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鳩時計 (上) |
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2008年1月26日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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鳩時計が動かなくなった。もう20数年前、本場ドイツのシュワルツワルト(黒い森)のメーカーからとり寄せた本場手作りの一品。鎖の先についた3本の錘だけで、正確に時を刻み、鳩が鳴き、小さな人形たちがオルゴールに合わせ踊る。そのオルゴール曲も鳩時計には珍しく、「ララのテーマ」(映画「ドクトル・ジバゴ」のテーマ曲)というところが気に入っていた。
地元の時計屋数件に電話したが、「たぶん歯車とかクランクとか部品が磨り減っているんでしょう。その道の職人さんも探せばいないことはないが、修理となると新品を買うくらい費用かかりますよ」とつれない。そこで、ハンブルグ在住の友人にメールでリサーチを依頼した。残念ながら、時計にはメーカー名がない。時計の写真を送り、製造元を特定できれば日本の代理店が見つかるかも知れない。
ハンブルグから連絡が来た。「お尋ねの鳩時計はドイツ南部の黒い森の中の工場で作られたことは確認できましたが、会社の名前は特定できません。ムーブメント機構部は教えてくれませんでしたが、1つの会社で供給しているようです。その内の1つの鳩時計会社に問い合わせたところ、歯車がある箇所でひっかっているようなので、修理に出してもらうと分るのですがとのことです。日本の時計屋でも通常の修理で間に合うはずですが、との返事を貰いました。いちど時計屋さんへ持っていかれてみたらいかがでしょうか」。その時計屋が頼りにならないんだよね。ドイツに修理に出していたら輸送費だけで大変なことになってしまう。
そうこうしているうちに、「そうだ」と思い出した。この鳩時計、当時ボンに住んでいた知人に購入を依頼し、送ってもらったのだ。ヨーロッパ取材のおり、かの知人宅で食事をごちそうになった。当時のボンは「西ドイツ」の首都だが、知人の住むマンションからは緑豊かな市街がみわたせ、東京の雑然とした景色との差に愕然としたものだ。その知人宅の居間に掛けられていたのが鳩時計。僕が出張を終えて日本に帰国後、同種のものを購入して日本に送ってもらった。
その知人とはいつの頃からか年賀状のやり取りも途絶えたが、いまは東京にいることはわかっている。ドイツのマンションを訪問したとき、周辺の環境の豊かさとともに、知人の家族仲の良さに感銘を受けた。子供さんが3人、みな小学生だったろうか。奥さんも一緒に家族全員とアウトバーンを飛ばして、古城見物にでかけたっけ。あれはどこの城だったか。思い出せないが、印象的だったのは、子供さんたちが天真爛漫で、奥さんも陽気で、家族全員がドイツを心底楽しんでいたこと。
彼の東京の家の居間にも、今でもまちがいなくそのとき見た鳩時計が飾ってあるに違いない。彼にメーカー名をたずね、そのメーカー名をハンブルグに連絡、そうすれば日本の代理店もしくは修理業者がみつかるだろう、と考え、知人にメールをだしてみた。数日後、返事が着た。
「実は5年前に離婚しまして、時計は前の家にあります。そういう事情で残念ながら・・・」。誠実な彼らしく正直に書かれたメールだが、その後の20年に、あの幸せそうだった家族にいったい何が起きたのか。「前の家」という表現も気になった。家族とはいまでは交流がないのか。電話もしないのか。子供さんたちももう30歳代前半か。彼の家の居間に掛けられた鳩時計が見たものはなんだったのか。そしていま時計はいったいどんな家族の風景をみているのか。
考えてみれば、我が家の鳩時計も我が家のこの20年の歴史をみてきた。ヨーロッパ出張からもどって数年後には長年勤めた会社を辞めた。その結論に達する前の、僕と妻との壮絶な?口論を鳩時計はみてきた。妻が退職にしぶしぶ同意したのは、「このまま会社にとどまったとしても、このひとはいろいろな局面でまた同じように悩む。そのとき、このひとの言うことは分かっている。お前があのとき退職に反対したから、自分は夢を実現できなかった。これから先何度も同じ言葉で責められるのはたまらない」と考えたそうだ。妻には僕の性格がよく分かっていた。
のちに妻に聞いたところによると、このとき妻は離婚も考えたらしい。どうして離婚を言い出さなかった、と聞く僕に妻は答えた。「だって苦しむ夫を見殺しにして離婚したら、他人さまから冷たい女だと思われるでしょう?それだけはいやだった」そうである。「それでもそんなあなたが好きだったから」と言って欲しかったが、そんなわけはないね。
調子に乗って余計なことを書きすぎた。鳩時計の話である。我が家の鳩時計も、生まれたドイツから遠い日本にやってきて、それからアメリカに渡ってNY郊外に4年。また太平洋を渡って日本に帰ってきて、それから2度引っ越した。けっこう波乱の人生を歩んでいる。我が家にも離婚の危機はあったのだから、知人が離婚してもちっとも不思議はないのである。
ところで、我が家の鳩時計のハト君(写真)、その姿がちっともハトらしくないのだ。その理由が、時計の修理屋さんを探す過程でだんだん分かってきた。(続く)
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