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縁の下のバイオリン弾き
185 デレク・ショービン
2021年5月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 踊るモン族の少女を私が描いた1980年代初頭のクリスマスカード。
世界中にBlack Lives Matterの運動を巻き起こしたジョージ・フロイド圧死事件の犯人、もと警察官のデレク・ショービンへの判決が4月19日に下った。訴追された三つのカテゴリーですべて有罪と決定された。

これは歴史的な判決だった。アメリカで警察官の手による黒人殺人事件で犯人が有罪になるのは2000件に1件だという。ジョージ・フロイド事件で世界は初めてそれを知ったわけだけど、驚くのはその後も現職警察官による黒人あるいは有色人種容疑者の殺人が頻々と起こったし、今も起こっている、ということだ。この恥ずべき事件が警官になんの歯止めにもなっていない、というのが不思議だが、これこそがシステミック・レイシズム(骨がらみの人種差別)の本質だ。つまり、やめようと思ってもやめられないのだ。


デレク・ショービンの犯罪はその場に居合わせた高校生の撮影したビデオがなかったら成立しなかった。しかし警官のボディカメラが撮影したものがあって、それを見ても警官が最初からジョージを犯罪者あつかいしていることがわかる。例えば、車の中にいたジョージにすでに拳銃を抜いてねらいをつけ、「ハンドルの上に手をおけ!」と窓の外からどなっている。振り向いたジョージの驚愕した顔が写っている。

事件の発端は彼が支払ったたった二十ドル(2500円)の偽札だ。それもジョージが意図して使ったのかどうかもわからない。朝日新聞に載った記事で、白人の男性が自分も同じ状況に陥ったことがあるが、警官は笑って釈放してくれた、と書いていたのが印象的だ。しかし相手が黒人だと初めから重大犯人あつかいで、銃を突きつける。

逮捕がうまくいかなくて怪我人が出ても、警察が不法なことをするはずがないから罪は黒人にあるのだろうと世間は思う。また、よく使われる口実が麻薬だ。罪もない少年が殺されても、捜査は麻薬がらみだった、といえば、なんの証拠がなくても世間は納得してくれる。黒人=麻薬という社会通念が行き渡っているからだ。

しかし今回ばかりは17歳のダーネラ・フレイジャーの撮影したビデオが動かぬ証拠となった。そのビデオは人種偏見による人命軽視を白日のもとに暴露している。


でも私はこの判決後に知ったある事実に驚かされた。それはデレク・ショービンの離婚した妻が(別居はジョージの死後すぐだったそうだ)モン(Hmong)族だった、ということだ。

モン族はラオスを中心に、タイやベトナムにも分布するアジアの少数民族だ。

ベトナム戦争ではラオスでアメリカ軍に協力したために、アメリカが敗北すると行き場を失い、大量虐殺された。難民となってタイに逃げ、やがて欧米に流れた。私はサンディエゴに来る前、サンフランシスコで暮らしていたのだが、その際、難民を支援する団体と関係があってモン族とも接触があったから彼らのことに全く無知ではない。

ショービンの妻ケリーは3歳の時にラオスからタイに逃れ、6歳でアメリカに移住した。英語ができないために学校ではいじめられ、「ブス」と呼ばれたそうだ。そのためかどうか、2018年に美人コンテストに出場し、「ミセス」ミネソタの栄冠を43歳で手にした。アジア人として初めてのことだった。

彼女はレントゲン技師の資格をとって病院で働いていた。事件で怪我人を運び込んだデレク・ショービンにみそめられて結婚したのだという。10年前のことだ。奇(く)しくもその病院は後年ジョージ・フロイドが担ぎ込まれた病院だった。

これで見るとショービンは人種偏見の持ち主ではあるが、白人至上主義者というわけではないらしい。後者であれば、白人以外の人種にはひとしなみに侮蔑の感情を持つであろう。アジア人と結婚する、などということはしないだろう。



この1年、世界はBlack Lives Matterのスローガンのもと、黒人に対する差別に反対したのであったが、アメリカではもう一つ、アジア人に対する差別が広がっていた。

