|
|
|
58 |
|
 |
|
悪女の方程式 |
|
2010年3月8日 |
|
|
|
 | 吉田 美智枝 [よしだ みちえ]
福岡県生まれ、横浜市に住む。夫の仕事の関係で韓国ソウルとタイのバンコクで過ごした。韓国系の通信社でアシスタント、翻訳、衆議院・参議院で秘書、韓国文化院勤務などを経て現在は気ままな主婦生活を楽しんでいる。著書に『朝鮮王朝の衣装と装身具』(淡交社、共著)『韓国の近代文学』(柏書房、翻訳)などがある。現在、文化交流を目的とした十長生の会を友人たちと運営、活動している。 |
|
|
 |
|
|
|
今や、日本のテレビ界は昼夜を問わず韓国ドラマ花盛りである。中でも歴史ドラマの数は相当数に上る。歴史ドラマといえば実在の人物を主人公にしたものだ。ドラマなのでかなりの部分は創作されていることを考慮にいれたとしても、昔の王や武将や貴族や妓生たちの実像を想像するにはよい素材になる。
韓国で、近年の歴史ドラマブームに火をつけたのが『女人天下』だといわれる。このドラマの主人公鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)もまた実在した女性で、韓国三大悪女の一人である。三大悪女は「三大妖婦」とも「三大毒婦」とも呼ばれ、いずれも朝鮮王朝時代(1392〜1910年)に生きた女性たちである。
第11代王中宗(チュンジョン)の時代の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、第10代王で暴君と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)の側室張緑水(チャン・ノクス)、第19代王粛宗(スクチョン)の正室にまでなった張禧嬪(チャンヒビン、禧嬪は側室最高位、正一品の身分の呼称)である。
この3人は韓国で全てドラマ化、映画化されている。日本で現在放送中の『女人天下』は、韓国では約10年近く前の2001年に放送された超大型大河ドラマ(三部作全150話)で、1話が韓国の場合CM抜きで実質75分なので見終わるにはかなりの体力・気力が必要である。だが、見始めると息をもつかせぬ展開であっという間に第1部の50話を見終わった。
この『女人天下』の主人公チョン・ナンジョンは、中宗(チュンジョン)王の時代に、王族の父と妓生(キーセン)の母との間に生まれ、貴族階級である両班(ヤンバン)の側女の子として育つ。奴婢という自分の身分(父親が貴族でも側女=妾の産んだ子どもは平民以下の身分であり、父親を父と呼ぶことも許されず、自らも側女か妓生として生きるしかなかった)を恨み、自分の生まれ持っての美貌と知恵で、多くの男や王の側室を手玉にとりながら国を動かすまでの巨大権力を掴んでいく。その姦計(悪巧み)ともいえる彼女の才知に視聴者たちは舌を巻き、この悪女を憎むどころか肩入れし応援しながらドラマにのめりこんでいったそうである。
このドラマに登場する時の王、中宗はドラマ『チャングムの誓い』に登場する穏やかな王様と同一人物であるが、このドラマでは正室や多くの側室の間の派閥争い、側室を宮廷に送り込むことで王までをも操ろうとする朝廷家臣らの企みに翻弄され、片時も心休まらない苦労多き王様として描かれている。
次の悪女は、チャン・ノクス。彼女の生い立ちは前述のナンジョンによく似ている。県令( 県の長官)の父とその側女(妾)との間に生まれた奴婢身分の女性である。妾の子、そして奴婢という身分からくる蔑まれた暮らしを嫌い妓生(キーセン)となり、美貌というより女という武器を最大限に利用して宮廷にまで上り詰めた妖女であった。
