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129 森 恪 (読みにくい名前を、もう1件)
2014年1月13日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
森 恪 (読みにくい名前を、もう1件)

この直前の記事「大給 恒(おぎゅう ゆずる)」に続きまして、もう1件、読みにくい名前に関する書き込みをさせていただきます。今回は「森 恪」という人名ですが、これ、何と読むと思いますか? 

最初の「森」はもちろん「もり」でOKなのですが、「恪」はどうでしょうか? 実は「恪」は「つとむ」と読みまして、かの人物の姓名は、「もり つとむ」といいました。

前の記事に引き続き、またお墓の写真で恐縮ですが、上段の写真は「森恪」氏のお墓でして、都内港区にある青山霊園にあります。私は時々、所用であの周辺を動くことがあるのですが、過日ふと思い立って、霊園の中に足を踏み入れてみました。

私は都内はいつも車で動いているものですから、青山通りを赤坂から渋谷方向へ向かい、青山一丁目、青山二丁目の信号を過ぎ、赤坂消防署という信号を左折しますと、一方通行で、青山霊園の中心部へ簡単に行くことができます。

過日行った時は、平日で桜の季節でもありませんでしたので、いたって簡単に車を駐車することができたのですが、駐車して車を降りた私の目に、真っ先に飛び込んできたのが、このお墓でした。

森恪という、この人物は現代史に関心を持っている人を別にすると、一般にはあまり知られていないように思いますが、実は戦前の日本を戦争へ導いていった重要な責任者の一人です。まずはネット上で公開されているデータに従って、この人のおおよその人生をたどってみます。

1882年(明治15年)大阪府大阪市で生まれる。

1901年(明治34年)東京商工中学校卒業。東京高等商業学校入学試験に不合格となる。その後、父と旧知の仲であった三井物産 上海支店長で、後年、立憲政友会幹事長、南満州鉄道総裁を歴任する山本条太郎の縁故で、同支店支那修業生として中国に渡る。

上海支店社員時代に北京語、広東語、英語に通じたほか、日露戦争では、東シナ海上を接近するバルチック艦隊の航跡をいち早く発見、打電して、日本海海戦の勝利に民間から貢献した。

1911年(明治44年)辛亥革命に際し、孫文に対し革命資金の斡旋を行った。

1916年(大正5年)三井物産 天津支店長を経て、塔連炭砿鉱業権を得ると、翌年より東洋炭砿、小田原紡績、東洋藍業、東洋製鉄など次々と事業を興して事業家となった。でもこの時期にはまだ三井物産に籍を置いていた。

1918年(大正7年)政友会に入党して政界に進出、党に多額の献金をする。

1920年(大正9年)に三井物産を退社し、政友会公認で神奈川県足柄郡から第14回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選。しかしながら、選挙にあまりにも多額の資金をつぎ込んだため、金の出所をめぐり「満鉄事件」といわれる疑獄事件を引きおこした。

1923年(大正12年)政友会院内幹事となる。

1924年(大正13年)前回選挙の疑惑がたたり落選。

1925年(大正14年)栃木県選出の横田千之助が亡くなると、横田の地盤を引き継いで補欠選挙に当選し、国政に復帰する。

1927年(昭和2年)田中義一内閣で外務政務次官に就任。当選2回でありながら政務次官となるのは異例のことであったため、党内からは反対論が噴出したが、院外団の支持と、森が地盤を受け継いだ横田千之助が田中義一を陸軍から政界に進出させた立役者であったため、就任にこぎつけた。

ところが、田中義一首相が外務大臣を兼任したため、森は事実上の外相として辣腕を振るうこととなった。田中政権下で対中国強硬外交を強力に推進し、山東出兵、東方会議開催などに奔走した。また、満蒙を中国本土から分離することをもくろみ、張作霖爆殺事件(首謀者は関東軍の河本大作大佐)の背後にいたともされる。

