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縁の下のバイオリン弾き
171 ばかメートル
2020年3月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 若い頃の福沢諭吉
私の母校慶應義塾大学から卒業50周年記念の入学式招待の手紙がきた。それを見ていて、ふと校章の下にラテン語の標語があるのに気がついた。大学時代にはとんと気がつかなかったけれど、アメリカに長くいるから、大学の標語をラテン語で書く、という風習には別におどろかない。でも日本の大学が欧米のまねをしてこんなことをするとは思わなかった。

例えば私が長く勤めたカリフォルニア大学の標語は“Fiat Lux”(光あらしめよ)だ。
ハーバード大学の標語は“Veritas”(真実)、シカゴ大学は“Crescat scientia; vita excolatur”(知識を育て、人生を豊かに)などという具合だ。スタンフォード大学はちょっと変わっていて、ドイツ語で“Die Luft der Freiheit weht”(自由の風が吹く)というそうだ。(私はラテン語もドイツ語もわからない。すべて孫引きです)。

私の大学の標語はどうなっているかというと“Calamvs gladio fortior”(ペンは剣より強し)だ。この言葉は英国の文人エドワード・バルワー=リットン(「ポンペイ最後の日」の作者)が1839年に発表した戯曲の中に出てくる言葉だそうだ。したがって原語は英語であって、ラテン語ではない。The pen is mightier than the swordを誰かがわざわざラテン語に訳したものだと思われる。ご苦労様なことだ。

私の大学は塾として始まったのが1858年だから、いつこの標語を選んだのかはわからないけれど、たかだか20年か30年ぐらい前に出来上がった言葉を標語に採用したわけだ。もっとも、言葉はこの通りでなくても、この「ペンは剣より強し」という思想は古代からあるそうだけれど。

私の目を引いたのはgladioという単語だ。これは「剣」のことだと思われる。というのは映画の「グラディエーター」を思い出したからで、なるほど、グラディエーターは「剣士」という意味だったんだな、となっとくがいった。


剣という言葉では、香港で忘れがたい経験をした。会社の同僚(中国人)と英語で話していて、話が日本刀のことになった。たぶん日本刀は世界一優れた刀剣だ、とか私が自慢したのだろう。その時に日本刀のことを「ソード(剣)」と言ったところ、友人は、「あれはソードじゃない、ナイフだ」と言ったのだ。刀はナイフだというのだ。

冗談じゃない、あんなに長いものがナイフであってたまるものか、と私は反論したのだけど、彼は頑固に「いや、ナイフだ」と言ってきかない。

その時はそれで話はとぎれてしまったけれど、その後、私は彼がなぜあんなことを言ったのか、理解するようになった。

日本では刀も剣も同じことだ。刀剣と一括して呼ぶし、刀の技法は剣道あるいは剣術という。詩吟でよくやる「鞭声粛々…(べんせいしゅくしゅく)」の漢詩の中で、頼山陽は川中島の合戦での上杉謙信を「遺恨十年、一剣を磨く」と描写している。司馬遼太郎は「燃えよ剣」という小説を書いた。どちらの剣も日本刀のことだ。

が、中国では剣と刀は違うのだ。剣というのは長い両刃(もろは)の武器をいう。幅は細く、まっすぐである。対して刀(とう)というのは比較的短く、幅の広い片刃のもので、そった刀身の先の方が大きくなっている。重心が先端に来るように考えられたもので、これで当たるを幸いぶった切るのである。柳の葉に似ているから「柳葉刀」という(興味のある方はネットで写真を見てください)。

つまり剣というからには両刃でなくてはならず、刀といえば片刃のものがイメージされる。この分類で行くと片刃の日本刀は刀であって剣ではない。日本で中国流の剣なんか持っているのはお寺の山門の仁王様ぐらいだ。


両刃の剣はそれを手に持った時、相手に傷を付けるけれど、自分の方を向いている側にも刃がついているので、こちらも怪我する危険がある。それで他人に対する武器になるけれど、自分も無事では済まないような事柄を「両刃の剣(もろはのつるぎ)」というのだ。

この時の剣を「けん」とは言わず、わざわざ「つるぎ」と発音するのは、日本には直刀で両刃の剣は奈良時代ぐらい前までさかのぼらないと存在しないから、剣の古い読み方つるぎでそのことを思い起こさせる配慮であったと思われる。草薙(くさなぎ)のつるぎなどと言いますからね。もし日本刀を剣と言っていいのなら、両刃の日本刀など存在しないのだから、中国人から見ればこの言葉自体が矛盾した形容になってしまう。

もちろん「両刃の剣」という言葉は中国にない。かの地では剣といえば両刃に決まっているからだ。

両刃の剣の語源は中国ではなく、西洋にある。英語でDouble edged swordという。わざわざdouble edgedといっていることから分かるように、欧米ではswordに両刃も片刃もない。長い刀剣は形状がどのようであれ、みんなソードなのだ。その点では日本と同じなのである。

したがって日本刀をソードと言った私は英語の観点からは正しいわけだ。

でも剣と刀を区別する中国語では、ソードの翻訳として剣しかない。片刃のものは長さがどうであれナイフと呼ぶ。

これは中国だけの特殊事情であって、西洋だって一般にナイフといえばソードより短いものに決まっている。ところが中国の「刀」は前述の通り「剣」より短いから、しかも英語でも両刃のナイフはべつの言葉で呼ぶことが多いから(ダガーという)、中国人の目には自身の刀の定義(つまり片刃)が西洋でも通用するように思われてしまう。彼らの観点から言えば片刃というだけで日本刀はナイフでなければならないのだ。

