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縁の下のバイオリン弾き
139 プリーズ
2017年7月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
香港に住んでいた時の話である。知り合いの中国系アメリカ人の女性が日本を訪ねた時の思い出話をしてくれた。彼女はアメリカで知り合った日本人と連絡をとりたいと思い、電話をかけた。

「『プリーズ』は『どうぞ』というんだって聞いていたから電話をかけて『みなこさん、どうぞ!』っていったのよ。ところが通じないの。何回やってもダメ」

英語では電話で「みなこさんをお願いします」と言いたい時には「みなこさん、プリーズ」と言えばいい。でも、それを日本語に直訳して「みなこさん、どうぞ!」といっても通じない。のちに日本語を教えるようになるとは思いもしなかったその頃の私にとって、これは天の啓示のようなものだった。

「プリーズ」と「どうぞ」は同じではないのだ。

私はそのわけを自分なりに考えてみた。「プリーズ」には二つ意味があるのに、「どうぞ」には一つしか意味がない、だからこの混乱を生むのだ、と。

「プリーズ」のその二つの意味とは、

1. リクエスト
2. オファー

の二つである。

リクエストは何かを求める時、オファーは何かをさしだす時に使う。ただ「プリーズ」といっても、「コーヒーはいかがですか」と問われて「プリーズ」というのと、自分がコーヒーをカップにいれてから「プリーズ」といってさしだすのとでは天と地ほどの差がある。

前者は「お願いします」という意味であるのに対して、後者は「どうぞ召し上がれ」という意味だ。

日本で「コーヒーはいかがですか」と問われて「どうぞ」という人間はいない。「お願いします」というにきまっている。

なぜこの時にどうぞといえないか。それは「どうぞ」には上記ふたつの意味のうち、2の「オファー」の意味しかないからだ。コーヒーをいれて「どうぞ」、ドアをあけて「どうぞ」、ソファーをしめして「どうぞ」、というわけだ。

そんなばかな、という意見がすぐ聞こえてきそうだ。

「どうぞおっしゃってください」
「どうぞお越しください」
「どうぞごらんになってください」

などはりっぱな「リクエスト」ではないか。

だけどそれなら「みなこさん、どうぞ!」が通じないはずはないじゃないか。「明日車で鎌倉までいくんですが、いっしょにどうですか」ときかれて「はい、どうぞ!」と言えるはずじゃないか。

アメリカで日本語を教えるときに、ある文型を自分がいったあと、「はい、みなさん、ごいっしょに」という意味で「はい、どうぞ!」という教師がいる。便利だからむりもないとおもうけれど、これは誤用だ。Please(say it)!の直訳だからだ。

実は私は大学のクラスでこのことを話したときに、学生に「でも先生、先日ならった『どうぞよろしくお願いします』というフレーズはリクエストじゃないんですか」ときかれて弱ったことがある。たしかに「どうぞよろしく」は「私に対してよくしてください」という意味だからリクエストにちがいない。

私はこれに答えを出すために四苦八苦した。その結果、たどりついた結論は「この『どうぞ』は『どうか』の誤用だ」というものだった。

昔は「どうかよろしくお願いします」といっていたものを「どうぞよろしくお願いします」といいまちがってしまった、でもそれがふつうになったので、「どうかよろしく」のほうがすたれてしまったのだ、と。

「どうか」はリクエストのことばだ。そしてオファーの意味は全然ない。すしをならべて「どうかめしあがってください」という人はいない。「どうぞめしあがってください」というに決まっている。「どうか」を使う場合があるとすれば、客が気難しい人でそのすしが全然口に合わないから食べないでいるのをなだめすかして「どうか」食べてください、というときだろう。その場合は純然たるリクエストだ。むりにお願いしているのだ。


「どうか」の本来の意味は「どうにかして」ということだ。それにたいして「どうぞ」は「どうでも」「どういうふうにでも」ということだ。

「どうぞ」の「ぞ」は関西弁にのこっている「どこぞ行ったんとちがうか」「なんぞ悪いもんでもたべなはったか」「だれぞおらんか」などとおなじで強調のことばだ。

「あなたがお好きかどうかわかりませんが、それは『どう』であれ、お気づかいなく召し上がってください」というのが「どうぞ」の裏にある気持だ。

そう考えれば「どうか」がリクエストで「どうぞ」がオファーなのはあきらかだろう。つまり英語で「プリーズ」というところを、日本語では「どうか」と「どうぞ」の二つのことばが分担しているのだ。あるいはしていたのだ。

「どうかおっしゃってください」
「どうかお越しください」
「どうかごらんになってください」

ね、このほうがリクエストとしてずっと正統的だ、という感じがするでしょう。

現在ではこの二つが混用されて区別がつかなくなってしまった。しかし切実な気持ちで具体的な何かを頼むときはやはり「どうかお願いします」というだろう。

もっともだからといって「みなこさん、どうか!」と電話口でいって通じるとは思えないけれど(「どうか」は原則として単独では使われない)、でも「みなこさん、どうぞ!」というよりはましなのではないだろうか。



