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縁の下のバイオリン弾き
110 組織
2015年3月12日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 「悪い奴ほどよく眠る」の森雅之
我謝(がしゃ)京子監督の「母の道 娘の選択」というドキュメンタリー映画を見た。アメリカ在住の日本女性(自分自身をふくむ)をテーマにした映画で、母親と自分のあり方をくらべるという観点からこの題名になっているのだと思う。

私はなにしろ半世紀ちかく外国に暮らしているので、今の日本がどうなっているのか、今の日本の若い人がどのような考え方を持っているのか知らない。それでこの映画はたいへんおもしろかった。アメリカに暮らしている女性の本音、ということにも興味があったけれど、その彼女たちが自分を語るなかで日本という国のことを言わず語らずのうちに表わしているのが私にとって魅力だった。

なぜ女性だけなのか。監督に聞けばさまざまな理由をあげることが予想される。でも、統計をとったわけではないけれど、海外に暮らしている日本人は圧倒的に女性が多いという気がする。私が知っているアメリカ在住の日本人もたいていは女性だ。

これは大多数の日本男性にとって日本ほど住みよいところはないのだ、ということをあらわしている。逆にいえば、日本は日本女性にはかならずしも住みよいところではなく、そのために日本を離れる女性が多いのではないかと推察される。

自分が生まれ育った国が住みよくないなんてあるはずがない、と思われるだろうか。実は私も一般的にはその通りだと漠然と思っている。でもこれは私が男だからかもしれない。女性にしてみれば、日本のよさをとことん知りながら、それでも生きがたいと感じることがあってそれで外国に住む選択をしているのかもしれない。


監督の我謝さんは日本でばりばり仕事をこなしていたキャリア・ウーマンだった。テレビ局のレポーターとして「仕事がおもしろくてしかたがなかった」そうだ。結婚して子供ができても、相手が同業だったので二人とも「夜討ち朝駆け」の仕事人間で、夫婦して彼女の実家に転がり込み、家事全般から子育てまで彼女の母親に頼っていた。「パラサイト・シングル」ならぬ「パラサイト・カップル」だったと自分で言っている。

もし仕事が至上命令だったならば、彼女の態度は見事というほかはない。いい仕事をするためにすべてをなげうった。性による役割分担という日本の伝統的な価値観を捨て、夫とまったく対等に仕事をした。会社の側から見れば非の打ちどころがない。

仕事のために彼女は英語だけでなくスペイン語も勉強した。スペイン語ができたからだろうと思うがほかの取材でペルーにいたとき日本大使館襲撃事件(1996−7)に遭遇し、リマの現場から命を張って報道した。そんな才幹のあるレポーターなんかめったにいるもんじゃない。また彼女にしてみれば記者冥利につきるという思いだっただろう。

しかし我謝さんは「ここで流れ弾にあたって死んだら子供はどうなるのだ」と考えざるを得なかった。子供とすごす時間がろくにない自分の仕事に行き詰まりを感じてもいた。それでロイター通信社に仕事を見つけ、会社をやめて8歳の娘をつれてニューヨークに移住した。旦那とは別れたのだろう。


映画には彼女の上司だったという私と同年輩の男性が登場して当時のことを回想している。我謝さんが退職した時「裏切られたと感じた」と語っている。「手塩にかけた(のに)」とも言っている。

つまり彼にしてみれば海のものとも山のものともわからない「女性レポーター」というものを(男女雇用機会均等法ができたばかりだった)試行錯誤の末に一人前にしてやったのに、人の迷惑も考えずに勝手にやめてしまう、いったい仕事を何だと思っているのだ、といいたいところなのだろう。

同年輩ということは団塊の世代だ。日本の高度成長をになってきた、という自負があるのだろう。

私にはこの場面がことさら訴えるところがあったのだが、それはなぜかというと「組織と個人」ということを考えさせられたからだ。

退社してしまえば上司や同僚に迷惑をかける、それはできない、と考えるのが日本人というものではないか。組織の一員であれば組織のめざすところがすべてだ。それで食わしてもらっているならその恩を感じて一身を犠牲にして…というのが伝統的な考えではないか。

私はこれをやりきれなさを伴わずに思い返すことができない。私が大学を出たのはこの上司と同じ頃だからもちろん組織は有無をいわせぬ力をもっていた。それがいやで私は日本を離れた。

黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」という映画には組織の悪をかばうために火山に身を投げようとする人物が登場する。映画ができた当時(1960年)でも私にはこんなことは想像もできなかった。「命あっての物だね」というではないか。「死んで花実が咲くものか」ともいうではないか。たった一つしかない命を誰の為に犠牲にする必要があるのだ。

しかしのちに「過労死」という言葉ができたように、日本では組織のために命を投げ出すことがめずらしくない。それが「価値」だという風潮を私は憎んだ。


そもそも私の理想は「一匹狼」だった。西部劇に登場するアウトローのガンマンのイメージだ。組織に属さず、頼れるものといっては自分しかなく、いいも悪いもそれがすべて。

香港に仕事をみつけて移住した時は、これで真綿で首を絞められるような日本の社会とも縁切りだ、と意気軒昂(いきけんこう)としていた。仕事なんぞはいやになればやめればいい。誰に遠慮がいるものかと思っていた。