つまり我々の会話は、英語で話していたこと、中国と日本の常識に違いがあることが重なって、なんだか訳がわからないことになってしまったのだと思う。

英語と中国語と日本語が混ぜこぜになった誤解ということで私には特に印象深かった。


そう言えば、台所の包丁のことを英語でキッチン・ナイフという。私にとっては包丁は包丁であって、香港に行くまであれをナイフだなどと思ったことはなかった。出刃包丁のように先が尖っているものはナイフだと言われれば理解できるけれど、菜切り包丁みたいな平和的な道具をナイフと言われてもピンと来ないではないか。

中国語では菜刀という。ご存知のように中国の包丁はばかに幅の広い、ほとんど四角の鉄片であって、刀の形をしていない。それでも片刃だから、刀というのだ。

江戸時代の庶民が武士を罵って刀のことを「人切り包丁」というのを映画や芝居で見ることがある。包丁がナイフであるならば、人切り包丁つまり日本刀はまさしくナイフだろう。香港での経験があるから、私には面白い表現だ。



アメリカ・ワイオミング州にコーディという町がある。19世紀西部のイメージを作るのに大きな役割を果たした興行師、「バッファロー・ビル」ことウィリアム・コーディが作った町だ。小さい町だけど、ここには西部の歴史関係の巨大な博物館、バッファロー・ビル・センターがある。私は1985年にシカゴに向かう途中、初めてここを訪れた。

何しろ西部劇ファンだから、このセンターは宝の山に入ったような気分を起こさせたが、インディアンつまりアメリカ先住民関係の展示を見て、それまで抱いていた誤解を思い知らされた。

彼らが使っていたナイフが展示されていたのだけど、私が思い描いていたようなハンティング・ナイフではなく、台所の包丁(刃先がとがっているもの)だったのだ。

考えてみればそれも当然のことで、これらのナイフはすべて白人との交易品なのだ。先住民は鉄器を知らなかったから、それまで彼らのナイフは石器だった。ヨーロッパから白人が来るようになって初めて鉄器を手に入れることができた。白人は何もインディアンに武器を与えるつもりで鉄器を渡したのではない。そんなことは危なくてできない。日常生活に必要な生活必需品としてのキッチン・ナイフを安易に交易に使ったのだ。インディアンはそれを何にでも用いた。狩猟に使い、武器に転用したのである。

彼らが投げることで有名なトマホーク(手斧)も同じことだ。ヨーロッパ人は木を切るのに必要な価値ある交易品として手斧をもたらした。それを武器に転用したのだ。鉄器以前のトマホークの展示もあった。それは先端がこぶのようになった木の棍棒で、そのこぶに(西洋から来た)長い釘が埋められていた。そんなものを使ってお互い争っていた先住民は、考えようによってはなんと平和な民族だったことだろう。


西洋の剣も中国の剣と刀も、片手で扱うものなのに、日本刀は両手で持つ。香港で武俠片(チャンバラ映画)に中国人の俳優が日本のさむらいに扮して出てくるのを見たことがある。はじめはなんとなく日本人になりすましているけれど、刀を持って闘う場面になるととたんに馬脚を現してしまう。というのはあの長い日本刀を片手で持って戦うからだ。民族の体の動きというものは付け焼き刃で変えることはできない。日本刀がいかに重かろうとも両手で刀を持って動き回ることが彼らにはできないのだ。

司馬遼太郎は中世におびただしい日本刀が中国に輸出されたのに、現在では全然残っていないことを取り上げて、日中の体術の違いのために他の用途に回されてしまったのではないか(例えばノミやタガネに転用したとか)という説を述べている。

「ロブ・ロイ」という映画でリアム・ニーソンがスコットランド高地人の英雄に扮して悪役の英国人と決闘する。高地人の武器は例外的で、彼は大変大きく長い剣を両手で持つ。対する相手はフェンシングで使うエペのような軽い剣である。片手でそれを自由に扱い、チョコマカと動いてロブ・ロイを苦しめる。ロブは段々に疲れてきて動きが鈍くなる。彼は最後には勝つのだけど、それは全く偶然と言っていい行動の末の勝利であって、長大な剣の不利は明らかだ。

日本で剣道が発達したのは、この不利を訓練と技術によって補おうとしたからだと思われる。時代劇で、ヤクザが刀を抜くと、必ず片手で振り回す。これは約束であって、武士ではないヤクザが剣道の修練がないことを表しているのだ。

もっとも、ヤクザが刀を持っているのは、庶民でも旅行の時は護身用に脇差をさしても良いという幕府の許可を逆手に取ったからであり、長脇差(ながドス)は大刀に比べて短かかった。


「両刃の剣」と言う言葉は現代にひきうつせば核兵器だろう。使えばこちらも自滅するから、アメリカのように地球を何十回と破壊できる量の武器を持っても身動きが取れない。

私の大学の創立者福沢諭吉は武士だったけれど、幕府が倒れると真っ先に刀を捨てた。「文明開花の世の中にありがたそうに凶器を腰にしているやつはばかだ、その刀の長いほど大ばかであるから、武家の刀はこれを名づけてばかメートル(ばかを測るメーター)と言うがよかろう」と放言していた。「刀は武士の魂」の時代にそんなことを言うのは大変な勇気がいったことと思う。それも刀が使えないから負け惜しみにそんなことを言うのではなく、居合(いあい)の達人だった。友人が格好をつけて指していて自身では抜けない長い刀を借り受けて苦もなく抜いて見せた、という。そんな福沢にとって「ペンは剣より強し」と言う言葉は「我が意を得たり」の金言だっただろう。


日本も世界にさきがけて核を持たないと宣言した。ばかメートルをいくらたくさん持っていても仕方がない。


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