1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
縁の下のバイオリン弾き
108 丸い足
2015年2月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ギュスターヴ・カイユボット「床をけずる人々」(1875)
「うーん、丸い足ですねえ」

丸い足?いったい何いってんだ?足が丸いはずないじゃないか。

ボストンにいたころ、靴屋の店員に言われたことばだ。ボストンの冬はきびしい。それまではいていた靴に穴があいてしまって雪のつもった街路をあるいていると氷水がしみこんでくる。身を切られるよう、とはこのことだ。

目にとまった靴屋にとびこんで新しいゴム長靴を買おうとしたのに、足にぴったりのものがない。店員がいろいろな商品を試してみて最後に言ったことばが上のせりふだ。

要するに足の長さがみじかい割にはばが広い、ということだ。それまで私は自分の足がそんな特徴をもっているということをまったく知らなかった。象になったような気がした。

その時はしかたなくふつうの靴の上からかぶせるゴムのカバーを買った。それで氷水から足をまもることができた。


靴では長年苦労している。私の足は丸いばかりでなく、小さいのである。大男の多いアメリカでは私のサイズを探すことからしてむずかしい。

カリフォルニアはアメリカ大陸の西の果てだ。こどものときから西部劇を見てきた私にとって、アメリカ西部はあこがれの土地だった。すぐにもカウボーイ・ブーツを買いたかったんだけど、残念ながら私の足にあうサイズはなかった。

でも私はあきらめず、ティファナにいった。アメリカのカウボーイ文化はじつはメキシコに負うところが多い。彼らが使う馬の鞍、ブーツ、帽子、牛の扱い方など、みなメキシコに源流がある。なにしろ向こうのほうがずっと歴史が長いのだ。

スペイン語で牛のことを「バカ」という(ほんとうです)。そこからカウボーイのことを「バケーロ」というがそれがなまって「バッカルー」というカウボーイをさす異名が英語にできた。そういう例はたくさんある。

メキシコ人はそんなに体が大きくない。ティファナで首尾よく私の足にぴったりのブーツを買うことができた。はいてみるといやに背が高くなったような気がする。それでカウボーイ・ブーツは男のハイヒールなのだ、と認識をあらたにした。

それから何年もして私とリンダはメキシコ中部のグアナファトという都市をたずねた。ここは歴史のある優雅な町ですばらしい教会と劇場が誇りだ。近郊にサン・ミゲル・デ・アイェンデとレオンというふたつの町がある。サン・ミゲルのほうは画家が多く住みつくところで、特に水彩画のワークショップが開かれることで有名だ。レオンのほうは全国に鳴り響く皮革産業のメッカである。私はどっちを訪ねようかと悩んだすえ、当然行くべきサン・ミゲルを捨て、レオンを選んだ。本場のブーツが買いたかったからだ。

言ってみると町中が皮で埋まっているようなところだった。目抜き通りの店はすべて革製品を売っている。ブーツなんかくさるほどある。それでも私の足にあうブーツはなく、しかたなく女物を買った。女物といってもサイズがちがうだけで見てくれは男のブーツとかわらない。

なぜブーツを2足も買ったかと言えば、私がブーツのことをよくわかっていなかったことが原因だ。カウボーイ・ブーツのかかとはまっすぐではなく、ぐっと前にせり出している。これは牛になわをかけてひっぱるときにひきずられないようにそうなっているのである。なわをひっぱる時は足をふんばり、全体重をかけてのけぞらなければならない。

カウボーイが地面に降り立ってなにかするのはこのような場合しかない。あとは日がな一日馬に乗っているから歩きやすさなど問題ではないのだ。

でも私は馬に乗るわけではない。乗りたいのはやまやまだけど馬がいない。だからイキがってブーツをはいても歩けなければ宝の持ちぐされだ。ティファナで買ったブーツはかかとだけで5センチはある。それが前に突き出しているのでは天狗のはいている一本歯の高下駄のようなものだ。歩くには全然むいていない。レオンで買った女物はファッションのためのブーツで平底だから歩きやすかった。

カウボーイ・ブーツというものはごぞんじのように先がとがっている。足にぴったりのものを求めたのでちょうど女性がハイヒールをはいているようなことになった。私はべつにブーツを毎日はくわけではない。気が向いたときにちょっとはいてみるだけだ。ところが、思いもかけなかったことに何年もたって足が痛みだした。医者に行ってみてもらうと外反母趾(がいはんぼし)だといわれた。

外反母趾!名前はきいたことがあるが、自分がそんな病気になるなどとは思ってもみなかった。だってあれは女がかかるものじゃないか。なんで男の私がそんな病気になるんだ?

