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ボーダーを越えて
170 秩序の秘訣
2011年4月25日
雨宮 和子 雨宮 和子 [あめみや かずこ]

1947年、東京都生まれ。だが、子どものときからあちこちに移動して、故郷なるものがない。1971年から1年3ヶ月を東南アジアで過ごした後、カリフォルニアに移住し、現在に至る。ボリビアへの沖縄移民について調べたり書いたりしているが、配偶者のアボカド農園経営も手伝う何でも屋。家族は、配偶者、犬1匹、猫1匹、オウム1羽。
「冷静」(calm)、「平然」 (stoic)、「秩序正しい」(orderly)、「威厳がある」(dignified)。こういう言葉が、大地震と大津波の大被害に遭遇した日本人に対して、アメリカのテレビや新聞で繰り返された。CNNは1週間余りほとんど24時間態勢で大震災の報道を続け、私は普段ほとんど見ることなどないCNNに釘付けになった。そして報道記者が被災者の描写に繰り返されるこれらの言葉を何度も何度も耳にしたのだ。ラジオでも新聞でも同じだ。そしてそれはアメリカだけではないようだった。

前代未聞の大地震とそれに続いた大津波の被災地でも、東京のような大都会でも大混乱を起こさず、誰1人として泣きわめいたりせず、パニックもせず、足りない水や食料を奪い合うことなく、落ち着いて列を作って助け合いながら黙々と対処する日本の人々の姿は、世界中が感動したのだ。同じように対処する人は世界中に大勢いるだろうけれど、何万、何十万、何百万という大きな集団の秩序が乱れないということは、やはり驚嘆に値する。

感動の次に、なぜ日本人はあんなに大変な状況でも冷静で、平然としていて、秩序正しく、威厳を保っていられるのか、という疑問がムクムクと湧いたらしい。災害が起きてから1週間近く経ってから、私はチリのラ・テルセラ(La Tercera)という新聞の若い女性記者から電話取材を受け、まさにそのことを聞かれた。質問の核心が何かを確かめるために、私は逆に記者に質問してみた。
「1年ちょっと前にチリでも大地震があったでしょ? あのときチリの人たちはどういう反応をしたのですか」
「もう大変にパニックして大騒ぎでした」
なるほど。被害の状況は報道されても、人々の反応はほとんど報道されなかったけれど、なんとなく想像はつく。
「日本で商店が荒らされて略奪が起きたりしないのはなぜなのですか」と、チリの記者は唐突なことを言った。
「チリでは商店略奪があったのですか」と、私は逆に聞いた。
「ありました」
道理で、日本人の態度が不思議に見えるはずだ。
「何か日本の宗教の影響でしょうか」
カトリック教会の影響がまだまだ強い国の人が考えそうな質問だ。チリの新聞が聞きたいのはどうやら日本人の精神構造らしい。でも、日本人全体が聖人のような精神を持っていると思われては困る。事実に反するから。まずそういう精神主義的考え方の枠から出てもらわなければならない。

そこで私は、日本では子どもの頃から地震の避難訓練をしていて、個人個人が地震にパニックしないこと、地域とか職場とかのコミュニティには一体感があるので個人はそこから外れまいとするし、外れようとする個人には何らかの制裁があるし、ひとに迷惑をかけるなと教えられて育つので、秩序が保たれる、というようなことを一生懸命に説明した。説明しながら、どうも歯切れが悪いな、と自分でも感じた。もっと単純明快が説明を求められているのはわかっていたけれど、それはしたくない自分を意識していたのだ。

「それでは」と、雲をつかむような気持で聞いていたらしい記者は再び聞いた。「天皇が初めてテレビで日本国民に向かって、激励の言葉をかけましたけど、天皇の影響は大きいのでしょうか」
それはもうありません、とこれはきっぱり答えられた。そして、天皇の「お言葉」をありがたく頂戴してそれに従うなどということは日本人はもうしないことを説明した。

私の説明で記事が書けるようなものを得たと思ったのかどうかは怪しいけれど、それで電話取材は終わった。その取材を反芻してみて、精神主義的説明に陥らないように気を遣うばかりに、肝心なことを言わなかったことに思い当たり、それをメールで記者に送った。肝心なこととは、所得格差がチリと日本とでは圧倒的に違うということだ。チリは、ラテンアメリカ諸国すべてがそうなのだが、貧富の差が激しい。下層に置かれた人々は、国全体が少しずつ豊かになってもなかなか上に這い上がれない。いつまでも下層に押し付けられたまま疎外されているということがわかっている。だから、社会の一部が崩れると、日頃手に届かない物をそこから手に入れようとして商店略奪が起こるのだ。それはチリに限らず、貧富の差の激しい国では大抵そういう状況が起きる。アメリカだってそうだ。

日本は戦後、農地改革を行い、福祉政策をある程度進めて、世界で最も所得格差の小さい国の仲間に入った。小泉政権を経て所得格差は急に広がってしまったけれど、チリはもちろん、アメリカほどではないし、意識の上では所得格差はまだ固定化していない。しかも東北の小都市や町や村の内部では、まだまだ「みんな同じ」という気持が強くて自分たちだけが社会から疎外されているとは思わないだろう。東京のちゃんと職を持った人たちの間でもそう言えるのではないだろうか。みんな同じと思えば、非常時に普段手に入らない物を自分だけ手に入れてやろうという気は起こりにくいだろう。

そう書いて送ったのだが、それは記事には取り入れられなかった。驚異的な日本人の行動の説明としては、あまりにも冷めているかもしれない。私の取材をまとめた記事は、読者には日本人の秩序の秘訣がわかったようなわからないようなものに終わった。

メキシコのあるテレビ局は、独自に論理を展開させて、説明しようとしたらしい。連れ合いの農園の労働者が見たメキシコのテレビ番組では、日本人がおとなしく秩序を保つのは、肉ではなくて魚をたくさん食べているからだと説明したそうだ。日本人の魚の消費量を他国民と比較したデータを持ち出して、もっともらしい説明だったという。こういう誤った説明でも単純明快であればマスコミは平気で流すのだろう。ちなみに、メキシコでも貧富の差は激しく、おまけに近年では麻薬密輸団の間の抗争が激化して過去4年間に3万5千人も殺され、政府も軍隊もその広がりを抑えられないでいる。大変な非常時でも日本人が平然と秩序を保っていることについててっとり早い説明がほしかったのかもしれない。

でも、日本人のすべてが立派な行動をしてきたわけではない。アメリカの報道に取り上げられた形跡はないけれど、災害募金と称して自分の使うお金を集めた事件が1件、募金箱の盗難が2件あったのをAsahi.comで読んで、日本でも所得格差の固定化が意識に染み込んで来たのかなと思った。また、被災地の信用金庫から現金4千万円を盗んだというのはどんな人なのだろう。

一般日本人は賞賛され続けたけれど、それと反比例するかのように、日本政府や東京電力責任者には不信と疑惑と焦燥が高まった。それはいまも続いている。
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