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132 マカオ今昔 その2
2014年2月7日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
香港がイギリスから中国に返還されたのは、1997年7月1日のことでした。香港の雨期特有のどしゃ降り雨の中、香港島・湾仔(ワンチャイ)のヴィクトリア・ハーバーに面した会場で執り行われた英国と中国両首脳による式典の模様は今でもよく覚えています。英国側からは、チャールズ皇太子、当時のブレア首相、そして香港最後のパッテン総督等、中国側からは、当時の江沢民国家主席と李鵬首相等が出席しました。

わずか30分ほどで終わったこの式典で、英国は「名誉ある撤退」を宣言し、中国は「祖国復帰」を高らかに宣言したのですが、いささか事情を知る者から見ると、どう考えても両者の関係はしっくりいっていたとは言いがたいものでした。

とくに私が強く感じたのは、式典が英語と北京語だけで行われたことの持つ意味でした。香港の人々は、ほとんどの人が広東語を話します。私の知る限り、中国返還前の香港で北京語を正確に理解する人は、かなりの少数派でした。数年間を香港で暮らした者の実感としては、広東語中心の香港では、北京語よりはむしろ片言にせよ英語の方が一般に普及していたと思います。

返還交渉については最初から一貫して当事者である香港を抜きにして中英両国間で進められてきましたが、最後のイベントまでが当事者抜きで行われたことが、少しばかり香港とご縁がある者として特に強く持った印象でした。旧植民地の主権が宗主国から元の国に返還されるというのは、たとえ平和的であったとしても、決してスムースに行われるものではないと、あらためて思い知った次第です。

ところで、マカオはどうだったのでしょうか? 第2次大戦中は、香港とは違い、中立国の植民地として、中国では稀少な自由な貿易拠点だったマカオは、国共内戦後、中華人民共和国が成立すると、一転して困難な立場に置かれました。

英国は中華人民共和国建国の翌年の1950年に中国を承認しましたが、ポルトガルは当時の独裁政権のトップ、アントニオ・サラザール首相が頑強な反共主義者であったために、彼が権力を握っていた間は、中華人民共和国との国交を持つことは、ついにありませんでした。そんな緊張状態が続いていた中で、1966年、中国で文化大革命が行われていた時期に、暴動発生という形で危機が表面化しました。これはちょうど香港において、水不足をきっかけとした暴動が発生したのとほぼ同時期のことでした。

1966年11月、マカオの中国系小学校において総督府の許可を得ないまま、中国系住民によって増築工事が行われ、それに対して総督府は制裁を課しました。ところが、この制裁に怒った住民によるデモがセナド広場などの中心部で発生したのです。当初は平和的なデモでしたが、その後、文化大革命の影響などもあって暴動化し、12月初旬には、それを鎮圧しようとしたポルトガル軍警察の発砲により、死者が数人出る惨事が発生しました。

ここに至って中華人民共和国政府は、人民解放軍によるマカオへの軍事侵攻をほのめかしながら、ポルトガル政府に対して以下の要求を行いました。

1)事件の謝罪と責任者の処罰
2)犠牲者の遺族に対する慰謝料の支払い
3)中国系住民による統治への参加
4)中華民国(台湾)諜報機関のマカオにおける活動の禁止

当時のポルトガルは、国力が著しく低下しており、マカオにはごくわずかな軍事力しか駐留させることができない状態でした。さらに、サラザール首相による独裁政権下にあったために、香港暴動の際のイギリス政府のようにアメリカなど、西側政府による軍事的支援を受けられないことは明白でした。

そこでポルトガル政府は中国の要求をほぼ全面的に受け入れ、総督が中国系の住民組織に対して謝罪と慰謝料の支払いを行い、制裁やデモ鎮圧を指揮した代理総督と警察幹部ら数人をマカオから追放しました。

これをきっかけとして、マカオにおける中華人民共和国の影響力が表舞台でも大きく増すことになりました。その後もポルトガル政府は中華民国(台湾)との国交を保ち続けたにもかかわらず、その植民地であったマカオは単独で中華民国と「断交」するなど、事実上、中華人民共和国政府の間接的統制下に入りました。

そしてその数年後の1974年、ポルトガル本国では国軍左派による「カーネーション革命」が起こり、サラザール独裁体制は崩壊しました。この後、ポルトガル政府はすべての海外領土を放棄する方針を採用し、1976年、その準備としてマカオを「特別領」として再編成し、行政上及び経済上の自治を多くの点で認めました。

さらに1979年には、ポルトガル政府が中華人民共和国政府と国交樹立し、中華民国とは断交しました。そして実はこの時期に、マカオを植民地として統治することにメリットを感じなくなっていたポルトガル政府は、マカオの中国への即時返還を申し出たようなのです。

ところが面白いことに、それは中国政府から辞退されました。中国政府は、同じく植民地であった香港市民の動揺を恐れたのです。香港の存在は中国にとっても、マカオよりもはるかに大きかったのです。そこで中国政府はマカオの主権を主張しつつも、当分の間、ポルトガルによる統治を希望したと言われています。つまり、主権と統治権を分離したのです。このあたりが外交の面白いところですね。

その後、1984年に行われた英国と中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年にポルトガルと中華人民共和国はマカオ返還の共同声明に調印しました。結局、マカオは香港返還の2年数ヶ月後の1999年12月20日に、中華人民共和国に返還され、香港と同様に中国の特別行政区になりました。

以上が第2次大戦後から現在までのマカオをめぐるおおよその外交的な動きです。私が1972年から1975年にかけて、マカオ・グランプリ関連で毎年マカオを訪れていたのは、ちょうどサラザール政権末期から、実質的な中国支配に移行する時期だったのです。

もっとも当時はそんなことはまったく知らずに、マカオの広東料理を楽しみ、マカオのカジノを仕切っていた、スタンレー・ホー氏 (Stanley Ho) が主催するパーティに顔を出していたのです。今になって思うと、ああそうだったのか、と思うところはあるのですが、20歳代の私にはそこまでの考察はできませんでした。

ところで、スタンレー・ホー氏は、この続きの記事で、現在のマカオについておしゃべりする際にも欠かせないマカオのキーパーソンですが、それはまた次回に。次回はカジノを中心とした現在のマカオについて書かせていただきます。

上の写真は次の通りです。

上段:旧ポルトガル軍の要塞から見た、スタンレー・ホー氏の傘下にあるカジノ兼ホテルのグランド・リスボア。別に大砲が狙っているわけではありません。このすさまじいデザインのカジノ兼ホテルの方が、要塞よりもはるかに後で出来たわけですから。でも、このカジノ兼ホテルは、マカオのたいていの場所から見ることができます。カジノの繁栄ぶりを誇示するかのように、そそり立っています。

中段:昔からあるホテル・リスボア。1970年代は、このホテルがマカオで唯一の豪華なカジノ兼ホテルでした。この真向かいに、グランド・リスボアはあります。かつてここは半島の先っぽで、すぐそばは海でした。今は、埋め立てにより、はるか内陸になってしまいました。

下段:1970年代、マカオには高層ビルなどまったくありませんでした。それが今や高層ビルの群れがたくさん出来ています。現在でもまだどんどん増加中で、高速フェリーで香港へ帰った日、過密都市、香港がとても落ち着いて見えました。
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