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ある土曜日の記録 |
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2008年6月15日 |
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 | 中山 俊明 [なかやま としあき]
1946年4月23日生まれ。東京・大田区で育つが中2のとき、福岡県へ転校。70年春、九州大学を卒業後、共同通信に写真部員として入社。89年秋、異業種交流会「研究会インフォネット」を仲間とともに創設、世話人となる。91年春、共同通信を退社、株式会社インフォネットを設立。神奈川県・葉山町在住。 |
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土曜日朝5時。
起床。すぐコンピューターのスイッチを入れる。パスワードを入れ、外国通信社の写真データベースにアクセス。アメリカ・メジャーリーグ(MLB)をチェック。まだ1枚も入って来ていない。当然だ。アメリカ東部はまだ夕方の4時、太平洋側は午後1時。きょうは全試合がナイトゲームだから、試合はまだ始まっていない。そうそう、今日からインターリーグだ。つまり交流戦で、アメリカン、ナショナル両リーグが入り乱れての戦いになる。
次に全米オープンゴルフ2日目をチェック。場所はサンディエゴのトリーパインズ・ゴルフコース。会員の雨宮さん(サンディゴ郡デルマー在住)とのメールで、このコースがある丘は、彼女の2階テラスから見えるのだということを知った。何度も泊まったことがあるのに、ゴルフには興味がなかったので知らなかった。メールで昨日から道路が渋滞で大変だ、と書いてきた。おかげで地球の反対側にあるゴルフ場がぐっと身近に感じられる。
午前5時15分。
車で近くのコンビニへ。以前は馬鹿にしていたスポーツ紙もこの仕事をするようになってからは必読。見出し、独特の運動用語、気の利いた言い回し、体言止めの歯切れいい文章。ついでに、缶コーヒーとシャケのおにぎりを買うのも習慣化しつつある。
午前5時30分。
ようやくタイガー・ウッズがスタート。追いかけるように写真が入り始めた。今日の仕事は長丁場になりそうだ。昨日はミス、というほどでもないのだが、見出し付けを失敗した。「ウッズ、1オーバーで出遅れ」。3アンダーで首位のミケルソン、ストリールマンとタイガーの差は4。ウッズにとって、4差なんぞは射程距離内、左ひざ手術後の復帰第1戦としては、むしろ「上々の滑り出し」、または「無難なスタート」とするべきだった。
もうひとつ、大リーグの方でも後悔が残る見出しを付けてしまった。「ヤンキース・松井秀が逆転満塁本塁打」―味もそっけもない。「松井秀、バースデー満塁アーチ」としていれば完璧。34歳の誕生日のことは知っていただけに悔やまれる。案の定、スポーツ紙一面はほとんどこれだ。事前の仕込みと勉強が、1行のタイトルに如実に表れる。怖い、怖い。
午前5時40分。
同居している長男が野球のユニフォームを着て現れた。毎晩深夜帰宅が続く激務なのに、週末の社内野球やゴルフとなると、早起きが苦にならないらしい。ま、僕も若いときは同じだった。それにしても、運動神経がいいとはいえないわれわれ夫婦から、どうしてこんなスポーツ大好き人間ができたのだろう。彼のドライバーショットは低い弾道でうなりを上げて飛んでいく。「うちに金があれば、僕は大学時代にプロゴルファーを目指していた」というが、まさかね。「おいちょっとこれはどういう意味だ」とゴルフ英語を質問。無愛想な息子だが、得意な分野を質問されるのはまんざらでもないらしい。めずらしく「行ってきまあす」と声をかけて出て行った。
午前7時。
妻が起きてきた。土曜日だからゆっくり寝ていればいいのに、いつもコマネズミのように動き回っている。コーヒーとトーストの差し入れ。
午前8時。
