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縁の下のバイオリン弾き
115 火を起こす
2015年6月23日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 我が家の猫又
うちの台所はアメリカにはめずらしく電気ではなくてガスなのだが、このガスコンロが古くなって、自動点火しなくなった。コンロの中には一日中つけっぱなしのパイロット点火装置がある。ガスを出すと自動的に火がつくようになっていたのにそれがだめになった。しかたなく今は電気マッチを使っている。

コンロがこわれてはじめて私はいままでどんなに便利な生活をしてきたかを思い知らされた。ダイヤルをひねればすぐ火がついたのだ。この家に越してくる前に住んでいたマンションはすべて電気で、だからガスと違って燃料などはなにもない。電気の抵抗だけで熱を発する電気コンロで煮炊(にた)きをしていた。


この前日本に帰ったとき、友達が小金井公園に連れて行ってくれた。週末だったのでたくさんの人々がさかんにバーベキューをしていた。それを見て、野外で料理することがどんなに魅力的かあらためて考えさせられた。

私が日本に住んでいた半世紀前にはバーベキューなどする人はよほど特殊な趣味を持っている人に限られていた。それよりちょっと以前にはかまどでまきをつかって料理をする家庭がめずらしくなかったのだ。毎日バーベキューをしているようなものだから、わざわざ公園まででかけて火を起こす人間はいなかった。

バーベキューはアメリカが本場だ。それはアメリカがまっさきに電化した生活になってしまって人々が野外での煮炊きに郷愁を感ずるようになったから起こった現象だろう。


そのアメリカの文明生活を嫌悪してモロッコに移り住んだ作家がいた。ポール・ボウルズ(1910−1999)だ。彼は20代でモロッコ文化に触れ、30すぎにモロッコに移住して、そこで一生を終えた。

ボウルズの代表作に「シェルタリング・スカイ」(1949)という小説がある。シェルタリングというのは防災シェルターなどのシェルターという言葉からきているから「(自分を)守ってくれる空」というような意味だろう。訳しようがなかったとみえて邦訳では「極地の空」という題になっている。ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画(1990)の邦題は「シェルタリング・スカイ」のままだ。

モロッコを旅行するアメリカ人の若い夫婦の話なのだが、その夫は小説のなかばで死んでしまう。その後の妻の運命が小説の主題だ。

その夫がまだ生きているころ、深夜にお茶、といってもミント・ティーだが、それを飲みたいと思って町中を探したのにどこにもない、というエピソードがある。なぜかというとだれもが火を消してしまっていたからだ。結局またはじめから火を起こしてもらって湯をわかし、茶を飲むことはできたのだが、その一杯か二杯の茶のためにかれは大金を積まねばならなかった。

そのくだりを読んで、私はひらめきに打たれたような感じがした。あたりまえといってしまえばあたりまえなのだが、火を起こさなければお茶は飲めないのだ。

1日の煮炊きがすんで火を落としてしまえば湯はもうわかせない。それを「お茶を飲ませろ」というほうが無理なのだ。

それが昔の生活だった。ひとひねりで点火できる電化製品などなかった。

モロッコはアフリカにあるから、問うまでもなく暑いところだろう。この小説の季節がいつだったかはこの際どうでもいい。問題はお茶を飲もうと思ったらどんなに暑くても火を起こさなければならない、ということだ。

現代の文化生活をエンジョイしている我々はそういうことをすっかり忘れてしまっている。しかし100年ほど前まではどこでも夏のさなかにまきを燃やしていたのだ。

日本のように湿気の多い、うだるような暑さの夏がある国で毎日毎日、三度のご飯をつくるためにそれをしなければならなかったとはなんという苦行だっただろう。それを文句も言わず実行していた女性たち(男もいたろうが)はほんとうに偉大だと思う。

それだけではない。かまどにまきをくべなければ毎日の汗を流すふろにだってはいれない。昔はアイロンがなく、衣服のしわをのばすために火のしというものを使ったが、これは中に炭火をいれて熱くしなくてはならない。


私は10代のころ、ほとんど日本映画を見なかったけれど、例外的に見た邦画のなかに「冷飯(ひやめし)とおさんとちゃん」(1965)という映画があった。変な題名だが、これは山本周五郎の「冷飯」「おさん」「ちゃん」という別々の話を別々にとったオムニバス映画でいずれも江戸時代の話だ。中村錦之助(のちの萬屋錦之介)の主演だった。そのうちの「おさん」で錦之助は女と一緒に旅をしているのだが、旅館で寝る前に「湯をいっぺえくれ」と女にいう。これが記憶に残っているのは「茶を」ではなく「湯を」一杯くれ、といっているのがふしぎに思われたからだ。

当時の私の感覚ではここは当然「茶を一杯」のはずだった。それまで白湯(さゆ)を飲んだことはほとんどなかったからだ。

でもすぐに江戸時代には茶を飲むことはぜいたくであり、普通のひとは水か湯を飲んでいたのだろう、と気がついた。

しかし今考えてみるとその「湯をいっぺえ」が意味するところは大きい。なぜなら彼らの泊まっている部屋には湯があったからだ。女は長火鉢から鉄瓶をとりあげて茶碗に湯をそそいで男に渡す。

長火鉢に鉄瓶、というのが日本の家屋になくてはならないものだった。ということは一年中、長火鉢に炭が活けられていたということだ。どんなに暑い日にも火鉢の中では炭が燃えていた。そして人々は湯を飲み、茶を飲んでいたのだ。

