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134 マカオ今昔 その4 (最終回)
2014年2月22日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
「買弁」(ばいべん)という言葉をお聞きになったことがありますか? この言葉は現在ではよい意味に使われることはまずありません。広辞苑によると、「外国資本に奉仕することによって自分の利益を得、自国の利益を抑圧する者」とあります。つまり、自身の儲けのために自国の利益を他に売り渡す者のことです。「買弁的」とか、「買弁資本」という言葉を時折見かけることがありますね。

でも本来「買弁」とは、清朝末期の1800年代から第2次大戦中の1940年代にかけて、中国にあった外国商館や領事館などが、中国商人や清朝政府との取引の仲介役として雇用した中国人のことを指す言葉でした。

この時代、清朝の弱体化に呼応して欧米列強の対中進出が進み、租界、商館、貿易商などがたくさん出現しました。そうなると進出した欧米人達にとっては、現地の事情に詳しく、通訳としての役割も果たせる中国人の存在は必須になりました。こうした欧米列強のビジネスを手伝う中国人のことを「買弁」と呼んだのです。

ですから「買弁」という言葉には、元々は悪い意味はなかったはずです。実際、こうした人々の一部は外国語能力が高いだけでなく、清朝政府と欧米商会をつなぐ人脈や政治的センスもあり、欧米人達には大いに重宝されたのです。その結果、一部にはその後、豪商として活躍することになった人々も出てきました。

しかしこうして欧米や日本の中国進出と侵略が進むにつれて、そうした仕事に関わりのない多くの中国人達にとっては、「買弁」は自分個人の利益を得るために自国の利益を売り渡している「裏切り者」と映ることになったのでしょう。ちなみに「買弁」は英語で、「comprador」と書きますが、これは明らかにスペイン語か、ポルトガル語から来た言葉だと思います。スペイン語では「comprar」は「買う」という意味の動詞です。

実は、マカオのキーパーソン、スタンレー・ホー氏は、こうした元々の意味での「買弁」の子孫なのです。今回のマカオ紀行の最後にあたっては、2002年までマカオのカジノ運営権を独占していた「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau(STDM = 澳門旅遊娛樂股份有限公司 = マカオ旅行娯楽会社)」の経営者であり、現在でもマカオで最も影響力のある人物、スタンレー・ホー氏についてちょっと調べてみましたので、ご紹介させていただきます。

彼の名前は、何鴻燊 (Stanley Ho) です。1921年生まれですから、今年で93歳になるはずですが、亡くなったという話を聞きませんので、今もご健在だと思います。

彼は香港生まれで、曾祖父は広東人女性と結婚したオランダ系ユダヤ人でした。その曾祖父の息子の1人が、 現在も強い力を持っている Jardine Matheson(ジャーディン・マセソン商会)で「総買弁」を務めた何東(ロバート・ホー・トン卿 = Sir Robert Ho Tung Bosman, KBE)です。

ちなみに、KBE とは、英国の勲章のひとつで、Knight Commander of the Order of the British Empire のことです。「大英帝国騎士司令官」などというたいそうな名前ですが、要するに勲章のひとつです。1917年にジョージ5世が創設したものです。

このロバート・ホー・トン氏こそは、香港の名門「何東一族」の始祖で、ジャーディン・マセソン商会に入社後、「買弁」、「総買弁」から「総経理」(社長のこと)にまでなった後、自身で会社を起こし、アジアの歴史に名を残す実業家となった人物です。1862年(幕末)に生まれ、没したのは1956年ですから、清朝末期から、中国の植民地化の進行、辛亥革命、日本の侵略と日中戦争、太平洋戦争、国共内戦、中華人民共和国成立と、中国の近代激動期のほとんどすべてを目撃した人物です。

ちなにみジャーディン・マセソン商会と言えば、アヘン戦争や日本の明治維新にも深く関わったイギリスの貿易会社で、現在でもアジアを基盤とした巨大な国際コングロマリット(複合企業)として活動しています。ロスチャイルド系です。

この何東氏の弟、何福氏の孫が、スタンレー・ホー氏です。スタンレー・ホー氏は13人兄弟姉妹の9番目として「何東一族」のひとつの家系に生まれました。祖父・何福氏を受け継いだ生家は当時の香港の名家・富豪でしたが、氏が13歳の時(1934年)、父が世界恐慌の影響や株価暴落などで資産のほとんどを失いました。その結果、2人の兄が自殺した上に、父は蒸発し、母と2人の姉とともに残され、一転して困窮生活を強いられました。この時期の経験が、その後の氏の行動に大きな影響を与えたとされています。

