1989年創立 個の出会いと交流の場 研究会インフォネット
HOME 研究会インフォネットとは 会員規約 お問い合わせ
会員専用ページ
過去のINFONET REPORT カレンダー 会員連載エッセイ なんでも掲示板
会員紹介 財務報告
会員連載エッセイ
最近の記事 以前の記事
老舗の店頭から
163 「アウトドア般若心経」
2016年1月11日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
日本の仏教の中で、最もよく知られているお経は?と問われたら、たいていの方が「般若心経」を挙げることと思います。「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」で始まる、300文字足らずの、あのお経です。

般若心経は、私にとりましてもたいへん身近なものでして、学生時代からこれだけはよく知っていました。このお経に関する本も、ずいぶんと読んだ記憶があります。

過日読んだ本の中に「アウトドア般若心経」という、いっぷう変わったタイトルの薄い本がありました。一種の写真集のような本です。

これは、「みうらじゅん」さんという、「作家、漫画家、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャン」という多彩な職業の方が、このお経に関する自分なりの解釈と思いを、約5年の歳月をかけてまとめたものなのだそうです。この方のことは、私はこの本を見るまでは、まったく知りませんでした。

私がこの本を読んでみようという気になったのは、作者がこの本の副題で般若心経のことをこんなふうに書いていたからです。

「そもそもはそうじゃなかったのに、そう思い込んでることからの逃げ道  みうらじゅん訳」

これが作者、みうらじゅんさんが、般若心経を日本語に訳した言葉なのだそうです。「般若心経」とはずいぶん長いお付き合いの私はひと目で、なーるほどなあ、と思ったのです。

この本は、題名まで含めて278文字からなるこのお経のすべての文字を、屋外に表示された看板や、のれんの中に発見して、一文字一文字を撮影し、写真集にまとめたものです。作者が言うように、正味5年かかったというのも納得できるような、それはたいへんな作業であったことと思います。

お経に中には、普段の生活ではまず目にすることのない特殊な文字があります。作者はこう言っています。

「半年くらいかかり大体3分の2くらいの文字を収得したあたりでグンとハードルが高くなりました。“これはどう考えてもないだろう”という、文字の壁にブチ当たったのです。」

それはそうでしょうね。「ギャーテー ギャーテー ハラギャーテー ハラソーギャーテー ボジソワカ」(羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶)などという呪文のような文字など誰が日常的に使っているでしょうか。

「・・・気の遠くなるようなことでした。ある時は長崎県、ある時は岐阜県・・・と予想の限界を超えていたからです。もう苦しいを笠に着た修行では無理になりました。変な言い方ですが、楽しんでやっていくしか方法はありません。朝一で家を出て、一文字撮ってトンボ返り。一体、僕は何をやっているのだろう?」

実はこれからが、作者にとって般若心経と真に対峙する体験になったらしいのですが、ともかく仏教書(?)としては、破格に面白いものでした。

作者のみうらさんが、こんな本を書くことになったきっかけは、いかにも仏教に造詣が深いアーティストらしいのですが、こんな次第でした。ちなみに彼は京都の出身で、高校も知恩院系(浄土宗)の仏教系高校のご出身だそうです。ついでですが、大学は東京の武蔵野美術大学造形学部のご出身です。

「そもそもの始まりは街の駐車場の入口に『空アリ』の文字を見つけたのがきっかけでした。

一般的に“あきアリ”と読むのが正しいのでしょうが、僕のその時の心境は、“くうアリ”、般若心経の真髄である『空』の教えがそこに示されているように思えたのです。

『空』とは何もない状態を表していますが、それが“アリ”というわけです。ないことがあるとはどういうことなのでしょうか? ゼロの発見のようです。

さらに駐車場やマンションの前で『空ナシ』という、難解極まる文字も目にしました。ないことがない?」

このあたりの感覚は、アーティストならではと思いますが、見事なものです。でもその疑問からスタートして1冊の本にしてしまうところが、この人の並々ならぬところです。

この本の中でもちょっと触れられているのですが、「諦(てい)」という文字があります。一般的には、「あきらめる」=「ギブアップ」という意味のはずなのですが、実は本来はそうではないことに近年気がつきました。

広辞苑で「諦」をひくとこんなふうに書いてあります。

あきらかにすること。
あきらめること。
まこと。真理。

なんと、ギブアップのあきらめが主な意味ではなくて、物事の真実を明らかにすることが本来の意味なのだそうです。

そう言えば、わが家は菩提寺が曹洞宗のお寺さんですので、子供の頃から、法事の度に曹洞宗の経典である「修証義(しゅしょうぎ)」を必ず聞かされました。修証義はこんなふうに始まります。

生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり
生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし
但(ただ)生死すなわち涅槃(ねはん)と心得て
生死として厭(いと)うべきもなく
涅槃として欣(ねご)うべきもなし
是(この)時初めて生死を離るる分(ぶん)あり
唯一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし

