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ありがとう、で1年を |
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2012年1月1日 |
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 | 雨宮 和子 [あめみや かずこ]
1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。 |
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▲ ふと、見つけた朝露。 自然がやさしく生んだつかの間の宝石。
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新年、おめでとうございます。 あまりにも多難、多事だった2011年を振り返ると、今年はもっともっといい年になってほしいと願わずにはいられません。
個人的には、数年前までは、新年には、今年こそはこんなことをしようとか、したいとか、抱負や決意や願望を抱いたものです。中途半端になっている研究をまとめようとか、もっとしっかり執筆しようとか、家中の大掃除をして整頓しようとか… でも、決心しても実行したことがなく、三日坊主にもならないまま、私の意気はしぼんでしまうのがいつものことでした。だから、もうそんな大それたこと(特に、大掃除だなんて…)を考えるのはよそうと思います。
でも、のんびりしてきたわけでもないのです。2007年10月の大火事の後始末はまだまだ終わらず、農園の修復作業に長い時間と多額の費用がかかっていて、先行きの不安にとりつかれることもたびたびありました。希望通りに進んだことがない自分の人生を考えると、余計に不安が大きくなったりするのですが、それをなんとかなだめながら、2011年を過ごして来たという感じです。
でも… と、立ち止まって、考えました。自分の不安をなだめるということをもうちょっと考え直してみよう、と。不安が永久に続くはずはありません。私の命だってずっとなんて続かないのですから。
朝、玄関先に植えた草花にかかった蜘蛛の巣に、透き通ったガラスの玉のような朝露がいっぱいできていました。太陽が昇れば消えていってしまう… それまでのわずかな時間に輝く朝露を見ることができて、なんてラッキーなんだろう、と思いました。そのときの私の胸には、不安も心配もありません。
そうなのですね。自分で状況を変えることはできないけれど、状況に対する自分の姿勢は変えることができるのです。
それで、こう思いました。これから先、得られるかどうかわからないものより、いま確実にあるすてきなものを忘れずに、それに感謝しながら毎日を送っていこう、と。2012年はそうして生きようと思います。
記憶力が衰えているので、感謝することを忘れないように書き出しておきましょう。
− 農園回復に情熱を傾けている連れ合い。楽観的でいてくれて、ありがとう。
― これまで私をずうっと支えてきてくれた友人たち。限りない友情を、ありがとう。
― 体力が落ちているとはいえ、健康であるのはかけがえのないしあわせ。おかあさん、丈夫な身体に私を生んで育ててくれて、ありがとう。
― 私を絶対に信頼してくれている我が家の犬と猫たち。私の心を和やかにしてくれて、ありがとう。ジプシーはなんでも食べようとして困るけど、どんな犬にも負けないほど私に忠実でいてくれて、ありがとう。
― 新鮮な野菜を毎日食べられるしあわせ。我が連れ合いよ、自家菜園で一生懸命に野菜を育ててくれて、ありがとう。
― 食事を共にするのは生を分かち合うようなもの。私の手料理を喜んでくれる人たちよ、そうやって私をしあわせ気分にしてくれて、ありがとう。
こう見ると、私の資産は、私の周囲の人々と動物たち。資産というより、宝物です。 宝物はだいじにしなくては。
その気持を忘れずに、この1年を過ごしていきたいものです。
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