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縁の下のバイオリン弾き
174 知りたくないの
2020年6月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ サンディエゴは今ジャカランダの花盛り
すべては「アベノマスク」から始まったことなのだ。アメリカ在住の友達が、日本の友人から送られてきたと言って、「アベノマスク」の動画を送ってくれた。

男性のオペラ歌手がピアニストと共に出演していて、「アベーノマスクはいいマスク。強いぞ(強いぞ)」と「フニクリフニクラ」の曲調で朗々と歌う。「洗える布でできている。強いぞ(強いぞ)」とつづく。最後に唐突に「それよりもっとお金ちょうだーい」という歌詞で終わる。

「フニクリフニクラ」の歌は子供の時から知っていた。実は歌詞の大部分を知らず、「行こう、行こう、火の山へ」というレフレインだけを知っていて、イタリア民謡だと思っていた(今回民謡ではないということを学んだ)。

しかしフニクリフニクラとこのアベノマスクの歌がどういう関係にあるかわからない。どこが面白いのかわからない。つまり、これが以前に書いた「日本のことを知らないので、馬鹿話ができない」ということの典型的な例なのだ。

動画には「『鬼のパンツ』20万回再生のオペラ歌手が『アベノマスク』を熱唱!」と書いてあったので、友達に「鬼のパンツってなに?」と聞いたらアニメの動画を送ってくれた。

それでこの「鬼のパンツ」が日本人なら誰でも知っている歌だということがわかった。NHKの「うたのおにいさん」が作詞したのだそうで、私の想像ではお母さんが子供にパンツをはかせようという時に一緒に歌うものなのだろう。

私のような古い世代の人間には「鬼のパンツ」という題名からして違和感がある。鬼がはいているのは虎の毛皮の「鬼のふんどし」だったはずだ、などというだけでもう相手にされないのはわかっているけれど…。

「アベノマスク」の歌手は最初マスクをして出てくる。一番最後に「『アベノマスク』がまだ届いていないので『ベツノマスク』を使用しました」と断り書きが出てくるのがおかしい。

要するにマスク2枚で何かしたような気になっている安倍政権を皮肉っているわけだ。


この「鬼のパンツ」をストリートピアノでひいている動画もYouTubeで見た。これも私は知らなかったけれど、日本ではストリートピアノが人気があるらしい。いろいろなところに置いてあるピアノを達者な芸で弾く人がけっこういるみたいだ。ピアノには「ご自由にお弾きください」という紙が置いてあるけれど、日本のように横並び思考の強いところでは、なまなかの技術では人前で弾く勇気を持つものはそんなにいないだろうと私は思っていた。しかしそれが第一間違いで、そんなことには気兼ねなく自由奔放に弾ける人がたくさんいるのかもしれない。

そのストリートピアノの動画もたくさんあった中に私の耳に響いたのは「サウダージ」だった。

私はその歌も知らなければ、歌っている「ポルノグラフィティ」というバンドのことも全然知らなかった。聞いたこともなかった。

それで適当に歌の動画を選んで聴いてみて、びっくりした。ポルノグラフィティというのは男のバンドだと思っていたのに、画面には女の子が出てきたからだ。

しかしその彼女が歌い始めてみると、高音なのに男の声のようだ。何がなんだかわからなくなってよくよくその動画のタイトルを見てみると、どうやらこれはポルノグラフィティ本人の動画ではないらしく、[新宿二丁目で一番上手いと噂の] サウダージ、と書いてあった。新宿二丁目と言うからには歌手は女装した男性なのだろう。

それがめちゃくちゃうまい。本物の「サウダージ」を聴いたことがない私がそういうのはおかしいのだけど、本歌がどうであろうと関係なく、独立して歌がうまいのだと感じ入った。


YouTubeにこの動画がアップされたのが今年4月14日。それから一月半しか経っていないのに、ヒットが200万を超えている。これはすごいことだと思う。しかもコメントが2500からあって、ほとんどすべてが「うまい!鳥肌が立つ!」とほめたたえている。もう絶賛の嵐なのである。

YouTubeの他のエントリーによって、この歌い手は「うるる」さんといい、新宿二丁目で一番歌がうまいということになっている、ということがわかった。ミュージシャンではあるのだけど、プロの歌手ではない、ということだ。

ご存知と思うけれど、「サウダージ」はとんでもなく難しい歌で、メロディーをたどるだけでも一苦労だ。それを難なくこなすだけでなく、やたらに込み入った歌詞をはっきりとわかるように歌いあげるメリハリのきかせ方も大した才能だ。

もちろんサウダージという歌を作り、歌っている岡野昭仁という人がいなかったら、いくら歌がうまくてもこんな動画を作ることはできなかったわけだけど。またコメントの賛辞も、大部分は原曲に肉薄している、という意味で「うまい!」と言っているのだろうけれど。


私は日本にいた頃新宿には全く馴染みがなく、二丁目というのもどこにあるか知らない。ゲイの人に会ったこともない。だから日本のゲイ文化にはなんの知識もない。

でも昔から少数派を支持したいという気持ちがあって、それは日本を離れて自分自身が外国における少数派になったことによって強められた。

サンディエゴに来て偶然ヒルクレストというサンディエゴのゲイ・カルチャーの中心地に居を構えたおかげで、ゲイ文化を応援するようになった。毎夏ヒルクレストでおこなわれるゲイ・パレードにはリンダと一緒に見物に行く。今年は多分中止になると思うけれど、これはアメリカでも有数のゲイ・パレードで、その熱気たるやただごとではない。