高校生の頃までは、この最初の行の「あきらめ」は、まさに「ギブアップ」だと思っていました。その後、仏教解説書などを読む機会ができ、「生をあきらめ、死をあきらむるは・・・」というのは、生や死の意味をあきらかにする、という意味だと知り、しいて漢字で書けば「明らめる」なのではないかと、なんとなく納得した気になっていたのですが、そうではなかったのです。

実は「諦」こそが、この「あきらめる」に最もふさわしい漢字だと知りました。あきらかにすることは、永遠などないという真理を知ることです。その結果、本当の意味で「諦める」ことができるわけでして、真にあきらかにすることは、真にギブアップすることと通じているというのが、般若心経で説かれているコトの真髄のように思います。

文字・看板だらけの写真集ですが、ところどころにはめ込まれている作者の言葉が、並の仏教解説書などより、よほど心の深いところに届きます。機会がありましたら、是非お読みいただきたいと思い、ご紹介させていただきました。
最近の記事 ページトップへ 以前の記事
ボーダーを越えて
雨宮 和子
かくてありけり
沼田 清
葉山日記
中山 俊明
寄り道まわり道
吉田 美智枝
NEW
僕の偏見紀行
時津 寿之
NEW
老舗の店頭から
齋藤 恵
ぴくせる日記
橋場 恵梨香
縁の下のバイオリン弾き
西村 万里
やもめ日記
シーラ・ジョンソン
徒然.... in California
明子・ミーダー
きょう一日を穏やかに
永島 さくら
ガルテン〜私の庭物語
原田 美佳
バックナンバー一覧
166 京都名刹めぐり その30 梨木神社 Part 2
165 京都名刹めぐり その30 梨木神社 Part 1
164 優れた作家の感受性のすごさ
163 「アウトドア般若心経」
162 紫紺の闇 (しこんのやみ)
161 言論を奪われ、異論を排除した時、戦争は止められなくなる。
160 法の精神(8月15日に際して)
159 戦争は、防衛を名目に始まる。
158 平泉 澄(きよし)
157 アンビグラム (Ambigram)
156 白虹事件
155 山崎と大山崎 その4 (ニッカウヰスキーと大山崎山荘 後編)
154 山崎と大山崎 その3 (ニッカウヰスキーと大山崎山荘 前編)
153 山崎と大山崎 その2 (大山崎山荘の誕生)
152 山崎と大山崎 その1
151 修学院離宮 Part 2
150 修学院離宮 Part 1
149 「漢詩のリズム」
148 最澄と空海 その3 (まとめ) 両雄並び立たず
147 最澄と空海 その2 薬子の変
146 最澄と空海 その1 還学生と留学生
145 桂離宮と豊臣秀吉
144 「漱石枕流」
143 忘れられない写真
142 松方コレクションと国立西洋美術館
141 カタロニア讃歌 (Homage to Catalonia)
140 「乱」と「変」
139 パナマ運河疑獄事件
138 水晶栓 (Le bouchon de cristal)
137 シュール・リー (sur lie)
136 「斉藤」、「斎藤」、「齊藤」、「齋藤」
135 宋靄齢・宋慶齢・宋美齢
134 マカオ今昔 その4 (最終回)
133 マカオ今昔 その3
132 マカオ今昔 その2
131 マカオ今昔 その1
130 四神(しじん)
129 森 恪 (読みにくい名前を、もう1件)
128 大給 恒
127 ローマの休日 (Roman Holiday)
126 ラファエル前派
125 京都名刹めぐり その29 大覚寺
124 京都名刹めぐり その28 金戒光明寺
123 京都名刹めぐり その27 清閑寺
122 京都名刹めぐり その26 山科の毘沙門堂
121 京都名刹めぐり その25  正伝寺と圓通寺の借景
120 BYO ワインクラブ
119 「懐石料理」と「会席料理」
118 ナイト・ホークス
117 景徳鎮・有田・マイセン
116 瑠璃光院の不思議
115 葭と葦 (永源寺にて)
114 「プラハの春」、「ベルリンの秋」、「ウィーンの冬」
113 アルクイユ (Arcueil)
112 カンパリ (CAMPARI)
111 耕論 「ミシュラン、おいでやす」
110 美術展作品の輸送について
109 エトルタの針は空洞か? 
108 「無縁社会」
107 秋艸道人
106 白毫寺(びゃくごうじ)
105 2人のラ・トゥール
104 ブラジリアン・マジック
102 ジュール・シュレ美術館の盗難事件
101 シャントルイユの「空」
100 白凛居へ行って参りました。
99 イコン異聞 (日本人イコン画家 山下りん)
98 新たな気持で
97 セザンヌ、その光と陰
96 「マキシミリアン」の謎解き
95 マキシミリアン (Maximilian)
94 土佐派
93 カトリーヌ & マリー
92 真珠の 「耳飾り」 と 「首飾り」
91 ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル
90 私と絵画