これはトランプ前大統領に責任がある。自分の無策をごまかすために、コロナウイルスをことさら「チャイナウイルス」と呼ぶことに固執した。これを大統領のお墨付きと受け取ったアメリカ人の間にアジア系市民に対する偏見が強まり、肉体的あるいは精神的な暴力行為が広まった。

それが頂点に達したのが3月にジョージア州アトランタで起こったマッサージパーラー殺人事件だ。犯人は21歳の白人男性だった。3軒のマッサージパーラーを続けざまに攻撃し、8人射殺したうちの6人がアジア人女性(中国人と韓国人)だった。

この事件はアメリカの社会全体に大きな衝撃をもたらした。これだけではない。殺人にまでは至らなくとも、アジア人を対象にした憎悪事件は今までにないほど広汎に増えている。

もしショービンがあのアトランタの事件現場にいあわせたならば、彼はどうしただろうかと私は想像しないわけにはいかない。モン族女性と結婚している男が、ねらい撃ちにされた韓国や中国の女性を見殺しにするなどとは考えられない。必ずや銃を取って犯人と戦っただろうと思う。

だからどうなんだ、と言われるかもしれない。その通り、だからどうなんだというほかない。彼がアジア人女性のために命を張って戦ったとしても、それでジョージ・フロイド殺しの罪が帳消しになるわけではないからだ。

人種問題というのはだからやっかいだ、と私はつくづく思う。

人種が違えばそこに偏見が発生する。その偏見のありさまは多種多様であって、決して一律に論じられるものではない。ことにアメリカでは、偏見にさらされる少数民族同士の間にもさまざまな偏見がある。

おれがXに偏見を持っていることは認めよう、でもそういうお前だってYに偏見を持っているじゃないか、いやいや、Zから見ればおれたちどちらも差別の対象だ、それは断じて許せない、などという戯画的なことになってしまう。


2004年にアカデミー賞(作品賞)を取った「クラッシュ」という映画がある。もっと他にいい作品があった、とせっかくの受賞をくさされることが多い映画だが、まさにこの人種偏見の多様性を扱ったもので、ある場面では偏見の対象だった人物が次の場面では他の人種をおとしめる、という行動を連鎖反応的に描いている。日本人であり、アジア人のひとりである私にはひと事ではなかった。もっと高い評価がされていい映画だと思う。商業主義的なハリウッドでこのような作品が作られるというのはアメリカの良心を表している。


モン族をインターネットで調べると、ほとんどこれだけ、といった感じで出てくるのが、クリント・イーストウッドが2008年に作った「グラン・トリノ」という映画だ。モン族をまともに扱った映画など、それまでなかった。この映画でイーストウッドは人種偏見のかたまりのような口汚いがんこ親父を演じている。隣にモン族の一家が引っ越してきたのが気に入らず、ことごとに衝突する。映画はモン族の習俗をきめ細かく描写し、彼らの人間性を浮き彫りにする。同時に悪役もモン族と設定しているので、何も賛美だけしているわけではない。理解がだんだんに深まり、主人公は最後には彼らのために一身を犠牲にする。

モン族のような異質な存在を扱ったのがアメリカの一般大衆にはウケなかったので、この映画も評価は今ひとつ、という感じだけど、私はイーストウッド監督の着眼に感心した。何が彼を動かしてモン族の映画を撮らせたのであろうか。ひょっとしたらアメリカのために苛酷な運命にさらされた彼らに負い目を感じたのかもしれない。


そのモン族の女性と結婚したデレク・ショービンが、特にその女性が学校でいじめを受けたことを知っている彼が、アジア人に対する偏見に無関心であったはずはない。それにも関わらず、彼はBlack Lives Matter運動の元凶となってしまった。ラオスから来た美人の妻は愛せても、隣の黒人はがまんならなかった、とでもいうのだろうか。



(注)Chauvinという名前はフランス系で、本来はショーバンと読まなければならないようですが、アメリカのメディアではショービンと読むのが一般的なので、ここでもそう書きました。


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