苦学の末、香港の名門高校から香港大学に進んだ氏は、猛烈な努力で広東語の他に、英語、日本語、ポルトガル語を流暢に話すまでになりました。ちなみに氏の名前のついた香港大学の施設を香港で見たことがあります。University of Hong Kong Stanley Ho Sports Centre がそれです。香港島の西端 Pok Fu Lam にありますが、広いクリケット・グラウンドまで備えた立派な施設で、おそらく戦後、氏の寄付によって作られたものなのでしょう。

しかし、1941年(氏が香港大学在学中で20歳の時)、日本軍による香港の軍事占領の結果、一族の財産はほとんど失われ、大学にも行けなくなった氏は、単身、ポルトガルの植民地であり、中立国の植民地として日本軍も手を出さなかったマカオへ移り、日本人が経営する貿易会社に勤めました。

広東語、英語、日本語、ポルトガル語を自在にあやつり、ロバート・ホー・トン譲りのビジネスセンスと能力を開花させた氏は、すぐに日本人経営者の信頼を得て、重要なポジションに着きました。21歳の時でした。

スタンレー氏がすごいのは、その時期に得たいくばくかの富を資本にして、第2次大戦中の香港に投資を開始したことです。当時、香港の建設業界は急成長していたのだそうです。そこに目をつけて、香港に灯油関連会社と建設会社を設立。これにより、大きな利益を上げていきました。この投資と企業活動が、戦後の氏の活躍の原資になりました。

戦後、1962年、それまでに築いた多くの人脈を駆使して、ついにマカオにおけるギャンブル権を獲得しました。でもその時期のマカオは古い交易の歴史を持つものの、広東省の一漁村に過ぎませんでした。現在のような繁栄ぶりは、とても想像もできない状態だったのです。

その後、ホー氏は観光客の誘致のため、ホテルの建設や港の整備、香港とマカオを結ぶ高速艇の整備などを意欲的に行いました。おそらくマカオ・グランプリの開催や、有名なドッグレースの設営なども、マカオに人を呼び寄せるために立案されたものなのでしょう。ちょうどモナコがそうしたように。

その後40年ほどの間に、氏はギャンブル権の独占を活用して、元来、観光的にはたいした魅力があるとは思えない、ポルトガルの一植民地を東洋一のカジノ・シティに仕立て上げていったのです。

2002年に国際入札制度の導入により、ホー氏のカジノ経営権独占はなくなりましたが、氏はそれを逆に活用して、外の資本を導入してマカオをさらに拡大させました。香港やアメリカの巨大資本が入ったことにより、マカオはそれまで以上に、すさまじい勢いで急速に発展したのです。さらに現在では、ベトナム、フィリピンに加えて、なんと北朝鮮にまで活動領域を広げています。北朝鮮の首都、平壌にある最高級ホテル・羊角島国際ホテルでは「羊角島飲食娯楽集団」を経営しており、カジノの他、サウナ、カラオケクラブ、ディスコ、マカオ料理レストランなどもあるのだそうです。なんとまあ、と驚くばかりです。

こうして見ると、スタンレー・ホー氏が渡り合ってきた相手は、英国、ポルトガル、日本、国民党、中華人民共和国(中国共産党)、北朝鮮、その他各国政府と、何でもありのようです。イデオロギーや表向きの外交とは別の世界が、深く横たわっていそうなのを感じますね。

そう言えば、北朝鮮の金王朝の王子の一人が、マカオを拠点に行動し、居住していたという事実もありましたね。あれもホー氏と北朝鮮の関わりなしには考えられないことだと思います。

スタンレー・ホー氏は今や娯楽以外に、観光、船舶、不動産、航空、銀行など、多種多様なビジネスを展開しています。氏のファミリーの系譜や歴史を見ると、なるほどと感ずるところがあります。

上の写真は、上段がスタンレー・ホー氏自身。1970年代に何度か、ちらっとお目にかかった時は、もうちょっと若かったと記憶しています。下段の写真は、氏の祖父の兄である、ロバート・ホー・トン氏。スタンレー氏の大叔父ということになります。ホー・トン氏(1862〜1956)、スタンレー氏(1921〜)ですから、2人は30年以上、同じ時代を生きていたことがあったのです。2人とも「買弁」としてスタートし、その後、タイクーン (tycoon) となっていったのですが、雰囲気も似ていると言えば言えそうですね。

マカオ紀行の最後は、マカオのキーパーソンについてのおしゃべりでした。調べながら、こういう人生もあるのか、とため息が出ました。人間の歴史は面白いですね。

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