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127 ローマの休日 (Roman Holiday)
2014年1月1日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
1年間のお休みをいただきましたが、今年からまた参加させていただきたいと存じます。相変わらずの駄文で恐縮ですが、またおつき合いいただけたら幸いです。まず年当初の書き込みは、私が不得手とする分野、映画のお話です。

先日、TVを録画して久しぶりに「ローマの休日」を見ました。(私はこの映画をたぶん今までに数回は見ていると思います。)あのオードリー・ヘップバーン (Audrey Hepburn) が世界に知られることになった、1953年(昭和28年)公開のアメリカ映画です。私のように映画には至って疎い者でも知っている、いわば名画と言われている作品ですね。たいていの方があらすじもご存じのことと思います。

監督はウィリアム・ワイラー、主演がオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペック。公開された1953年のアカデミー賞において、最優秀主演女優賞、最優秀脚本賞、最優秀衣裳デザイン賞を受賞しただけでなく、公開後60年以上経った現在でも、多くの人が名画として記憶していますので、まず間違いなくすばらしい映画だと思います。

ところで、ここでおしゃべりしたいのは、アカデミー賞で最優秀賞を獲得したこの映画の脚本家のことです。当時、脚本家は、イアン・マクレラン・ハンター(Ian McLellan Hunter) と発表され、実際に彼がアカデミー賞を受賞したのですが、実は本当の原作・脚本家は別にいて、ハンターは名義を貸しただけだったことが、その後明らかになりました。その事情がなかなか興味をそそられるものでしたので、ちょっと調べてみました。

戦後最悪の悪法が昨年、日本の国会で成立させられてしまいましたが、日本における言論、報道や思想の自由を本当に真剣に考えなければならない現在、振り返って吟味してよい史実だと思います。

マッカーシズム (McCarthyism)として知られるアメリカにおける「赤狩り」は、共産主義台頭の脅威に対して、第2次世界大戦後まもなく、アメリカで始まった狂気の言論、思想弾圧でした。歴史的に見て、こうした思想統制が行われる時は、まず言論、報道、教育から始まるのですが、マッカーシズムの場合もそうでした。まずやり玉に挙げられた分野のひとつは、当時アメリカでは比較的進歩的な人々が多かった、映画界、ハリウッドでした。そしてこれはそれまでの歴史と同じく、共産主義の弾圧にとどまらず、思想の自由そのものの苛烈な弾圧となっていったのです。

1947年(第2次大戦終結は1945年)には、議会の非米活動委員会で、ハリウッドにおけるアメリカ共産党の活動や同調者、支援者等が調べられました。チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ウィリアム・ワイラーなども対象となり、委員会への召喚や証言を拒否した10人の映画関係者(ハリウッド・テン)は、議会侮辱罪で訴追され、有罪判決を受けて映画業界から追放されました。チャップリンはこのことをきっかけにしてアメリカを去ることになりました。

その時に、思想の自由の大切さを主張して反対したのが、グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーランド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、ダニー・ケイ、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、ベニー・グッドマン、キャサリン・ヘプバーン、フランク・シナトラなどでした。

その一方で、ジョン・ウェイン、ウォルト・ディズニー、ロバート・テイラー、そして後にアメリカ大統領になった、ロナルド・レーガン(当時は俳優)などは非米活動委員会に積極的に協力しました。覚えていてよい史実ですね。

実は「ローマの休日」の本当の脚本家は、ハリウッド・テンのひとり、ダルトン・トランボ (Dalton Trumbo 1905 〜 1976)という、「赤狩り」前までは、ハリウッドでもたいへんな売れっ子だった脚本家でした。そもそも当時、最優秀脚本家賞を受賞した、イアン・マクレラン・ハンター(Ian McLellan Hunter 1915 〜 1991)は、イギリス生まれの脚本家でしたが、当時まったく無名で、その後も名前の残る作品は書いておりません。彼の人名録には、「実際には彼が手がけたわけではない作品で広く知られている」と、なんとも奇妙な紹介がなされていました。もっとも、当時の雰囲気では、もしもパージされたトランボに名義を貸したことがばれると、ハンター自身も業界から追放される危険があったわけですから、彼自身もリスクを負ったのは事実です。きっと勇気の要る行動だったと思います。

