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続・決定的瞬間 |
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2008年2月29日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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▲ 貿易センタービルの崩壊を呆然と見る人たち。撮影・パトリック・ウィッティ=佐野眞一著「だから、君に、贈る。」より複写。 |
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▲ ロバート・キャパ「ノルマンディ上陸作戦」。荒れた画面は暗室マンの「ドジ」の結果だった。 |
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▲ 共同通信・大友誠一氏が撮った、浅沼稲次郎氏暗殺の決定的瞬間。だがピューリッツァ賞を受賞したのは、この後に撮られた写真だった。 |
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クリント・イーストウッド主演の映画「ザ・シークレットサービス」をたまたまケーブルテレビでみた。けっこうお気に入りの映画で、観るのはこれで3回目か。
イーストウッドはJ・F・ケネディが暗殺されたときすぐそばにいたシークレットサービスの一員だ。自分自身が捨て身で2発目以降の弾道(「in the line of fire」=原題)に身をさらせば、合衆国大統領の死を防げたかも知れない、という後悔の念に、事件から30年が経ついまでも悩まされている。いわばプロが肝心要の場でドジを踏んだという後悔だ。
ハリウッド映画らしく、最後にイーストウッドは現大統領と狙撃犯のin the line of fireに飛び込んで暗殺を防ぎ、汚名をすすぐ(しかも本人は大怪我をするものの死なない)というハッピーエンドで終わるのだが、現実社会ではいっかい大きなドジを踏んだら、挽回できるチャンスなどめったにあるものではない。
報道カメラマンを辞めて20年が経とうとしているのに、いまでも外出時はたいがいカメラを仕事カバンに入れてでかける。もし偶然、自分が大事件や大事故に遭遇したら、とにかくシャッターを切りたい。
いまでもときどき、墜落していく旅客機の夢をみる。ところが肝心のカメラがいうことをきかない。決定的瞬間が眼前にあるのにシャッターが落ちなかったり、フィルムが巻き上がらなかったり。あわてまくっているうちに旅客機は海に墜落してしまう。そこで目が覚め、じっとりと汗をかいている自分に苦笑する。それがいやでカメラを手放せない。
とはいえ、これまでいちどたりともそんな偶然に遭遇することなどなかったのだが、まんいち遭遇して、そのシーンを撮れなかったときの悔やしさ思うとやはり、カバンが重くなるのは分かっていても、カメラを手離せない。大チャンスに遭遇する可能性はおそらく宝くじで2億円を当てるくらいの確率かもしれないが、宝くじを買わなければ当たらないのとどうよう、写真はカメラなしでは撮れない。
だからかどうか、写真に関係せずとも、これぞという場面で取り返しのつかないドジを踏み、一生悔やみ続けるたぐいの話には大いに身をつまされる。かつて僕自身、決定的瞬間を撮り落とした経験が2度ほどあるからだ。つまり、取り返しのつかないいドジを踏んだ経験がある。そういう時は悔やしくていく晩も眠れない夜が続く。
冒頭の写真。説明抜きでお分かりと思うが、9.11事件で、ツインタワーの南塔が崩壊する瞬間を呆然、唖然とみつめる人びとの表情である。9.11事件ではそれこそ「迫力ある」写真が相当数発表されたが、僕はこの写真がもっとも優れているのではないかと思う。というのは、崩壊という「決定的瞬間」を前にして撮影者、PATRICK WITTYは、ビルそのものではなく、なんと後ろを振り向き、ビルを見る人びとの顔にレンズを向けた。その行為に非凡な価値がある。
これは出来そうでなかなか出来ることではない。なぜなら、もし同じ状況に置かれたら、通常カメラマンは、崩壊するビルにファインダーを向け、その目は吹き上げる煙に集中し、ある種の興奮状態で、シャッターを機関銃のように連射する。後ろを振り向けたのは、WITTY氏が緊迫する場面でも冷静な状況判断力を保持していたからだ。
なにがなんだか分からない(おそらくこの瞬間、写真に写っている人びとは何が起きているのかほとんどわかっていない)シーンに遭遇した人間、または光景を見た人は、この写真のように、口あんぐりと呆けた顔をする。おそらく、カメラマンも、ぽかんと口を開き、呆けた顔でシャッターを切っている。というところまでは想像で理解できるのだが、僕自身、このように人間が口あんぐりとあけ、恐怖で目を引きつらせている瞬間をとらえた写真を、これまで見たことがない。
この写真をあとから見た現場カメラマンのなかには、すぐ背中の後ろに千載一遇のすごい映像が展開していることに気がつかなかった自分に腹を立てたり、悔しがったり、しばらく眠れぬ夜をすごしたひとが相当いるに違いない。とはいえこの写真、なんらかの賞をとったという話をきかない。これはどうしたことか。
前々回、「決定的瞬間」を書いていらい、幸運の神の前髪をしっかりつかんだジャーナリスト、または幸運の神の後ろ髪をつかみそこなったジャーナリストのことが気になって何冊かの本を読んだ。ご当人にはたいへん失礼かつ同情を覚えるのだが、僕はどうしてもスクープのすぐそばでドジを踏んだひとびとの話の方に興味がいく。
たとえば、ノルマンディー上陸作戦で決死の撮影をしたロバート・キャパ。その戦場から届いたばかりのフィルムを現像した人物は、現像後のフィルムを乾燥機にかけすぎて乳剤を溶かしてしまった。わずかに生き残った写真は粒子が荒れザラザラ。この暗室マンは一生「汚名」を負って生きたことだろう。
もっともこのときの写真は「そのときキャパの手は震えていた」というキャプションとともに、かえってそのザラザラ感が臨場感を増幅し、ゆえに有名になってしまった。幸運の人の陰にはかならず不運の人がいる、ということがいろいろな本を読んでいくうちに分かってくる。
さいきん、沢木耕太郎の「テロルの決算」を読んだ。昭和35年10月12日、当時の社会党委員長・浅沼稲次郎が、立会演説会の最中に公衆の面前で日本刀で刺殺された。犯人は、少年山口二矢(おとや)という17歳の右翼少年だった。
この浅沼氏暗殺の決定的瞬間を毎日新聞カメラマン・長尾靖氏が撮影した経緯が、この本に書かれている。僕が報道カメラマンにあこがれるきっかけになったかも知れない写真が撮られた経緯が、昭和53年に出版された「テロルの決算」に書かれていることを、つい最近になって知ったことになる。恥ずかしい話である。この写真の周辺でも、幸運と不運が交錯する(続く)
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