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去りゆく夏 |
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2007年8月21日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ 早朝の栃木県・湯西川温泉。鬼怒川の源流わきの露天風呂を楽しむひとの姿が見える。 |
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今年の夏はつくづく暑いが、なぜか気分はとてもいい。カッと照りつける太陽、真っ青に晴れ渡った空。入道雲を背景にトンビがゆうゆうと滑空する。おまけに庭のバジルやシソの出来がとてもいい。人体に影響のない木酢酢を薄めにしてこまめにやり続けた成果か、虫食いの被害がほとんどない。チクワのシソ巻揚げ、チキンのバジルソース焼き等、質素だが気分を豊かにしてくれて、しかも健康にいい夕食が楽しめている。梅干を3日灼熱の太陽にさらし、最後の晩は夜露にさらす。この秋は種離れのいい、やわらかな食感が楽しめそうだ。
すとんと気分がよくなったのは、考えてみると参議員選挙の結果が出たあたりからじゃなかったかと、ふと気づく。自民党の大敗北をみて、日本にまだ希望がもてそうな気がしてきた。この20年間の政治をみていて心底うんざりしていたのだ。この国の人々は変わること、変えることを望まないのか。あれこれあっても自民党が大好きなのか。しかしようやく、おとなしい国民の怒りがついに爆発した。そしてもしかしたら、何かが変わるかもしれない、という政治状況が生まれた。ここ数年すっかりやる気を喪失していた僕にも、おかげでいささか元気が戻ってきた。行動する力が湧いてきた。
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毎夏恒例、妻の姉夫妻とわれわれ夫婦との温泉旅行。ことしは栃木県の湯西川温泉にでかけた。1歳違いの姉妹はとても仲がよく、その配偶者どうしも気が合って、両夫婦とも年1回の2泊3日の小旅行をとても楽しみにしている。「気が合う」というよりは、常にお山の大将でいたい僕を、3人の「おとな」が包容力で包んでくれ甘やかしてくれるので、僕にとって居心地がよいだけなのかもしれない。一昨年までは子供たちも一緒のわいわいがやがや状態だったが、昨年からは初老?4人組だけの旅になった。
到着後さっそく義兄と露天風呂に向かう。陽はまだ高い。だが義兄は湯の表面近くをアブが飛び回っているのが気になるらしく、いったん裸になったものの、湯に足をちょっと浸けただけで、はやばやと退散してしまった。その後姿に向かって僕が悪態をつく。「もうほんとうに気が小さいんだから。滅多に刺されはしませんよ。せっかく緑のなかでお湯に浸かれるというのに、もったいないでしょ」。それでも義兄は飛ぶような急ぎ足でガラス張りの内湯に消えた。
緑の林に囲まれた庭園温泉。他に入浴客はいない。樹木のあいだから差し込む太陽光線が透明な湯の表面にきらめく。元湯は熱湯、岩の表面を流れるうちに自然にさまされる100%かけ流し。ああ、たった一人で独占するこの至福。タオルを腰に巻き、岩のうえに腰掛ける僕の濡れたからだの周りをアブがときどき掠めるように飛んでいく。よくみると湯の表面には墜落してしまったアブが数匹浮いている。なあに、この幸福感に較べればアブの恐怖なんていかほどのものか。だいいちこちらから攻撃しない限り、あちらさんから攻撃を仕掛けてくることは、まずない。
と、考えていたのは甘かった。太もも、二の腕の裏、数ヶ所アブに刺された。赤く腫れ上がってくる。やれやれ、水で冷やしながらつくづく思う。義兄は用心深く露天風呂から去ることによって難を免れた。一方、僕は根拠のない楽観をもとに行動し、結果としてアブに刺され、こんな痛い痒い目にあっている。まるで僕の人生そのものではないか。用心深く,なにごとにも慎重なひとを軽蔑し、「冒険なくして成功なし」とひたすらリスキーな生き方を志向してきた僕。しばし自己嫌悪。だが待てよ、とまた思う。痒い思いをしても、畏れた人にはけして経験できない快楽は味わえたではないか。こういう生き方だってあっていい。でも、とまた思う。それは身勝手な生き方で、結局風呂上り、痛いの痒いのと大騒ぎする僕にムヒを塗ったり、冷やしたり、苦労させられるのはけっきょくわが妻なのである。そんなこんな涼風にふかれながらしばしもの思いに沈む。
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昔の職場の同僚とのひょんな再会。その同僚の奥さんのご母堂が5年前にこの町に住み始めていらい、東京のマンション暮らしの夫妻は、週末は必ずこの町にやってきて、海に散歩に通ううちに、いつしかスキンダイビングの虜になってしまったのだという。いっぽう僕は、自宅から歩いて15分の距離に海があるというのに、ここ10年、好きな潜りからすっかり遠ざかっていた。体力の減少、というよりは気力の減少といっていい。あれやこれやイライラすることが多く、とても海に潜る、というような心境になれなかった。仲間が現れたことできっかけができ、焼けぼっくいに火がついた。
週末の昼前、携帯電話でお呼びがかかる。「波が静かですよお。いつものところでパラソル開いて待ってまーす」。ウェットスース、足ひれに水中マスクをかごにいれ、水着のまま買い物用の車つきワゴンをごろごろ引きながら海に向かう。到着した頃には、彼らは1本目の潜りを終え、パラソルの下で海風にあたっている。奥さんが「はいはい、ディレクターズチェアにどうぞ。母のつくった冷たい麦茶と、コンビニで買ってきたオニギリ。おやつは串団子ですよ」と至れりつくせりのサービスをしてくれる。まことにありがたいことである。
腹ごしらえをすませ、海にはいる。足に痙攣がおきないか、注意深くキックしながら、沖の岩場へ向かう。ときどき潜って肺活量を確認する。昔は2分近く潜れたものだが、いまは30秒がやっとだ。しかし慣れるにしたがって1分まではもっていけるだろう。なにはともあれまだまだ十分潜れる体力が残っていたのが嬉しい。
「もう少し楽しんだらどうですか」―海からあがった僕に、元同僚があきれた顔で言う。僕は十分に楽しんでいるつもりなので、相手の言葉の意味するところがわからない。「沖の岩場までぐんぐん一直線。姿が見えなくなったと思ったら、岩の上で手を振っている。また姿が見えなくなったと思ったら、またがんがん一直線に戻ってくる。のんびり魚と遊んだり、波の動きに身をゆだねたり、もっと海をゆっくり楽しんだらどうですか」。これは夫婦で一致した感想なんだ、と言う。うーん、なるほどそう見えるか。自分では意識しないが、僕の泳ぎははたから見るとかなりせっかちであわただしく見えるのだろうか。
わき目もふらず、といえば聞こえがいいが、実のところはまわりに目がいかず、見ようとせず、ただただがむしゃらに余裕なく走ってきたのが僕のこれまでの人生ではなかったか。そしてもしかしたら、せっかくそばを通りすぎたのに、見落としてしまったり、無視してきてしまったことや人がたくさん存在したのではなかったか。潮風を受けながら、また自分の人生を思う。
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去りゆく夏は、とてもいい夏だったが、なんとなく来し方を考えさせられることの多い夏でもあった。
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