でもいざ一匹狼に挑戦してみて私は音(ね)を上げた。一匹狼は思ったよりずっと実現がむずかしかった。しかもその困難は予想もしていない種類の困難だった。

まっさきにあわてたのは一匹狼には現実的なことを処理する能力が要求される、ということだった。具体的に言えば炊事洗濯掃除である。

西部を旅する流れ者なら夜になればそのへんで火をおこしてベーコンとか豆とかを料理する。洗濯なんかしない。掃除する家もない。

それなのに私はどうだ。香港に行ったときの私は何一つ家事ができなかった。これじゃ話がちがうではないか。

私はくさったが、時間をかけてこの能力を獲得した。「一匹狼は家事ができなければならない」というのは外国生活から得た貴重な教訓である。

ただそうやって生活するすべは学んだけれど、一匹狼にはほかにも落とし穴があった。一匹狼は世事にあくせくせず、孤高を保たねばならない。ニヒルでなければならない。

ところが私にはそんなことはできなかった。孤高を保てるようなどんな高みにも達していなかったからである。ニヒルほど「やりがい」から遠いものはない。そんなこんなで一匹狼になる夢は挫折した。一匹ネズミぐらいにはなれただろうか。


私が行った当時の香港では日本よりずっと女が仕事をしていた。私は「さすが香港、西欧的だ」と思った。ところがよく見るとそのように仕事をしている女性は香港の中流階級かそれより上の階層の人で、家には「アマ」と呼ばれるお手伝いさんがいて家事や子育てをしていた。そうやって人をやとっているために外に出て仕事をしなければならない、という事情があるのだった。しかもその仕事というのが受付やタイピストの仕事で、うちで雇っているアマより給料が低い、ということがめずらしくなかった。つまり体面のために仕事をしているわけで私には偽善だと映った。

アメリカに来るまえはフェミニズムの理想に共鳴して男女が同等に家事を担当するのはあたりまえだと思っていた。ところが実際にアメリカに来てあたりを見回してみるとそのフェミニズムの理想は全然実現していなかった。理想は永遠に理想であるかのようだった。

アメリカの男も日本の男と同じように出世もしたければ金ももうけたいのだ。口先だけではなんとでも言うが、自分を犠牲にしてまでフェミニズムと心中するつもりはない。労働における賃金の平等がアメリカではいまだに達成されていない。

困難に負けず仕事に生きがいを見いだしている女の人は日本にも多いだろう。しかし家の中をだれかにまかせて好きな仕事だけに没頭できる女性がどれだけいるといえるのか。

アメリカには日本の社会よりも女性が仕事にうちこめる条件がそろっていると思う。だからこそ、アメリカに住む日本人の大半が女性なのだ。それでもアメリカで女がほんとうに「仕事」をしようと思ったらなまなかのことではない。だれかに家事と育児をてつだってもらわなければならない。理想的には結婚相手の男がすべてを半々に分担してくれるはずなのだが、そうはなっていなかった。そのため金があるならばメキシコや中南米からの女性を雇うということになった。金がなければ昔ながらの性役割に甘んじるか金をかせぐためだけのつまらない仕事をつづけなければならない。離婚でもしようものなら子供をかかえて生きるのに精一杯で「自己実現」などは薬にしたくもない。


あのテレビ局の上司も我謝さんに対して組織の論理をふりかざしながら、自分のうちの家事や子育ては奥さんにまかせていたのだろう。母親に家事を頼んでいた我謝さんの「家庭の事情」にまでは気が回らず、自分と同じような滅私奉公を要求していたのだろう。

「いい気なものだ」と思いながらも私は自分の感じる「なつかしさ」におどろいていた。というのは私の中にも組織の中で働くことの心地よさ、満足感、達成感などに共鳴するものがどこかに残っているからだ。日本人には組織に忠誠をつくす、ということ自体が快感なのかもしれない。私に経験があるのは高校の時の学園祭ぐらいだけれど。

私は組織に属したことはない。香港の会社で働いたことはあるが末端の賃金労働者だったから会社に帰属感を持って働いたことはない。

アメリカでは大学で働いていたけれど、教師は一人一人が一国一城の主だから組織なんてものじゃない。同僚はみな対等で先輩も後輩もない。「手塩にかけた」なんて感慨はない。

自分を尊敬のまなざしで見る新入社員を前に酒を飲みながら気炎をあげる、なんてことを一度やってみたかった気がする。私は説教なんぞしない人間だが、説教したいという衝動はなんとなく理解できる。

そうして同じ組織に属しているという気楽さからおたがいに信頼する気持ちがめばえ、他では得られない共感を持ち、甘えも依存も許容される。そんな居心地のよさは私の一生を通じて無縁だった。


高倉健がなくなった時初めて「幸福の黄色いハンカチ」を見た。その中で高倉健が武田鉄矢にいうせりふ、「おまえみたいなのを草野球のキャッチャーっていうんだ。ミットもないっていって…」というのが今でもおかしくてならない。

くだらないしゃれをいっておたがいに笑い合う、というようなことが私にはほとんどなかった。組織はそれを許してくれる。だから時に女と同じような生きがたさを感じながらも、男にとっては日本が住みやすいのだろう。その一方で「パラサイト・カップル」を実行できないような女は組織からはじき出されてしまう。

私がこの映画をおもしろいと思ったのは、結局のところ私自身がアメリカに暮らしている日本女性と同じ感覚で生きているからではないだろうか。
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