カウボーイ・ブーツが外反母趾の原因になるなんて知らなかった。ひょっとしたらカウボーイの仲間うちでは外反母趾が職業病として知れ渡っているのかもしれない。でもかっこわるいからだれもそのことを口にしないのかもしれない。

そんなことを思わせるほどカウボーイはブーツをぬがない。じっさいブーツというものははくのもぬぐのも大変で、ブーツの内側にはそれを持って引っ張るためのつまみみたいなものがついている。だからいったんはいたらめったなことではぬがない。かれらがブーツをぬぐのは寝るときだけだ。


でもよく考えてみるとそれはべつにカウボーイにかぎったことではない。アメリカでは男女を問わず、朝起きて靴をはいたが最後、夜寝るときまではだしにならないのだ。

それは彼らが家の中でも靴を脱がずに生活するためだろう。したがって家の中といっても床(ゆか)は外の地面とほとんど変わらないわけだ。

日本でだって役所や銀行に行って靴をぬぐことはない。でも個人の家は公共の場所とはちがう。住んでいる人の城なのである。その家の中を清潔に保ちたいと思うのは人情ではないか。

私は声を大にして言いたい。だれが見たって、どう考えたって、家の中に入るときに靴をぬぐ日本人のほうが土足で入りこむ欧米人より高い文明を身につけている。我々のほうが断然すすんでいるのだ。美的なのだ。

ところが彼らにはこの自明の論理が通用しない。通用しないどころか「靴をぬいでくれ」というと「ここはアメリカだ」などと理屈にならぬことを言って抵抗する。

彼らは日中靴をぬぐことを予想していないから、靴は第二の皮膚ともいうべき足にぴったりしたものを選び、靴ひもでガチガチにしばり上げる。そうしないと気持ち悪いらしいのだ。だからひもを解いて靴をぬぐ、ということはたいそうやっかいだ。それを避けたい、という気持ちはわからぬでもない。しかし道路に落ちているあらゆる不潔を家の中に持ち込んで平気だ、という神経は理解できない。

アメリカに住む日本人にはこれが共通の悩みだ。「最初はがんばってみたんだけどねえ」という人にはよくお目にかかった。「結局押し切られていまやみんな靴をはいたまま家に入ってくる。やっぱりしょうがないんじゃないの」


3年前我が家に引っ越したとき、いろいろ手を入れなければならないことが山ほどあったけれど、それを直すのはしかたがないとして、個人的な趣味で何かを変えたということは全然なかった。一つの事柄をのぞいて。

その一つの事柄というのは家の床をけずることだった。これは今風のフローリングではできない。けれど私の家は年代もののおんぼろで、床は木でできている。その床にかんなをかけて表面を新しくするわけだ。これは欧米ではときどきやることらしい。19世紀フランス印象派の画家、ギュスターヴ・カイユボット(1848−1894)に「床をけずる人々」という傑作がある。もちろん現在ではこんな人力での床けずりはしない。機械であっというまにけずってしまう。

私がこの床けずりに固執したのはそれまでだれがどんな靴をはいて歩きまわったとも知れぬ古い床をそのままにしておくのががまんできなかったからだ。床を一新して、やっと安心して靴をぬいで暮らせるようになった。玄関には「靴をぬいでくださってありがとうございます」と押し付けがましい札をかかげた。

以前マンションに暮らしていたときも靴をぬぐことをだれかれなく強制していたけれど、それは簡単なことではなかった。そのうちだんだんに日本人と日本文化に理解のある人々しかよばないようになった。

けれど私の本心はいろいろな人を家によびたいのである。床を新しくしたのは来客には是が非でも靴をぬいでもらう、という決心のあらわれだった。


日本に住んでいる人には屋内で靴をぬぐ、ということが欧米人にはどんなに異様に映るか、ということがわからないと思う。以前にも書いたことがあるが、欧米ではたとえ靴下をはいていても足は「みにくい」とみなされる。

日本流にスリッパを用意しておけばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、毎回新しいスリッパを買い替えておくならともかく、だれがはいたともしれぬ古いスリッパをはかせられることは、われわれが彼らの土足に感じるのとおなじような嫌悪感をいだかせるらしい。まあ無理もないといえば無理もないけれど。

実際問題として素足は危険だ。なれない人は靴をはいていたときと同じ感覚で動き回るからすぐに家具に足をぶつけて「突き指」をしてしまう。これはやったことがない人にはわからない痛みだ。

明治になるまで、いやそれ以後もずいぶんあとまで、日本家屋の室内にはほとんど何もなかった。椅子やつくえがあるじゃなし、食事はめいめいの膳を前にすえてすわって食べた。寝るときは布団をしいた。床はたたみだ。素足の生活に適した家屋構造だった。そういう伝統があるから、150年たって生活様式が激変しても我々のDNAのどこかに記憶がしみこんでいて、足をぶつけるなどということもなく平和に暮らしていけるのだ。


