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縁の下のバイオリン弾き
113 ジュリー・デューティー
2015年5月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 「12人の怒れる男』のヘンリー・フォンダ
先週今週とリンダがジュリー・デューティーに出ている。日本でいえば裁判員だ。アメリカではジュリーは12人。彼女はその人数に入らず、「控え」として登録されているんだけど、それでも毎日法廷に行かねばならない。リンダは仕事を引退して久しいが、朝9時から午後5時ごろまで拘束されるから、なんのことはない、また仕事をしているようなものだ。

裁判は民事訴訟で交通事故に関するものらしい。ジュリーには守秘義務があるので私にもくわしいことは話してくれない。

アメリカではジュリーは判決を出すのに全員一致でなければならないと心得ていたが、それは刑事裁判のことで、民事は多数決だそうだ。どうりでその昔刑事裁判で無罪を勝ち取った O. J. シンプソンが、被害者の父親から訴えられた民事訴訟では有罪になったはずだ(有罪になっても罰金だけで刑務所には行かなかった)。

ジュリーは陪審員と訳される。アメリカ市民の義務なので「デューティー」と呼ばれるわけだ。

陪審員という訳語がいつごろできたのか知らないが原語の精神からかけ離れた訳語なのではないかとつねづね思っている。陪審の陪という字は誰か偉い人と「ご一緒させていただく」時に使う。たとえば天皇と会食すれば「陪食」するという。一緒にすわっただけで「陪席」だ。

陪審の審は裁判のことだから陪審といえば「裁判をご一緒させていただく」という意味だ。ご一緒する偉い人は裁判長を指す。つまり裁判では裁判長がトップで陪審員は下っ端にすぎない、という前提がある。

これはアメリカに関する限りあやまりである。アメリカでは判決を下すのは陪審員で裁判長ではない。裁判長は裁判の指揮をとるけれども、判決ということになるとすべてを陪審員に任せる。陪審員が有罪か無罪かを決定したあとで、被告が有罪だったら裁判長が死刑とか終身刑とか懲役何年などと量刑を下す。

つまり陪審員は裁判の主役なのだ。「ご一緒させていただく」と謙遜するような存在ではない。それなのに陪審という訳語ができたのは陪審員が普通の市民から選ばれるからにちがいない。学識・経験ゆたかな裁判長は司法の専門家だ。その裁判長がとり行う裁判にご一緒させていただくから陪審なのだ。

こういう風に考えたのは日本では昔から裁判は「お上」がするもので庶民が口出しできるものではなかったからだ。「これにて一件落着」と言えるのはお奉行さましかいなかった。

だから日本人には陪審という制度の精神がぜんぜんわかっていない。ながらく裁判官だけで判決を下していたシステムを反省して陪審員制度をみならった裁判員制度ができたけれど、それを見ても日本人が陪審を誤解していることがわかる。

なぜなら裁判員制度では判決は裁判官と裁判員が相談して下すからだ。司法の専門家としての裁判官のすることにまちがいはないけれど、下々の意見も聞いてやらなければ民主主義に反するから参考までに裁判員の意見も聞き置く、という態度だ。

まったくのシロートに裁判を任せたらあぶなっかしくて見ていられない、お上も庶民もそう思っているからああいう制度ができた。それに反対する人もろくにいない。


アメリカの陪審員は「どシロート」が裁判をになう制度だ。民主主義というものは「シロートに価値がある」ということを発見した制度なのだから。

昔はおおむねどこの国でも一定額の税金を納めたものだけに選挙の投票権が与えられていた。つまり金持ちは貧乏人より価値があったのだ。国家に貢献した者だけに国政に参加する権利がある、という考えが疑う余地のないものだとされていた。

みんなが投票できるようになった現在からみれば、金によって人間に等級をつけるそのような制度が民主主義に反することはだれにも納得されるだろう。

法律を勉強した者だけに裁判ができる、という考え方はその昔の選挙と同じようなものだ。勉強したって法律の条文にくわしくなるばかりでそれで人間がさばけるようになるかどうかわかったものじゃない、という考えだって成り立つ。

それに裁判のゆくえは裁判官、検察、弁護人の三者にひとしく影響をおよぼす。彼らのキャリアは裁判における自身の役割がどれだけ成功したかにかかっているのだ。それに比べると陪審員は原告被告になんの関係もない。赤の他人だ。どうころんでも判決は陪審員になんの利益ももたらさない。それゆえに公平な判断が期待できる。


そうはいうものの、実は私もこの陪審員制度には慣れるまで違和感があった。もし私が事件をおこして陪審員にさばかれるような仕儀になったら、ねがわくば人格が高潔で識見の透徹した達人に判断をゆだねたい。八つぁんや熊さんではこころもとない。まして死刑になるかもしれない事件で彼らに私の命をあずけるなんてまっぴらごめんだ。そういうふうに考えていた。

ところが陪審員制度というものはこういう考え方にまっこうから反対する。八つぁんや熊さんの判断こそが正しい、と宣言する。私のような考え方は鼻持ちならないエリート意識だと弾劾(だんがい)する。そもそも裁判官が八つぁんや熊さんより上等だという証拠はどこにもない。