今から思うとほとんど信じられない。


でも、20年前に私とリンダはグアテマラでその昔の火を使う生活を目の当たりにした。ネバフという高地にある村に行くと二宮金次郎(1787−1856)のように背中に柴(しば)をせおって山から下りてくる男たちがいた。その柴を売り歩くのだ。人々は毎日少量の柴を買ってそれを燃やして煮炊きしていた。

グアテマラのインディオの少年少女はクリクリとした瞳の愛くるしい子供たちだ。ともだちになった10歳ぐらいの女の子が私とリンダにぜひ家に来てくれというので行ってみると、その家は雨がもれそうなほったて小屋で、一間(ひとま)しかない内部の床は土間(どま)だった。固くつきかためてはあるが、でこぼこのあるむきだしの地面だった。私はそれまで家の全部が土間、という家を見たことがなかった。そこに鉄のベッドが置いてあり、片隅に簡単なかまどがあってその柴が燃えていた。鍋の中の料理がぐつぐつ煮えていた。炊事の煙を出す煙突なんかない。家がすきまだらけだから煙は中にこもらず、自然に出ていくのだ。壁も天井もすすで真っ黒だった。木を燃やせばすすが出る、という当然のことを私はすっかり忘れていた。

その家のひとたちはどこかで仕事をしているのだろう、なかにはだれもいなかった。その少女は土間にはだしで立って、誇らしげにあたりの説明をした。その表情はくったくがなく、外国人の夫婦に自分の家を見せるということをあきらかに得意がっていた。

私はそのときはじめて「もったいない」という言葉の真の意味がわかったような気がした。彼らは金をだして柴を買い、それを燃やす。その火が暖房であり、料理の燃料であり、夜のあかりなのだ。そして燃え尽きたとき、それはなくなってしまう。翌日はまた柴を買わなければならない。

どんどんなくなっていく柴を見て、これを燃やしさえしなければ金はとっておけるのに、と思うのは当然すぎるほど当然のことだろう。それが「もったいない」ということだ。「もったいない」は日本人の専売のように宣伝され、世界がそれを賞賛しているように思われているけれど、どうしてどうして、世界中のどこであろうとこういう生活をしている人々には共有されている感覚ではないだろうか。


日本にはむかし化け猫、あるいは猫又という猫の妖怪がいた。普通の猫が年をとって変化するばけものだとされている。確か「八犬伝」だったと思うが、子供のころ映画のなかに歌舞伎のくまどりをした化け猫がでてきてとんぼを切る(飛び上がって空中で回転すること)のを見てこわい思いをしたのを覚えている。

猫又の特徴は「あんどんの油をなめる」ということである。あんどんというのはごぞんじのように昔の照明器具だ。油をいれた皿に灯芯(とうしん)をひたして紙を貼った枠のなかに入れる。明かりが必要なときにこの灯芯に火をつける。この油を化け猫がなめる、というのだ。

なぜ猫の妖怪が油をなめなければならないのか、そこは子供だからよくわからなかったけれど、なんとなく年とった猫には特殊な好みが出てくるのではないかという気がしていた。

ただそれでわかることは、江戸時代の油がほとんどすべて食用になるものだった、ということだ。石油などない時代だから照明にもナタネ油とかゴマ油とか、ともかく食用になる油を使わざるを得なかっただろう。

そう考えるとその時代、日がくれたらみな早々に寝てしまったのも納得できる。せっかく食べられる油を、用もないのに燃やしてしまうなんてとんでもない話だ。

二宮金次郎の伝記を読んで、彼が子供のとき夜になってもあんどんの明かりで本を読んでいるので伯父(両親はなくなっていた)がたいそう怒った、ということを知った。その怒りは百姓の子供に読書などは必要ない、という考えからだっただろうか。それより油をむだに使っている、ということが許せなかったにちがいないと思う(その後金次郎はナタネを植えてそれをナタネ油と交換したということだ)。

まきにせよ油にせよ、目に見えるものがどんどんなくなっていくときに感じるあせりが「もったいない」という表現の根っこにあるのではないだろうか。


アメリカの北東部にあるボストンに住んでいたときにはそれとはまったく反対の感覚をあじわった。ボストンの冬は厳しい。雪の降らないうちに暖炉で使うまき を用意しておかなければならない。アメリカの家屋は暖房がととのっているから暖炉でまきを燃やす必要は実はないのだが、冬に暖炉を使うのは伝統であり、一種の気取りだった。

郊外の大きな家は裏庭が雑木林になっていることが多い。その林から木を一本切り出してそれをおので割って暖炉のまきをつくる。長い冬の間じゅういつもたっぷりあるように、大変な量のまきを割る。そのまきを家のまわりに積み上げておく。それが家長の仕事だった。

巨大なまきを大きな暖炉に入れ、惜しげもなく燃やして客をもてなすのが「ごちそう」なのだった。


「まきはね、3度人間をあたためてくれるんだよ」とまきを割りながらあるおじさんが若かった私に言ったものだ。「こうやっておので割っているとからだがぽかぽかしてくる。そのまきを暖炉で焼いて暖をとる。みんな焼けてしまったら、暗い 中で残り火をじっと見つめる。そうするとこころがあたたまるんだ」


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