「プリーズ」は「どうぞ」、「どうぞ」は「プリーズ」だと学校で教えられるから、私たちは疑いもせずにそれを受け入れているけれど、これは海外ではかならずしもそうとはかぎらない。

というのは、日本語について英語で書かれたものの中には「どうぞ」を「プリーズ」とはせず、代わりに “Go ahead.”を使っているものがあるからだ。

“Go ahead.” は「ご遠慮なく」にあたることばで、「我々に気を使うことなく、どうぞおやりなさい」という意味だ。問うまでもなくこれはオファーの気持ちを表す。

「どうぞ(ご遠慮なく)おっしゃってください」
「どうぞ(ご遠慮なく)お越しください」
「どうぞ(ご遠慮なく)ごらんになってください」

日本語を学んだ英語話者が教室でならった「プリーズ」という訳ではどうもぴったりしないと感じて考え出したのかもしれない。

“Go ahead.”を日本語に訳するのに丁寧語を使ったのでは、必然的に「どうぞ」を使わざるを得ないから(上の例を参照)、それでは「プリーズ」とどうちがうのかわかりにくい。ここは便宜上タメ口で考えてみたい。

その場合にぴったりの言い方がいっときアメリカではやったことがある。1983年公開の映画「ダーティーハリー4」(原題は“Sudden Impact”)でクリント・イーストウッドがいうせりふ、“Go ahead, make my day!”だ。

ご承知のようにダーティー・ハリーはサンフランシスコの敏腕刑事。腕はたしかだが、ルールにしばられない荒っぽい捜査をするので警察内部では鼻つまみになっている。

ある朝、ハリーが行きつけのダイナーにコーヒーを飲もうと立ち寄ると強盗団が客を襲っている最中だった(注:当時はまだクレジットカードも普及していなくて、人々は財布に現金をたんまり持ちあるいていたのだ)。ハリーは愛用のマグナム拳銃をぬいてたちまち彼らを撃ち倒してしまうのだが、一人だけがウェイトレスをたてにとって彼女の頭に拳銃を突きつける。

ふつうならウェイトレスを殺すわけにはいかないと悪漢をみのがしてしまうところだが、そこがハリーだ。恐怖におののくウェイトレスにとんちゃくなく、強盗の頭にぴたりと照準をあわせ、“Go ahead, make my day!”という。

“Make my day” は訳しにくい文句だが、この場合は命令形で、その意味は「今日という日をおれの最高の日にしてくれ」ということだ。

このまま撃ってチンピラを倒すことができれば申し分ない。しかし、万が一、やりそこなってウェイトレスが殺されても、どのみち強盗はハリーの餌食(えじき)だ。人質をうしなった彼を守るものはなにもない。無防備の彼を撃ち倒すことこそハリーの究極のしあわせだ。

「やれるもんならやってみろよ。ツいてるぜ、今日は」

ウェイトレスを殺されてはツいてるも何もないのだが、しかしハリーの気迫におそれをなして強盗はしぼんでしまう。

この場合、「やってみろ」といっているからといってリクエストだととってはならない。“Go ahead!”は「やる」機会をオファーしているのだ。


この決めゼリフが、だれもかれもがいいたがる名文句となった。イーストウッド自身のセリフが入った歌になった。ついには当時のレーガン大統領までが演説の中で使う、というぐらいはやった。アメリカン・フィルム・インスティチュートというところが2005年に発表した「映画の名セリフ100」では第6位に選ばれている。

これを“Please make my day!”といったのでは意味も迫力も全然ちがう。

「どうぞ召し上がってください」の英訳として“Please eat.”では原文のニュアンスを伝えていないと思う。“Please eat.”はむしろ「どうか食べて」というリクエストだ。好き嫌いがつよくていやいやをする子供に母親はそういう。そうではなく、「ご遠慮なく食べてください」と言いたいのだ。

日本語の「どうぞ」は go ahead だ、というのは卓見だとおもう。


「プリーズ」は略語であって、本来は「イフ・ユー・プリーズ」というものだった。「もしもあなたさえよろしければ」というわけだ。プリーズは動詞としては「楽しませる、満足させる、うれしがらせる」という意味だ。

ビートルズの最初期のヒット曲に“Please Please Me”というのがある。レコード会社の人も意味がわからなかったんでしょうね。日本語でもカタカナで「プリーズ・プリーズ・ミー」だった。高校一年だった私にはこの題名がなぞだった。なぜプリーズが二つもならんでいるのか。「どうぞどうぞ僕」? なんだこりゃ?

さんざん頭をひねって、これは、

プリーズ(どうか)プリーズ(うれしがらせて)ミー(僕を)

ということだとわかった時はうれしかった。それに気がつくまでにずいぶん時間がかかったように思う。頭の中に電灯がついた感じで、爽快(そうかい)だった。あれが“make my day”ということなんだろうな、たぶん。


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