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ボーダーを越えて
161 ボリビア(2)2つの日系移住地
2010年6月11日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
▲ 移民が日本から持って来た水筒。(サンファン移住地史料館展示)
▲ 日本から持ち込まれた脱穀機とサンファン日ボ会長の日比野さん。私が幼年時代を過ごしたのは東京都世田谷区でしたが、当時はまだ農家もあって、これと同じ脱穀機を使っているのを見た覚えがあります。
私がボリビアに観光以外の関心を持つようになったのは、本当にひょんなきっかけでした。連れ合いにそそのかれた、と言ってもいいかもしれません。

1996年のたしか2月でした。チャルマーズ・ジョンソン氏が当時の沖縄県知事大田昌秀氏に招かれて沖縄を訪れ、その報告講演会がサンディエゴでありました。講演は沖縄の米軍基地問題について集中したのですが、そのときトーマスが、ボリビアには沖縄移民がいて、地元民の噂では、彼らは米軍の飛行機で連れて来られてジャングルに放り落されたと言われているが、そのことと沖縄の米軍基地の存在とは関係あるのではないか、と質問したのです。

そんなことはジョンソン氏には初耳でした。トーマスがそんな質問をしたのは、1972年に10ヶ月近くボリビアにいたとき、その噂を現地で聞いたからです。彼はタンザニアとエクアドルで農業指導の仕事をした後、灌漑の勉強をすべく米国ユタ大学の大学院に入っていたのですが、たまたまユタ大学はボリビアの内地移住の研究を進めていて、調査をする大学院生を募集しており、エクアドルでスペイン語に堪能になったトーマスは率先して出かけて行き、そこで東部低地への移住者の足跡を追って開拓状況を調査していました。

彼は調査を始める前に、ラパスの米国大使館から、東部低地のサンタクルス県には日本人サンファン移住地とオキナワ移住地があるが、オキナワ移住地には近寄るな。そこの住民は士気喪失していて酒でうっぷん晴らしの喧嘩が絶えず、アメリカ人に対しては大変な怒りを持っているから、イギリス人といっても危険だ、と言われたのでした。そう言われてかえって好奇心をそそられたものの、彼は身の安全を考えてサンファン移住地に行ってみることにしたそうです。

私は1996年に初めてオキナワ移住地を訪れたのですが、そのときオキナワ日本ボリビア協会(略して日ボ)会長だった具志堅興貞さんは当時を振り返って、「いやぁ、本当にそうでした。目の前が真っ暗でしたからねぇ、もうみんないつもムカムカしていて、結婚式でも葬式でも、酒が入ると理由がなくてもすぐ喧嘩。やたらとげんこつを振り回したもんです」と正直に話されたものです。

「当時はサンファンも同じような状況でしたよ」と、サンファン日ボ会長日比野正靭さんも正直で、笑っておられました。たしかに『サンファン日本人移住地入植50年史』を読むと、当時はサンファン移住地も将来の見通しが立たず、暗い不安が蔓延して人心は相当荒れていたようです。それでもトーマスは、当時のサンファン移住地ではジャングルの中なのに子どもたちがきちっとした身なりで規律正しく学校へ行く姿がとても印象的だったと言います。

でも日比野さんのおっしゃる通り、サンファンもオキナワも1980年代までは移住地そのものの継続すら危ぶまれるほど、困難続きだったようです。それなのに米国大使館が「オキナワには近づくな」とトーマスに警告したのは、やはりアメリカは沖縄移民に対してどこかで罪悪感を持っていたのかもしれません。地元民の噂のように、沖縄移民は米国軍隊機でボリビアのジャングルの落され、置き去りにされたわけではありませんが、その噂に全く根拠がないわけでもないのですから。