頭ではそれがわかっていても、実際問題としてこの制度のもと、明らかな誤審もあることを思うと陪審員制度が万全だとはとうてい言えない。

その私のおそれが的中した事件が O. J. シンプソン事件だった。だれがみても真犯人、という被告が勝ってしまったのだ。無罪の判決は陪審員に責任がある。


ひるがえって日本の裁判を見ると第一審での有罪率が99.9%という驚くべき数字だ。これでは起訴されたとたんに有罪ときめつけられるのも同然だ。

日本では検察の権力が強く、有罪無罪の判断は事実上検察がする。裁判所はその後追いをするにすぎない。ということは裁判なんかしたって意味がなく、三権分立が機能していない。「疑わしきは被告人の利益に」という裁判の大原則が守られていない。これは裁判官が官僚化して自分の保身と栄達のみを考えているからだという(瀬木比呂志「絶望の裁判所」2014)。「そんなことはない」と言えるためにはもっと無罪の判決が出ていなければならない。

周防正行(すおう・まさゆき)監督の「それでもボクはやってない」(2007)は日本の裁判制度による冤罪(えんざい)の構造を追求した映画だ。しかし元裁判官の瀬木さんの証言によると実際の警察・法廷では映画の主人公のようにあんなに毅然(きぜん)として罪状を否認することはできるものではないそうだ。はじめから犯人と決めつけられてものすごいプレッシャーがかかるからだ。

そういうことを知るとゆううつになってしまう。有罪率99.9%ということは、日本の裁判官が自分で考えることをせず、判断を放棄しているということだ。それでは個人的にいくら人格・識見がすぐれていてもなんの役にも立たない。


アメリカの陪審員は、特に刑事事件の場合は全員一致に到達するまで時間に制限なく徹底的に討論しあう。三人寄れば文殊の知恵というけれど、12人がカンカンガクガクの議論をすれば、ひとりだけ何も考えないでいることは不可能だ。

ヘンリー・フォンダが主演した「12人の怒れる男」(1957)という映画はそのことを描いたものだ。被告の無罪を信じる一陪審員がじょじょにまわりの11人を自分の考えに同調させる経過を、観客が納得できる展開で追っていく。

その12人はなにも特別な資格を持っているわけではない。まったく普通の人々なのだ。だからこそこの討論に意味があるのに、裁判官が一枚噛(か)む日本の裁判員制度ではこの一番大事な点がおろそかにされている。


ジュリー・デューティーは「労多くして功少なし」の見本のようなものだから、この義務から逃れたいと思う人は多い。それでなんのかのと理由をつけて辞退する。病気になってしまう人もいる。そのために陪審員には補欠がかならず選ばれる。今回リンダはこの補欠になった。それでも毎日法廷に出席して裁判の経過を理解して出番にそなえるわけだ。

裁判が始まる前の陪審員候補は何十人にものぼり、検察と弁護の両方でだれが適当か審査する。自分の裁判戦略に有害だと思ったらその候補を蹴ることができる。それで興味深いのは、死刑が視野に入る裁判では死刑反対論者は自動的にはねられてしまう、ということだ。

つまり私が死刑反対論者で判決にそれを反映させようと思ってもそれは許されない。ある一定の意見に固執する人は裁判に対して「偏見」を持っているとみなされる。裁判にのぞむには「先入主」があってはならない。論議の中でどんな意見が出ようとも開かれた態度でそれを受け入れなければならないのに、はじめから「死刑反対」では話にならない。

したがって、凶悪事件の陪審になるのを避けようと思えば「私は死刑反対論者です」と言えばいい。

でも私のように死刑そのものが非人間的だと思っている者にとってはこのシステムは納得がいかない。石頭の規則だと映る。陪審の討論の場で死刑反対を訴えることが許されるべきだと考えている。もっとも私はアメリカ市民ではないので陪審員に選ばれることはないのだが。またそんなことが許されたら陪審員制度そのものが崩壊する、というおそれもわからないわけではないのだが。


大事件の場合は外からの影響を遮断するためにホテルにかんづめにされるが、リンダの出席しているような裁判では自宅から通うことが許される。

ジュリー・デューティーは義務だから報酬はまことに少ない。1日15ドル(1800円)と交通費だ。朝は私が車で送っていき、帰りは電車にのる。その電車はもう定期券を買ってあるので交通費は請求しない。

しかしリンダはこの裁判にかかわってよかったと言っている。裁判の経過でいままで考えもしなかったような状況や意見に出くわすので学ぶことが多いそうだ。


上記の死刑反対はおくとしても陪審員制度には問題がいろいろある。わいろやおどしによって判決がゆがめられてしまうおそれだってないわけじゃない。でもそれに代わるよいシステムがない。よくも悪くもこれが民主主義にほかならない。そうして陪審員というものが行政(検察や警察)にまったく関係のない市民であるということ、つまり上からの圧力がないということが司法の独立を保証している。

私にはできてまだ日の浅い(施行されて6年ぐらい)日本の裁判員制度がどれほど機能しているのかを判断することができない。しかし日本のシステムのほうが「陪審」という言葉の意味をよく体現していると思われる。「ご一緒させていただく」と考えている限り、司法の独立は危ういのではないだろうか。



(注1) O. J. シンプソン事件については「縁の下のバイオリン弾き47:サンドイッチの話(2)O. J. シンプソンとハンバーガー」をごらんください。

(注2)日本の裁判員制度は刑事事件にかぎられるので、リンダのように民事で裁判員になることはありません。



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