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断捨離(2) |
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2016年1月1日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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通勤カバンにいれておいたはずの写真がみつからない。断捨離作業の途中でみつけた思い出深いプリントが6枚。
迷ったときは即廃棄、という威勢のいい基本方針もぐらついて捨てられず、東京の仕事場でデジタル化しようとカバンのポケットに差し込んだのまではたしかに覚えている。
小学校入学前後、住んでいたアパートのすぐわき。2つ違いの弟や、近所の子供とのスナップ写真。当時は、遊んでいる子どもたちを、頼みもしないのに二眼レフ(だったと思う)カメラで撮り歩くおじさんがいたものだ。どうやって住所を調べたのか知らないが、しばらくするとくだんのおじさんがプリントをもって現れ親に売りつけていく。
この写真が撮られたころ、アパート前の道路にははときどき砂煙を上げて米軍のトラックが通行し、そのトラックを一団の子どもたちが追いかけていた。米兵からガムやチョコレートをもらおうとしていた。小学校では子どもたちがDDTと呼ばれた白い粉を頭から振りかけられていた。髪の毛にくっついたシラミ駆除の殺虫剤だ。もっとも「田園調布小学校」で白い粉を浴びたことはなかったように思う。
いっぽう九州・久留米でその時代を過ごしていた妻に聴いてみると、DDTを浴びた記憶がたしかにあるという。1歳違いの姉と町を歩いていて2人連れの米軍兵士から小銭をもらったこともあるという。帰宅して母親に話すと「返してきなさい」ときつく叱られた。彼女たちの父親は士官学校を卒業したかつてのエリート軍人だった。姉妹に兵士を見つけられるはずもなく、さりとてまた家に持って帰るわけにはいかず、町を流れるどぶ川にコインを投げ捨てて帰ってきたという。
すっかり僕の脳細胞から消えかかっていた戦後日本の映像がが、次々によみがえってきた。中学2年のとき、わが家族はそろって九州に都落ちすることになる。父の事業倒産がなければ、僕はのちに結婚することになる同級生と出会うことはなかった。
どうせ捨てるつもりのものが消失しただけの話だからあっさりあきらめもつこうというものだが、気分ががなんだかすっきりしない。喪失感。他に高校時代の初恋のひとが写った女子高校生の制服姿のグループ写真も2枚。いい歳をしてなんかばかみたい。
気分が重いのには他の理由もある。さいきんもの忘れが尋常ではない。銀行通帳紛失。今回とどうようカバンのポケットにいれておいたのがいつの間にかなくなった。そのままにしておいたら銀行から電話がかかってきた。飯田橋の警視庁遺失物センターに届いているとのこと。地下鉄ホームに落ちていたという。スマートフォンを取り出した時に落としたか。
つづいて、ATMでおろしたはずの1万円が直後財布から蒸発、と思ったのは錯覚で、現金をピックアップしないまま機械を離れたらしい。「一定時間放置された現金は、ふたたび機械に吸い込まれてしまい、取引はコンピューター記録にも残らない」ということ初めて知った。現在進行形のもの忘れと同時に過去の記憶忘れも進行中だ。断捨離したらなにもなくなってしまう。
写真紛失に気がついてから約1週間後の土曜日。東京に向かう横須賀線車内でカバンから一冊の単行本を取り出す。難解で読みづらいうえに厚い。だから往復の電車で読めるのはせいぜい10ページ。でもなぜか放り出す気はおきない。もうひと月以上もその重い本を持ち歩いている。おもしろくていっきに読めるというタイプの本ではないが、しらずしらず著者のペースに引きずり込まれていくような快感がある。
さて今日もその世界へ、と単行本を開いた瞬間。セピア色に変色したあの写真たちがページのあいだから現れた。(つづく)
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