非米活動委員会聴聞会に召喚されたトランボは、「あなたは共産主義者か、あるいは、かつてそうであったか?」と問われましたが、アメリカ合衆国憲法修正第一条(言論と集会の自由を規定した条項)を理由に証言を拒みました。最近その時の記録映像を見る機会があったのですが、本当に勇気のある行動だったと思います。あの時期のアメリカにおけるマッカーシズムの圧倒的な雰囲気の中で、よくあのような証言拒否ができたものと、見ている私の方が圧倒されました。

結局、トランボはそれまでに築いた業界での全てを奪われ、最高裁まで争ったのですが、議会侮辱罪で10ヶ月の禁固刑の実刑判決を受けただけでなく、業界から追放されました。「アメリカの 理想を守る映画連盟」というジョン・ウェインを中心とする超保守主義のグループなどは、これに喝采をしていたのです。

刑期終了後も映画界での仕事を失ったため、家族と共にメキシコに移り住み、貧困にあえぐ生活を強いられましたが、偽名を使って脚本家としての仕事を続けました。実名では仕事ができなかった彼は、この時期にB級作品の脚本の他にも、実はすごい仕事をしていたのです。「ローマの休日」の他にも、ロバート・リッチ名義で書いた「黒い牡牛」The Brave One(1956年)が1956年のアカデミー賞原案賞を受賞しました。受賞はもちろん名義人のロバート・リッチでした。

なお、以下は実名が出せるようになってからのトランボの作品ですが、後世に名を残した作品がいくつもありますね。最初に実名を復活できたのは、1960年の「スパルタカス」ですから、非米活動委員会での聴聞から13年後のことです。業界への復帰にはそんなに長い時間がかかったのです。

スパルタカス Spartacus(1960年)
栄光への脱出 Exodus(1960年)
いそしぎ The Sandpiper(1965年)
ハワイ Hawaii(1965年)
フィクサー The Fixer(1968年)
ジョニーは戦場へ行った Johnny Got His Gun(1971年)
ダラスの熱い日 Executive Action(1973年)
パピヨン Papillon(1973年)

考えてみれば、「ローマの休日」の監督、ウィリアム・ワイラーは、自身が非米活動委員会の調査対象となりながら、当時、思想・表現の自由を守るために尽力した人物であり、主演俳優の一人、グレゴリー・ペックも同様な考えを持った俳優でした。真の脚本家が、トランボであることを彼等は知っていたと思います。だからこそ、ワイラーもペックもよい映画を撮ろうと頑張ったのでしょう。

映画「ローマの休日」の冒頭に、こんな表示があります。

「This film was photographed and recorded in its entirety in Rome, Italy.」

つまり「この映画の撮影・収録はすべてローマで行われました」と言っているのです。これは当時のハリウッドとしては、異例のことだったようです。しかも、それを宣言しているところに、私はワイラー監督をはじめ、製作中枢に居た人々の強い意志を感じました。ちなみにこの映画の共同プロデューサーだった、ロバート・ワイラーはウィリアムの2歳年上の兄です。

たとえ一部でもハリウッドで製作すれば、当時アメリカを席巻していたマッカーシズムの影響を免れないと彼等は考えたのだと思います。ヨーロッパで製作した方がマッカーシズムの影響を受けにくいと考えたとしても不思議ではありません。このあたりが、ワイラー兄弟の知恵だったのでしょうね。

「ローマの休日」という題名も、原題は「Roman Holiday」です。「Holiday in Rome」ではないのです。ここらあたりも、狂気が席巻しているアメリカを脱して、ローマでローマ的に製作しました、というワイラー監督の気持ちが表現されているように思いますが、考え過ぎでしょうか?

ちなみにワイラー兄弟は、20世紀初頭、当時ドイツ領であったアルザスのミュールハウゼン (Mülhausen) で生まれました。アルザスは第2次大戦後、フランス領となり、彼らの生まれ故郷は現在はミュールーズ (Mulhouse) となっています。そんなことも影響があったのでしょうか、戦争を嫌い、平和を志向する意識がとりわけ強かったのだと思います。

思想・言論の自由の大切さは、今さら私が強調するまでもありませんが、覚えておきたいのは、それに対する圧迫は、まず報道と教育から始まるということです。あらゆる強権政治・独裁政治がそうしてきました。報道の萎縮と、異質や批判を排除する教育体制、太平洋戦争への入口もそこにあったと思います。今こそ、そのことをよくよく思い出して噛みしめたいと思います。

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