1929年(昭和4年)政友会幹事長に就任する。

1931年(昭和6年)ロンドン海軍軍縮条約をめぐり、首相臨時代理の幣原喜重郎外相の衆議院予算総会での失言を捕まえ、浜口内閣を揺さぶる。同年末、政友会の犬養内閣が成立すると内閣書記官長となる。

しかし、元来が軍部と提携した森と、政党政治家の犬養は水と油ともいうべき関係で、軍部および大陸政策をめぐって対立。森は犬養に対して内閣改造を提言するが、入れられず辞表を提出、預りとされる。


1932年(昭和7年)5・15事件では、犬養毅首相の暗殺を聞き、会心の笑みを漏らしたとのこと。

しかし、その後まもなく、7月に喘息を発病。12月11日に、肺炎を併発し、滞在先の鎌倉海浜ホテルにて、十河信二と鳩山一郎・薫夫妻に看取られ死去。享年50歳。

軍部と結んで、政友会を右傾化させて、対中国侵略政策を強力に推進し、国際連盟脱退の中心に立ったこと。政党の没落とファシズムの台頭に大きな役割を果たしたことは、この人物の責任として特に記憶すべきことだと思います。

犬養内閣時代に内閣書記官長に就任したのですが、それについては、こんなふうな記述がありました。

「陸軍はもちろん、海軍、右翼方面、その他あらゆる方面に森の触手は伸びていた。かくのごとくにして森の地位は一個の内閣書記官長を遥かに飛躍して、むしろ副総理としての実質を備えていたのである」(山浦貫一「森恪」)

しかしその後、森は内閣改造問題その他で犬養と心が離れました。彼は、犬養内閣を倒して、そのあとによりファッショ的な平沼内閣の擁立運動を考えていました。犬養の外交政策を嫌い、徹底的に軍部色の強い内閣の出現を望んでいたわけです。そして結果的に、森が急逝した後には、そのような流れが実現したのですから、彼の責任は大きいと思います。

とまあ、こんな人物が森恪(もり つとむ)です。それにしても、ただならぬ人生だと思いませんか?

東洋のセシル・ローズを自認した帝国主義者で、軍部と癒着し、日本の中国侵略の立役者だったこの人のお墓が上段の写真です。周囲にある墓石とは著しく異なる形状でして、墓碑というよりは、まるで石碑のようです。本人がそう望んだのか、あるいは遺族の希望なのかは、私にはわかりませんが、ともかく常ならぬ人生を歩んだ人らしく、常ならぬお墓でした。

中段の写真は、森家の墓誌でして、ご家族の名前が刻まれており、これを見てやっと、森恪も人間であったのだと思うに至りました。

墓誌の名前合計3人分で、うち森名は2人あります。年齢から見ると、森卓氏が1919年(大正8年)生まれ、そして森栄枝氏が1893年(明治26年)生まれということになります。森恪が、1882年(明治15年)生まれですので、年齢差がそれぞれ37歳と11歳ですので、まずこれは、ご子息と奥さんだと思います。

墓誌の左端、藤原禎子氏は昭和61年に65歳で没していますので、生まれは1921年(大正10年)ということになります。森恪との年齢差は39歳です。この方が、どういう方なのか今の私にはわかりませんが、森姓ではないところを見ると、森家から出た人か、もしくは実質的に森家に入った人なのだろう思われます。

それにしても、5・15事件で犬養毅氏が暗殺されたことを聞いて、笑みをもらしたというこの人物の墓は、実は同じ青山霊園にある犬養毅の墓のほんのすぐそばにありました。人生はいろいろあっても、所詮は時の流れの中に消えていくのですね。

「100年後には世の中、少しは進む。そんなふてぶてしさを持つのです。ハラさえ据われば、眼前で起きているすべては喜劇ですから。」このお墓を見ながら、ふとこんな先達の言葉を思い出しました。桜が満開になったら、もう一度、あのあたりを歩いてみようと思います。下段の写真は、青山霊園の中心部、森恪や犬養毅の墓があるあたりです。多くの墓石の向こうには、六本木ヒルズや東京ミッドタウンが、いやでも見えますが、でも思ったよりも静かな空間です。
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