話は前後しますが、ジョンソン氏の後援会の数日後、私は偶然にも大学図書館で『ボリビアの「日本人村」』(国本伊代著)という本を見つけました。サンファン移住地の概要についての本だったのですが、そこには米軍基地拡張のため沖縄移民もボリビアに渡ったという1節があるではありませんか。そこで探究心がムラムラと湧いたのはトーマスの方です。
「ボリビアに行ってみたら?」
「え?」
「 真相を調べてみたくないかい?」
そりゃぁ事実は探りたいけど… でも、沖縄はそれまで私の視野からはすっぽり抜け落ちていて気が引けるし、南米には行ったことがないのでボリビア低地なんて想像もできないし… 私は優柔不断にぐずぐずしていました。
「絶対行って調べてみるべきだよ」
そうトーマスに強く背中を押されて、それじゃやってみようかな、という気が起きて来ました。ジョンソン氏も大賛成。それが私のボリビア(そして沖縄)との関わり合いの、どう見ても立派とは言えない始まりなのです。

調べてみると、戦後沖縄ボリビア移民は、米軍に土地を取られた人々がボリビアに渡ったというような単純なものではないことがわかりました。米軍基地拡張のための土地収用はもとより、引揚者の増大で住宅不足、職不足で生活は困窮状態のまま、そして軍政下での雇用差別や言論の統制で、住民の不満は何度も爆発。 ときは冷戦の真っ最中。共産主義の浸透を最も恐れていた米軍民政府は、ガス抜きの安全弁としてボリビア移民を打ち出したのでした。そのときちょうど、ボリビア新政権は社会改革を遂行させつつあり、東部低地開発を促進して食料自給を目指し、国有地を分配して移民を歓迎する政策を取り、移住地の土地は確保できたのです。それで米国民政府と琉球政府は、しっかりした土地調査もしないまま大規模な机上プランを立て、1954年から沖縄からのボリビア移民を始めたのです。が、入植した場所は道もなく、サンタクルス市からは橋のないグランデ河に切り離され、しかも飲み水すら十分にないジャングルの中。それだけでも言葉では表現しきれないほど大変なのに、入植して間もない頃に不可思議な病気が発生して15名が命を奪われ、半数以上が病床に伏す羽目になりました。それで沖縄移民は転地を繰り返し、やっとグランデ河のこちら側にある現在の移住地に定着し、ジャングルの開墾から出直すことになりました。

そのころ日本本土も、軍政下ではないものの、住宅難就職難で沖縄と同様に困窮状況。おまけに石炭から石油への移行が始まり、炭坑閉山による失業者の増大や労働争議で社会は不安定な状況でした。その対策に外務省は海外移住奨励にやっきとなり、移住地候補の調査もいい加減のまま、移民を送り出したのです。その一番悲惨な例はドミニカ共和国ですが、ボリビア移民の場合も五十歩百歩。道も学校もあるなどと宣伝して移民を募ったそうですが、来てみたらあるのはジャングルだけ。

サンファン移住地史料館に、水筒が展示されています。私が小学校低学年のころ遠足に持って行ったのと同じような形で、懐かしくなりました。
「こういう水筒の栓には磁石が付いていたのを覚えていませんか」
と、史料館の展示品の1つ1つを説明してくださった日比野さんに言われて、私の水筒にも付いていたのを思い出しました。おもちゃのような磁石でしたが、磁石には違いありませんでした。
「その磁石を使って開墾して土地分配していったんです」
まぁ… そんなふうに十分な機材もないまま進めた作業がどんなに大変だったか、私には想像もできません。

おまけにサンファン移住地では雨が多過ぎる、オキナワ移住地ではグランデ河の氾濫で大洪水が起きやすい、道路がなくて収穫した作物も売りに出せない、電気や水道や電話などもちろんない。将来の見通しも立たない。安定した収入をもたらすような作物もない。そんな困難が何年も何年も続き、開拓の夢を諦めて移住地を去って行く人々が後を断たず、移住地は暗い雲に覆われ続けました。トーマスがボリビアへ行ったころの日系移住地は、そういう状況だったのです。

至難を乗り越えた現在、オキナワ移住地もサンファン移住地もしっかりした経済基盤を築き、繁栄しています。ここまで移住地を育て上げて来られた方々の努力と忍耐力に、私は頭が下がる思いでいっぱいになります。トーマスに一押しされなかったら、こんなにすばらしい方々と出会うことはなかったでしょう。

押されて本当によかった。先月ボリビアで移住地の方々と再会して、心からそう思いました。
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