アメリカにもゲイの歌手はいるけれども、私はまだ女装の歌手というのを見たことがなかったから、この「うるる」さんはインパクトがあった。メガネをかけた映像とかけない映像が交互に出てくる。メガネをかけない方はそう言われてみれば男かなと感じるけれど、かけた方は全く女性としか見えない。コメント内で何度も言われているように「かっこいい」と思った。

それと同時にこの歌と歌手の関係について考えざるを得なかった。「サウダージ」はポルノグラフィティの男声の歌だが、歌詞は全く女心を歌う。それができるのは日本の歌だからだ。しかもこの動画では男が女になりすまして女心を歌っている。

男が女の歌を歌うのは別に珍しくないよ、と言われるかもしれない。日本では確かにその通りだ。けれど外国ではそういう芸当はできないのだ、ということがわかってもらえるだろうか。


今でも歌われていると思うけれど、私が日本にいたころ(1967年)、菅原洋一の「知りたくないの」が大ヒットした。人気が沸騰して、普通ならレコード大賞も夢ではないはずだった。ところがこの歌はもともとアメリカのカントリーの曲を翻訳したものだったので候補にすらならない、ということをテレビで言っていたのを覚えている。

日本語版(なかにし礼作詞)はまごうかたなき女の歌で、「あなたの過去など知りたくないの/すんでしまったことは仕方ないじゃないの」と冒頭から恋する女心を切々と歌う。

本歌の“I Really Don’t Want To Know”は、題は同じ「知りたくないの」という意味だけれど、男の歌だ。

「何人(の男)が君を抱きしめたことだろう。絶対離すもんかと誓ったことだろう。何人が、何人が…? でも僕は本当は知りたくないんだ」という歌で、歌っているのも男が多い。私はエディ・アーノルドというカントリー歌手のバージョンで英語版を聴いた。

アメリカには男が女の身になって歌を歌う(あるいはその逆)という伝統はない。この歌をもし女が歌ったとしたら(コニー・フランシスなどのカバーがある)、それは女の立場から歌っているのであって、女が男になりすましているわけではない。「何人(の女)が...」というわけだ。



それは英語には男言葉と女言葉の区別がないからだ。I really don’t want to know のI は男でも女でもいい。上の訳でわかるように、女の立場からこの歌を歌うにはちょっと難があるかもしれないけれど、でもできないことではない。

歌の性別はそれを歌う歌手の性別によって、ほとんど自動的に決まってしまうのが英語の歌の宿命である。歌は女の言葉だけど、歌っているのは男だ…ということができない。

このことは英語だけではなく、他の言語でもたいてい同じはずだ。そのためかどうか、日本での人気とは対照的に、原曲はアメリカで大ヒットしたとはいいがたい。ありきたりの恋の歌だと思われたからだろう。

それに対して「知りたくないの」は誰が歌おうと女の歌だ。これを男の歌だと強弁することはできない。男は「仕方ないじゃないの」なんてまず言わないからだ。つまり、日本語がその歌に独自の性別を与えてしまう。論より証拠、菅原洋一が歌っていても、それが女の歌だということに疑いをさしはさむ人はいない。

この事実が日本の歌をどれだけ豊かにしていることだろう。だからこそ、男が女の歌を歌う、ということに味があるのだ。そういう歌を専門にしているかのような男性歌手が日本にだけはたくさんいるのだ。

常日頃そう思っていたから、男が女の格好をして女の歌を歌うというややこしい(この)「サウダージ」は完全に私の想定外だった。たまげた私は動画を何回も再生して聴き入った。

「見つめあった私は可愛い女じゃなかったね」というダメ押しの一行(いちぎょう)もある。

あとでポルノグラフィティの本物も聴いてみたけれど、その頃にはそれはもう「新宿二丁目」の原曲という以上の意味を持たなかった。


それにしてもこの曲が20年も前の作品だということに虚をつかれる思いがする。その長い間、私はこの曲の存在を、その曲が象徴する日本のポップ・ミュージックの歴史を全然知らなかったのだ。

そして、私はなんとなく今の日本の若者がかわいそうになってきた。彼らはなんというむずかしい歌を自分の歌として育ってきていることだろう。こういう曲を作る人は、自分の芸術的表現として作るのに違いないが、それに人気が出る、ということは世間に広く受け入れられたことを示す。

でも今の若い日本人が心の故郷としてもつ楽曲には、こんなにむずかしいものしかないのだろうか。私は曲にも詞にも感心するけれど、だからと言ってあれが現代の日本を代表する歌だとは思いたくない。もっと柔軟な、もっとやさしい、誰でも歌えるような素晴らしい歌はないものだろうか。

こんなにやたらにコードを変えて、メロディーを上げ下げしなければ表現できないような「自我」(歌詞の内容ではなく)がすべての人に共有されているとは信じられない。

「鬼のパンツ」と同じように、日本全国の若者が「サウダージ」を知っているのだろう。そして「え?あれ?むずかしい?」と、私の言い分にあっけにとられるのかもしれない。


私は今でもカラオケの「知りたくないの」ではなく、ギターを弾きながらの“I Really Don’t Want To Know”を歌っている。




エディ・アーノルドの歌です。
https://youtu.be/o-rZxYl05FQ


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