ひとまず全米オープンの写真5枚を日本の通信社のサーバーにアップ。昨日の初日は、全選手のホールアウトを待っていたために出稿が遅れた。ゴルフは全選手が試合を終えなければ順位が確定しない。夕方、東京で友人と会食の約束があったので終盤、少々あわてた。あわてるとミスがでる。そこで今日は、良い写真があれば途中でどんどんアップしていくことにした。「14番グリーンで芝目を読むT・ウッズ(手前=初日1オーバー)、P・ミケルソン(左=同、イーブンパー)、A・スコット(同、2オーバー)のワールドランキング・トップ3」―こうしておけば、試合が終了した後成績を書き加えればいい。幸いウェブは新聞と違って、臨機応変に書き換えが可能だ。
午前8時15分。
さきほどアップした写真がさっそくYAHOO JAPANのスポーツサイトに現れた。見出しは、自分で言うのもなんだが、短文で引き締まっており、写真の選択も間違っていない。まずは上々の滑り出し。アメリカでは東部で午後7時すぎ、ようやく一部球場で試合が始まった。当然ながら写真はまだ送ってこない。しばし、研究会エッセイを書き始める。仕事との同時並行エッセイという初めての試みをやってみよう。この仕事がスタートしたこの1ヶ月は、頭のなかがウニ状態だったが、ようやく余裕が出てきた。それにしても。歳のせいか、頭の回転が明らかに遅くなっている。仕事が混乱してくると脳神経から火花が出る。それも活発に神経が動いての火花ではなく、あちこちでショートの火花だ。
午前8時40分。
「お義父さんの車を使わせてください」。娘が孫を連れてスイミングスクールに出かけるという。我が家の2台の車は大活躍だ。ゴルフは案の定、無名の若手が落ちてきて、有名どころがあがってきた。
http://www.majorschampionships.com/
これをウォッチしていれば、選手のスコアがほぼリアルタイムで確認できる。タイガーが猛チャージで順位を前日19位から3位に上げてきた。初日首位タイのストリールマンはすでに試合を終わって21位に後退。最初に「15番でロストボール、ゴミ箱の脇を探す初日首位タイのK・ストリールマン(米国)」を出していたのは正解。おっと、メディエートが首位に立った。「R・メディエート(米国)、5番の力強いティーショット」を出しておいてこれも正解。うんうん今日は読みがずばずば当たっているぞ。
午前9時40分。
娘帰宅。今度は妻も車に乗り込み再度出発。娘はお腹の定期検診、その間、孫が歯医者に行かねばならないので妻が付き添うのだそうだ。やれやれ秋には今よりさらににぎやかに(うるさく)なる。しかし子供の元気な声が家のなかに常に響きわたるのはいいものだ。
午前10時。
さあメジャーリーグがどんどん入ってきた。アメリカンリーグ14、ナショナルリーグ16、チーム数は全部で30。1日15試合が連日、全米各都市で展開される。
http://mlb.mlb.com/index.jsp
で戦況のチェック。すばらしいウェブサイトだ。全球場全試合が、1投1打、リアルタイムで確認できる。投手の球種、打者のボールの行方。得点シーンは即座に動画。アメリカ人がスポーツにかける意気込みがひしひしと伝わってくる。根底には商業主義があってのことだろうが、このエネルギーはすごい。日本のプロ野球界はつくづく遅れている。MLBサイトの構築にはおそらく億単位の金がかかっているだろう。しかしそれが十分に黒字を上げ、球団や選手に収益を還元しているというから大したものだ。
記録をみながら、写真データベースにアクセスし、これぞという写真をダウンロードしていく。ゴルフはしばらくのあいだ、順位が激しく変動していくからしばし静観。MLBに集中する。写真に付いている英語キャプションを翻訳。簡単な説明しかついていないので、公式サイトの情報からストーリーを加える。元のキャプションにはときどき間違いがあるから要注意。公式サイトで確認。このころから脳細胞が沸騰しはじめる。なにしろこれまで大リーグなんぞあまり関心がなかった。30の球団名を覚えることからはじめた。ニューヨーク・ヤンキースはいいとして、アリゾナ・ダイヤモンドバックスやらフィラデルフィア・フィリーズやらタンパベイ・レイズなど都市名と愛称をセットで記憶せねばならない。
