち着いた。
「わしはハリー・シェックといいます。こちらが妻のモリー。この子はフェデリコで、我々の孫です」
「西村万里といいます。ニシと呼んでください。妻のリンダです」
「日本人ですか。私も日本人ですよ。もっとも3世で日本語はできないけどね。 夫は中国人です。私、中国語もできないの」とモリーさんが笑う。

私はおじいさんに北京語で話しかけた。
「中国のご出身ですか。どちらから?」
「天津です」とおじいさんは釣られて北京語で返事をしたが、ハッとしてモリーさんに英語で声をかけた。
「ばあさん、この人中国語しゃべるよ」
「そのぐらい分かりますよ、おじいさん」
「いや、発音が正確だから…」
「どうして中国語が話せるの?」
「大学で勉強したんですよ。中国文学専攻だったんで」

フェデリコ君は彼らの娘がイタリア人と結婚してもうけた子供だった。

「娘夫婦がパドヴァに住んでいてね。我々は彼女を訪ねて昨夜はそこに泊まったんだ」
「フェデリコはクレモナの大先生のうちにレッスンをしに行くんですよ。この子はベネツィアのコンセルヴァトワール(音楽院)を卒業しているんです」
「へえ、すごいですね。月に何回レッスンに行くの」とフェデリコに話しかける。
「月に2回です。レッスンは1時間」
「えっ、でもパドヴァからクレモナまでは何時間もかかるんでしょう。それで1時間?」
「ええ、でも練習は楽しいですから」
「そんなのはなんでもないよ」とハリーさん。「私にはイタリアに姪が一人いるんだが、彼女はピアノのレッスンを受けるために毎月オーストリアに行っている」

私はびっくりしたけど、地図を見ればわかるようにオーストリアは隣の国で、場所によってはごく近いところなのだ。でも国境をこえてレッスンに行く、なんて日本では考えられないことだろう。これもEUができてヨーロッパ内の旅行が自由になったからだ。

夫婦はアメリカ人で、サンフランシスコに住んでいる。そのためにフェデリコは時々アメリカに行く。彼は完全なバイリンガル(イタリア語+英語)だ。

「私はベイエリア(サンフランシスコとその周辺)の生まれです」とリンダが言う。「どこで生まれたの」とモリーさん。「オークランドです」「私はサンフランシスコ。今も住んでいるのよ」

ハリーさん自身は音楽をやらないけれど、彼の兄弟は演奏家と作曲者で、察するにもともと音楽一家だったらしい。

「天津で生まれたけど、国共内戦で香港に移ってね、高校を卒業するまであそこにいた」
「じゃあ広東語を話すんですね」と私は広東語で言った。
「うん、そう。広東語を話したもんだ」とハリーさんはこれにも釣られて広東語で言った。

どうりで苗字を「シェック」と言うはずだ。多分石という字なのだろうが、北京語では「シー」と読む。シェックは広東語読みだ。当時の香港では英語の名前を持つ中国人は珍しくなかったから、彼はハリー・シェックで通していたのだろう。

「私も香港に6年余り住んでいました」
「へえ、どの辺に」
「九龍です。でも奇遇だなあ、我々二人、香港に一時住んでいたなんて。しかしあのアパートが混み合った香港で、ご兄弟はよく音楽の練習ができましたね」
「それはね、うちの親父が会社の社長だったもんで…。一軒家に住んでいたんですよ」
「本当ですか !」
「うん、バスケットボールのコートが付いていた。シャワーも二つあってね、友達がよく遊びにきてゲームの後はシャワーを使っていたもんですよ」

私は香港で一軒家に住んでるなんて人は一人も知らなかった。だいたい一軒家があるという話を聞いたこともない。さらにシャワーなんて別世界の話だ。普通はバスタブで水を浴びるだけなのだ。スタインウェイのピアノを誰はばかることなく弾けたというから、とんでもない金持ちだったのだろう。まあ古い時代の香港の住宅事情は私がいた頃よりずっと良かったのかもしれないけれど。


クレモナには有名なバイオリン博物館がある。しかし翌日は月曜でミュージアムは閉まってしまうから、今日中にそこに行くのだ、と彼らは言った。私は月曜にミュージアムが閉まることをすっかり忘れていたから、クレモナに到着して彼らと別れた後、すぐにミュージアムを訪ねた。古今の有名なバイオリンが並べてあって、イヤフォンでその音色が聴ける。


