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僕の偏見紀行
204 なぜかベトナム(2)コーヒーの他、何にもないところ
2016年5月14日
時津 寿之 時津 寿之 [ときつ としゆき]

1945年、九州にて誕生。2010年4月65才で長年勤務したメーカーを定年退職。家族は息子2人が独立し、今は配偶者と二人暮し。趣味は読書、散歩、旅行。読む本は何でもジャンルを問わず、旅先も国内外を問わずどこでも、気の向くところへ。
▲ コーヒーリゾートのホテル、朝の庭園。
▲ コーヒーリゾートのレストラン、テーブル席からオープンカフェを見る。
▲ コーヒーの白い花。
「ホーチミンシティの喧噪に身を委ねるのも悪くないが、もう少し遠くへ行ってみようかと考えることが多い。ホーチミンンシティは元気な街で、そのエネルギーを全身で受けとめていると、そんな気になってくる。」

「週末ベトナムでちょっと一服」下川裕治著より

下川裕治は元祖バックパッカーとして、その世界ではよく知られた人、貧乏旅行の先達として名高い。メジャーではないが、若い頃からの世界を巡る旅の著作が多い。

僕は彼の紀行文が好きで、それはドラマチックでもなく名所旧跡とも縁が無いが、彼の本は僕の本棚にあふれている。僕は時おりそれを寝しなに拾い読みするのを楽しみにしている。

ひたすらオンボロバスや鈍行列車で過酷な旅を続け、ありふれた町の食堂で飯を食い、疲れたら場末の安ホテルでぼんやり過ごす。そんな彼の旅のスタイルに、僕は強く惹かれた。

ポスト全共闘世代の彼は、学生時代左翼運動に参加、卒業後は新聞社に勤務するもすぐに退社、海外への長旅をきっかけに、旅の世界に生きる人生を選んだ。新聞社時代、彼は開高健が、従軍記者として戦時下のベトナムを描いた「輝ける闇」「夏の闇」を愛読したという。

高校時代から開高健と大江健三郎にかぶれていた僕は、そのことを知り、一段と彼への共感を深めた。開高の描くサイゴンは、戦時下にありながら、喧噪と庶民の生きるエネルギーに満ち、その蒸し暑い夜は妖しい魅力があった。1975年の陥落前のサイゴンを見たかった、今でもつくづくそう思う。

僕は、彼のどこかアナーキーな生き方に共感したものの、彼の様に組織を離れて生きることは出来なかった。僕は勤め人として無難に仕事をこなしながら、いつも心に居心地の悪さと旅への憧れを抱えていた。

そんな彼が、ホーチミンシティから訪れた先のひとつがバンメトートだった。コーヒー以外何もないというそこで、彼を待っていたのは、むせる返るようなコーヒーの花の甘い香りだった。僕は特にコーヒー好きでもないが、コーヒー以外何も無い、というのが気に入って今回の予定に入れた。

ホーチミンから飛行機で約1時間、バンメトートに到着した。高原地帯のはずだが、日差しが強く暑い。3月の日本からベトナムに来て、急に季節が冬から夏に変わり、身体が驚いている。

空港ロビーで事前にタクシーチケットを購入した。初めての町なので大事をとったが、空港の外はのんびりとした光景が広がり、怪しげな男達が寄ってくることも無かった。

ただタクシーのドライバーに言葉が通じなくて困った。ホテルのバウチャーを見せ、ここだ、ここだ、と身振り手振りで説明するしかながった。田舎を目指すのんびり旅も楽ではない。

予約したのは「リゾートコーヒーツアー」という、ちょっと変わった名のホテルだった。コーヒーに関心の無い僕は知らなかったが、今やベトナムは世界有数のコーヒーの生産国となっている。日本にもたくさん輸入され、大手のコーヒーチェーン店でも使用されているという。

バンメトートはそんなベトナムで、コーヒーの生産・集散地として知られる町だった。既にホーチミンに移転したが、かつてここには、大手コーヒーメーカーチュン グエンの本社があった。現在も同社のコーヒー博物館が置かれているという。

「ベトナムコーヒーはアラビカ種の中南米と異なり、ロブスタ種が多い。その理由は病虫害への強さだといわれている。ベトナムにコーヒーを持ち込んだフランス人はこのロブスタ種を深く煎り、フレーバーをつけた。

濃いコーヒーにたっぷりの牛乳を入れる飲み方をフランス人は好んだ。しかし植民地ベトナムでは牛乳の保存が難しく、コンデンスミルクを入れるベトナム式が定着した。」(冒頭の下川裕治著作より)

何故長々と引用したのか、勿論コーヒーについて僕が無知だからだが、本場の「正しいベトナムコーヒー」に出会って、僕が受けた衝撃の大きさを理解してもらうためなので悪しからず。