それにつけてもわがメモリーはかなりいかれてきているので、つらい。ニューヨークにはメッツもある。ロサンゼルスにはドジャースとエンゼルスがある。シカゴにはカブスとホワイトソックス。レッドソックスはボストンだぞ。マリナーズとマーリンズは違う球団だぞ。デビルレイズというおかしな名前の球団があったな。あ、今年からそれがレイズという名に変わったんだ。改名したとたん強くなったそうだ。シンシナチはレッズ、ミルウォーキはブルーワーズ、あ、ブルージェイズというのもあったな。これはトロント、唯一のカナダの球団だ。ヒューストン・アストロズ、これは覚えやすい。ボルチモアはオリオールズ。あ、貴社、じゃなかった、記者ハンドブックを見ると表記は「ボルティモア」とある。ミネソタ・ツインズ、クリーブランド・インディアンス。「インディアンズ」じゃなくてなぜ「インディアンス」なんだ。考えても仕方がない。決まりごとなんだ。
さらにある。球団の略称である。MLB.COMのスコアボードはすべてこれで出てくる。ヤンキースはNYY、メッツはNYMはいいとして、CHCはシカゴ・カブスで、CWSはシカゴ・ホワイトソックス。STCはどこだっけ。セントルイス・カージナルスか。なるほど「セント」は「SAINT」だもんな。DETはデトロイト・タイガース、MINはミネソタ・ツインズ、TBはタンパベイ、この辺は覚えやすい。SDはサンディエゴ・パドレス。サンディエゴというだけで親しみが湧く。さらにアメリカン、ナショナルの両リーグが東部、中部、西部に分かれていて、今日はその両リーグ入り乱れての交流戦ときている。ふーっ。
ヤンキースの松井はきのう、オークランドでアスレチックス戦を戦ったあと、今日はヒューストンに移動してアストロズ戦か。試合後の深夜の飛行機なのか、それとも当日朝の飛行機でやってきたのか。選手は移動で大変だ。きつい商売だなあ、とつい同情する。それに比べてこちらは自宅でお茶飲みながらの仕事だから楽なものだ。
午後0時45分。
「お昼よー」と妻の声。頭ウニ状態で気がつかなかったが、いつの間にか帰宅していたらしい。女性陣(孫は女の子=4歳)3人に囲まれ、焼きそばを5分でかき込んで仕事部屋へ戻る。3人はこれからショッピングに行くという。静かでよろしい。
午後1時。
全米オープンゴルフは主力がホールアウトし始めた。迫力のある好写真がどんどんはいってくる。タイガー・ウッズはそれこそ毎ホールごとの写真が続々という感じだ。それに比べてMLBの写真はどうもパッとしない。腕のいいカメラマンがサンディエゴに召集されたのか。それともフリーに依頼することが多いという野球取材で、カメラマンの手配がつかないのか。わが脳内のCPU(中央演算装置)は極度にのろくなってきて、ミスが増えてきた。特に用字用語。「ファール」ではなく「ファウル」。「ダグアウト」ではなく「ダッグアウト」、「チームメイト」ではなく「チームメート」。なぜ、と疑問を持ってはいけない。そう決めただけの話。記者ハンドブックを開くのもおっくうになってきた。
オーストラリアのスチュワート・アップルビーが首位。アメリカのタイガー・ウッズとロコ・メディエートが2位タイ。データベースの全写真を開いて見落としがないか再度確認。おっと「メディエート」を「メディエイト」に修正。これでゴルフは終了。MLBはショートパンツ姿の若い女性ヤンキースファンの写真を採用してこれも終了。MLB10枚、全米オープン15枚を処理。新記録達成だ。
午後3時。
わが脳細胞は限界に達した。背骨も痛い。しかし、このひりひり感は悪くない。世界の「いま」と同時進行で働いているという、ジャーナリスティックな感覚も悪くない。やや衰えたとはいえ、仕事のスピードはまだまだ落ちていない(と思いたい)。刺激のない数年を過ごしたあとだけに、なにやら嬉しい充実感に浸る。
しばしの夕寝に入る。これぞ自宅勤務の醍醐味。インターネットに感謝。
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