翌朝、町の広場でシェック夫妻に会ったわけだ。その日ミラノからアメリカに帰るのだという彼らと一緒にコーヒーを飲みながら話した。

戦争中日系人は敵性人とされモリーさんの一家は強制収容所に入れられた、という。

「どこの収容所?」
「トゥーリーレイクよ」
「トゥーリーレイクなら、私は行ったことがあります。その時には収容所は壊されていてもう何にもありませんでしたが」
「ああ、80年代の日系人補償問題の頃ね。あの時代はみんな収容所に巡礼したものね」
「そうです。日系人の若者とバスに乗ってね。当時オークランドに住んでいました」

強制収容所にいたのだったらもう80歳近いだろう。いわば歴史の生き証人だ。
「ご苦労されましたね」
「ええ、でも私は小さかったからほとんど覚えていないの」

第二次世界大戦後のアメリカで日系人はひっそりと暮らした。日本が敗北したとはいえ、日系人に偏見は強かった。二世たちはアメリカに忠誠を示そうとして子供に日本語を教えなかった。モリーさんが日本語をしゃべれないのも無理はない。

「でも日本に行ったことがあるのよ。福岡で親戚と会ったんだけど、すごく歓迎してくれた。言葉はちっとも通じないんだけどね、それでもお互いわかるの。言葉なんか必要ないの。本当に嬉しかったわ」
「それはよかったですね」

日系3世の女と中国人の男がどのようにしてめぐり会い、どのようにして愛をはぐくんで結婚したのか私は聞かなかった。 戦争中ハリーさんが抗日の気運の中で育ったことは想像にかたくない。でもモリーさんは口では日本人というものの、生粋のアメリカ人だ。アメリカ政府からいわれなく裏切者と疑われた日系アメリカ人だ。英語を媒介とした二人の結びつきにはきっとドラマがあるんだろうなという気がする。

アメリカでは英語がすべてで、そのほかの言葉は必要ない、ということになっている。でもモリーさんが育った日系人の環境では、英語になりにくい場面や感情があるのではないだろうか。そういう場合にはやはり日本語に頼っただろう。

ハリーさんは中国から来たのだから、引きずってきたものはもっともっと大きいはずだ。それを過不足なく英語で表現できるとは信じがたい。もっとも彼は何十年も中国語を使っていなかったので、中国に住んでいる弟を訪ねた時、中国語が変になっている、と言われたそうだ。「自分じゃ気がつかないんだけどね、他人が聞くとやっぱりおかしいんだって」


「昨日バイオリン博物館に行きましたか」
「行った、行った。閉まる直前だったけどね」
「すばらしい楽器がありましたね」
「そうですね。わしにはわからんけど」
「お孫さんの楽器もやっぱりいいものなんでしょうね」
「うん、実に高いものらしいですよ。私たちにはとても買えない。私たちが買ってやれたのはケースだけで」と往年の大富豪の息子は残念そうに言った。それでも彼の顔はどこか誇らしげだった。


私がアイリッシュを弾くことは昨日話してあった。モリーさんは「アメリカでアイルランドのフォーク・ミュージックを弾いている日本人なんて、あなたに会ったのが最初ですよ」と言った。

そこから話は自然に東洋人が西洋の音楽をやる、ということに移った。クラシックでは今やそんなことは問題にならない。ハリーさんは「テレビで韓国や中国の子供たちが実に上手に弾いているでしょう。ああいうのを見ると、音楽に国境はないと思うね」

でもアイリッシュ音楽では実はそうはいかないのだ。いや、これは私一人がそう思っているだけなのかもしれない。でも同じバイオリンを弾いても、アイリッシュはクラシックとは音色からして違うのだ。東洋人が、というまでもなく、アメリカ人が弾いてさえ、どこか本場のものとは同じとは言えない。だからアメリカ人で名のあるアイリッシュ・ミュージシャンは雨夜の星だ。

私はフェデリコ君がうらやましかった。コンクールで賞をとっている彼は血のにじむような練習をしているには違いないが、何しろ半分イタリア人でイタリアに住んでいる。自分の感性に疑問を抱かなくていいというのは 絶対に有利だと思うのだ。私なんか時に「バイオリンじゃなくて津軽三味線を弾いていたら…」と空想することがある。


「今度はアメリカで会いましょう」
「ええ、サンフランシスコに来ることが会ったら連絡してくださいね。お名残惜しいわ」
「ハリーさんもお元気で」「お会いできて嬉しかったです」
「いや、楽しかった。ニシさん、リンダさん、お二人とも体に気をつけて」
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