彼女は同じ奴婢の男との間に息子をもうけながら、妓生としての器量・技量(書や舞や楽器演奏や詩歌などの芸術的才能)で、権力争いの犠牲として実母を父王の死薬で失った狂気と悲劇の暴君燕山君(前述の中宗王の腹違いの兄)を魅了し、彼の側室(従四品である淑容)の地位に収まる。王は彼女をそばから離すことはなく、最後には廃位された王とともに破滅の道をたどる。ドラマでは、飢えや貧困に苦しむ民の生活には見向きもせず、王をして日々宮廷内での宴と享楽にふけらせる妖女に描かれている。
そして最後はチャン・オクチョン(チャン禧嬪)。ナンジョンから100年後、ノクスから150年後の時代に生き、政治力に秀でた強い19代王粛宗の寵愛を受けた史上最大の悪女といわれる。世子(王位継承資格がみとめられた王子)を産み、一度は王妃(正室)の座にのぼりつめるが廃位され禧嬪(ヒビン)に降格される。通訳官(中人=平民)の娘として生まれた中人で、裕福な伯父に不自由なく育てられ、粛宗をたった一人の男性として生涯愛した点では前述の2人とは違うが、権力争いの巻き添えで家門が取り潰され虐げられた経験から、世の中に恨みをもち権力欲に目覚めていく点では共通している。
ドラマで描かれたチャン禧嬪は、嫉妬深く短気で激しい気性の女性で、自らが王妃の座につくためには王の寵愛を盾に王妃(正室)を廃妃とするため手段を厭わない。視聴者は、この禧嬪への憎悪が日に日に膨らみ、一刻も早く禧嬪が罰せられるのを待つ気分になるほどの悪女ぶりであった。
これらの悪女を生み出した朝鮮王朝という時代は、王と王族、そして貴族たちが形成する朝廷内で、権力をめぐる党派争いが後を絶たなかった時代であった。朝鮮王朝時代を描いた歴史ドラマは、近隣諸国との戦争に明け暮れた他の時代ものに比べ、王族内のお家騒動(主に王の後継ぎをめぐる)と朝廷内の謀略と権力闘争を描いたものが多い。
ドラマや映画では、きらびやかな衣装に身を包んだ王族や貴族たちが描かれているが、実際は王族といっても王を輩出しない限り食べるに困窮する貧しい王族がほとんどで、また貴族の両班たちはその王の寵愛を受ける側室を送り込むことで権力の中枢に居座ることができたというから、自らの生き残りをかけた争いが絶えなかったのは納得がいく気がする。
三大悪女に話を戻せば、この3人に共通するのは、身分が低く(チャン禧嬪でさえ中人の出身だった)、宮廷入りし、才知に長けた美人であったこと。権力に固執し、望む権力を手にしたと思う間もなく戦いに敗れ、悲惨な末路を迎えたことだろう。
ナンジョンを幼い頃から知る親代わりのような男性がいう。 「ナンジョン、お前は頂上に上り詰めることばかりに心をとらわれているが、降りてくる道のことを考えたことがあるか?」と。 また、チャン禧嬪を後押しすることで朝廷内で権力を手にしようとする王の叔父は後ににがにがしくつぶやく。 「世に恨みの深い人間を権力に近づけることほど怖いことはない」と。
「歴史というのは、勝者の記録である」。ドラマ『チャン禧嬪』のナレーションの一節である。歴史とは、時の権力を掌握した者たちの記録、だから実像と伝えられる人物像とは異なるだろう。
権力を手に入れた後のことを想像する余裕もないほど彼女たちを突き動かした動機と人生の目的とは、自分をないがしろにして人間扱いしてくれなかった世間と、その先に君臨する権力者への復讐であった。権力に敗れた側に生を受け、生き残るために自力で這い上がり権力を手にした女たちの末路は、再び権力によって敗れていくというものだった。妖女、毒婦といわれようが、彼女たちは本当は憎めない、悲哀に満ちた心を抱えた女性たちだったのかもしれない。
(追記) 余談だが、女人天下ということばは、女性たちが自分の都合で政治を利用する当時の風潮からそう呼ばれるようになったといわれる。このドラマは、同じ時間帯に放送された『冬のソナタ』、民間人として官位についた実在の商人を描いた人気大河ドラマ『商道(サンド)』を抑えて、視聴率第1位を(50.4%)を記録したという。
|
|
|
|