89 八点鐘 (はちてんしょう)
88 五山の送り火クイズ
87 白い送り火
86 春 (La Primavera)
85 カラバッジオ (Caravaggio)
84 一度は消えた画家
83 マニュエル・ゴドイ (Manuel Godoy)
82 フリーダ・カーロ (Frida Kahlo)
81 ジョージア・オキーフ (Georgia O’Keeffe)
80 ラ・リュッシュ (La Ruche)
79 マルディ・グラ (Mardi Gras)
78 接吻 (Der Kuss)
77 ワイエス
76 ラス・メニーナス (Las Meninas)
75 オールドホーム (The Old Home)
74 私と村 (Moi et le village)
73 メデューズの筏
72 破戒僧と尼僧
71 遠近法とパオロ・ウッチェルロ
70 オシュデ (The Hoschede)
69 アプサント (L’absinthe)
68 草上の昼食 (Le dejeuner sur l’herbe)
67 オランピア (Olympia)
66 ジオットとEU
65 オルナンの埋葬
64 フェルメールの魅力
63 レカミエ夫人の肖像
62 コタン小路
61 上七軒(かみひちけん)
60 祇園のお座敷便り その1
59 サント・ヴィクトワール山 (La Montagne Sainte-Victoire)
58 ワインのホワイト・ホース、シュヴァル・ブラン
57 京都花街概論
56 ネゴーシアン (negociant)
55 オノレ・ドーミエ (Honore Daumier) のカリカチュア
54 AOC
53 世田谷美術館へ出かけませんか?
52 シャトー・ラトゥール
51 セーヌ川をはさんで
50 グランド・ジャット島の日曜日の午後
49 ムートン・ロートシルト
48 ポール・デュラン−リュエル (Paul Durand-Ruel)
47 イケーム (Yquem)
46 タリスマン (Le talisman)
45 アリスカン (Les Alyscamps)
44 月と六ペンス (The Moon and Sixpence)
43 京都名刹めぐり その24 古知谷 阿弥陀寺
42 オルセー美術館にある方が模写なのです (ガシェ医師の肖像)
41 シャトー・マルゴー (Chateau Margaux) 本編
40 シャトー・マルゴー (Chateau Margaux) 前置き編
39 パリ市民とバリケード (barricade)
38 シャトー・ペトリュス (Chateau Petrus)
37 返却されなかった名画 <アルルの寝室>
36 真夏の夜のワインの夢 in ロンドン   
35 ヴィンセント・ファン・ゴッホとオーヴェールの教会
34 Ullage (アリッジ)
33 複雑な素朴派、アンリ・ルソー
32 フランス・ワイン通史 その2
31 フランス・ワイン通史 その1
30 風の花嫁
29 カナの婚礼
28 切り分けられた名画、ショパンとジョルジュ・サンド
27 「都会の踊り」 と 「田舎の踊り」
26 京都名刹めぐり その23 高台寺
25 京都名刹めぐり その22 法然院
24 京都名刹めぐり その21 平等院(宇治)
23 京都名刹めぐり その20 東福寺
22 京都名刹めぐり その19 泉涌寺
21 京都名刹めぐり その18 智積院
20 (突然ですが・・・)ドレフュス事件とエミール・ガレ
19 京都名刹めぐり その17 六波羅蜜寺
18 京都名刹めぐり その16 実相院
17 賀茂一族
16 京都名刹めぐり その15 正伝寺
15 京都名刹めぐり その14 六道珍皇寺
14 閑話休題 「I have a reservation.」 
13 京都名刹めぐり その13 狸谷山不動院
12 京都名刹めぐり その12 安井金比羅宮
11 京都名刹めぐり その11 圓光寺 (えんこうじ)
10 京都名刹めぐり その10 金福寺 (こんぷくじ)
9 京都名刹めぐり その9 東山大文字の火床はこうなっておりました。
8 京都名刹めぐり その8 五山の送り火異聞
7 京都名刹めぐり その7 大河内山荘
6 京都名刹めぐり その6 京都五山の送り火(大文字焼き)体験記
5 京都名刹めぐり その5 上賀茂神社の斎王代
4 京都名刹めぐり その4 祇王寺
3 京都名刹めぐり その3 光悦寺
2 京都名刹めぐり その2 善峯寺
1 京都名刹めぐり その1 西山光明寺
ページトップへ
Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved. Copyright(C) FORUM INFONET, All rights reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等、全てのコンテンツの無断転載・複写を禁じます。
0 7 5 9 4 7 6 6
昨日の訪問者数0 3 6 6 2 本日の現在までの訪問者数0 3 3 4 4