アメリカの足といわれる自動車はもともと前後に長いものだったのに、日本人が開発した丸っこい小型車にしてやられてしまった。丸い方が小回りがきき、衝突をさけられるからだ。そう考えたら、私の丸い足も日本人として恥ずかしくない合理性をそなえているのかもしれない。

小型車が普及したように、屋内では靴をぬぐことがアメリカでもスタンダードになることをねがってやまない。

最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
NEW
老舗の店頭から
齋藤 恵
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
142 黒い雨
141 ベーコン
140 根付
139 プリーズ
138 キャベツあれこれ
137 スピリチュアル
136 柿と卵焼き
135 移動と定住
134 ベジタリアン
133 王女と真珠
132 七人
131 イディオムということ
130 平等
129
128 名誉殺人
127 ラフカディオ・ハーンのこと
126 楽器
125 ビスケット
124 動物
123 アイヌ
122 ヘクター・ザ・ヒーロー
121 レッツ・リヴ・ア・リトル
120 果実の皮
119 コンニャク問答
118 安岡力也の生涯
117 事実は小説より奇なり
116 レイルウェイマン
115 火を起こす
114 ふし穴
113 ジュリー・デューティー
112 目玉焼き
111 歌に歌われる
110 組織
109 人種差別
108 丸い足
107 宗教と女性
106 ディーベンコーン
105 神の味噌汁(みそしる)
104 健さんと平戸
103 バグパイプ考
102 ないです
101 聖地
100 マッカンチーズ
99 再造の恩(2)
98 再造(さいぞう)の恩(1)
97 行水
96 かまわぬ
95 本場もの
94 グーリックさんのこと
93 ケセラセラ
92 日本人の肖像
91 センス・オブ・ワンダー
90 カティ・フラードのこと
89 屋根瓦(やねがわら)
88 一人っ子政策
87 文化の違い
86 干し野菜
85 恐れを知らないギター
84 銀シャリ
83 ターナー
82 デリシャス
81 モハメッド・アリの大勝負
80 ハンマーダルシマー
79 白無常(はくむじょう)
78 アメリカいれずみ事情
77
76 ひつじ
75 ひげにまつわる話
74 ぐちゃぐちゃ
73 宗教の周辺(2)ヘズース
72 宗教の周辺(1)翼と銃
71 となりの芝生
70 ピンピンパンパン
69 帯とバックル
68 レ・ミゼラブル
67 テーブルマナー
66 朝の穀物
65 二人松浦
64 好きこそものの上手なれ
63 パイについて
62 Xのこと
61 琴棋書画(きんきしょが)
60 爪紅(つまべに)
59 絵に描いた餅(もち)
58 ブレーキ
57 シャーロック・ホームズとカレー
56 ポール・マッカートニー
55 野蛮な茶
54 パサディナ
53 複数たち
52 玉米(ぎょくまい)
51 それにつけても
50 はしとさじ
49 ローズバーグ
48 ジャカランダ
47 サンドイッチの話(2)「O.J.シンプソンとハンバーガー」
46 バンジョー
45 ジャージー・リリー
44 工夫
43 かゆのいろいろ
42 ホイットニー・ヒューストンと「ボディガード」
41 イニシャルについて
40 無用の人
39 具眼の士
38 天使も踏むをおそれるところ
37 ビスカイーノ
36 サンドイッチの話(1)「センス・オブ・プロポーション」
35 パトリシア・ハイスミス
34 茶飲み話
33 柴五郎とジョニー・ビーハン
32 戦場のゴムぞうり
31 やきもの
30 記憶としての絵
29 アイリッシュ・ミュージック
28 乳と蜜の流れる土地
27 レディ・ハミルトン
26 Mto.
25 『チャイナタウン」
24 ドライ・ランチ
23 プリンス談義
22 帽子の話(3)「新撰組」
21 アメリカの大学から
20 帽子の話(2)「衣冠を正す」
19 帽子の話(1)「男はつらいよ」
18 マイ・バレンタイン
17 理想
16 ビリー・ザ・キッドの恩赦
15 おらんだ正月
14 シャーベット(下)
13 シャーベット(上)
12 カナダロッキーへの旅―最終回
11 カナダロッキーへの旅―11
10 カナダロッキーへの旅―10
9 カナダロッキーへの旅―9
8 カナダロッキーへの旅―8
7 カナダロッキーへの旅―7
6 カナダロッキーへの旅―6
5 カナダロッキーへの旅―5
4 カナダロッキーへの旅―4
3 カナダロッキーへの旅―3
2 カナダロッキーへの旅―2
1 カナダロッキーへの旅―1
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 5 9 8 1 4 0
昨日の訪問者数0 4 0 6 3 本日の現在までの訪問者数0 2 6 5 5