言葉で苦労したが無事タクシーはホテルへ到着した。そこは町の中心から少し離れた、ありふれた町並みの一角だった。

通りから奥まったところのホテルは、本館と2つの宿泊棟に別れ、周囲は豊かな緑に包まれていた。フロントの女性は達者な英語を話し、テキパキと手続きを済ませてくれたが、なんとなく外国人に不慣れのようで、どこかぎごちなかった。他のスタッフも同様で、よくいえばシャイ、はっきりいうと無愛想に思えた。

案内された部屋は広くゆったりしていた。簡素で清潔、僕の好みのホテルだ。窓から外を見ると、庭の草花の中をニワトリ一家が走り回っている。ボスらしい一羽の雄鶏は、常に家族が見える位置に立ち、外敵を警戒している。そのかたわらをひよこが数羽、親鳥の後をちょこちょこ歩いている。

部屋を出て庭園を歩くと、空中をせわしなく飛び交うを夥しい数の蝶に出会った。まぶしい昼下がりの光の中、それはまるで黄色い花びらが風に舞うようにも見える。地面のあちこちでは飛びつかれたのか、沢山の蝶がかたまりになって羽根を休めている。

緑豊かな南国の花の中、飛び交う蝶と走る回るニワトリ家族、まるで別の世界に迷い込んだような気がする。バナナの木には大きな房が実り、人の背丈ほどの見知らぬ木にはビッシリと白い花が咲いている。そんなに広くはないが、自然のままに近い庭園の草むらを気の向くままに歩き回る。

フロントで、コーヒー博物館の場所を尋ねるとすぐ隣らしい。庭園奥の、竹林脇の小路を抜けると、視界が開けた。広大な敷地に建つ建物がいくつも見えている。

手前にはフエの宮殿跡に似た、時代を感じさせる広い屋敷があり、その庭先は鮮やかな花々で囲まれている。石造りの回廊を登った先には、山岳民族の伝統建築を思わせる黒っぽい長屋造りの木造建築が見える。

巨石を組んだ高台には滝が流れ、その下には池が広がっている。この眺めは、まるでリゾートホテルの庭園、あるいはテーマパークのようだ。

鮮やかな花をつけた熱帯植物が茂る側に、白い花をつけた木々が見えている。白い花の隣には赤い実も見えるが、コーヒーの木だろうか。

後で分かったことだが、ここは、チュングエンのコーヒービレッジと呼ばれる、コーヒーのテーマパークだった。僕らのホテルもその一部で、変わった名前の由来がようやく理解できた。

山岳民族の伝統建築がコーヒー博物館で、コーヒー豆の生産から加工までに使用したと思われる古い器具や装置が並んでいる。コーヒーに関心の薄い僕にはどんなものかよく理解できない。ガランとした屋内に客の姿は無く、警備員の男は片隅で居眠りしていた。

フエの宮殿を思わせる屋敷は、やはりフエから移築されたもので、宮殿造りの趣あるレストランだった。古い建物がそのまま利用され、黒光りする柱が並ぶ合間に客席があった。庭先の花の下はオープンカフェになっており、食事やお茶を楽しめるようになっている。

庭園の白い花はやはりコーヒーだった。生産用のコーヒー畑というほどには広くない、観賞用だろうか。年月を経た古木から、今を盛りと、白い花を沢山つけた木々、そして熟した赤い実のなる木まで、いろんなコーヒーの木が並んでいる。

白い花の匂いをかいでみる。甘い柑橘系の香りがほのかに漂う。熟した赤い実を口に含むと、薄甘い果汁がにじみ、思いのほか美味しい。手入れ中の庭師が、手を休めて赤い実をもぎ取ってくれた。言葉は全く通じなかったが、彼の心遣いが嬉しかった。

偶然選んだホテルがコーヒービレッジとは運が良かった。ここに滞在すればベトナムコーヒーをじっくり楽しめそう。今まで僕はコーヒーに無関心だったが、バンメトートに来たからには、そうも言っておれない。

美しい庭園に囲まれた簡素なホテル、そしてその隣りのコーヒーリゾート、歩き回って疲れたらレストランで一休み、そしてコーヒーを一杯。のんびり過すにはうってつけのところに来たようだ。

早速僕らは、到着日のランチをコーヒービレッジのレストランでとることにした。テーブルには、ベトナム料理と、チュン グエンのコーヒーが載ったメニュー、そして豪華なコーヒー読本が置かれている。

拾い読みすると、ベトナムコーヒーの歴史や由来、効能、さらにコーヒーは人類の文化の発展に大いに寄与した、とあった。いかにもコーヒーメーカーのテーマパークだ。

ベトナム風の麺と焼き飯のランチの後、当然のことながらコーヒーを頼む。運ばれてきた独特の漉し器を前に待つこと暫し、おもむろにカップを手にとる。一口飲んで僕は言葉を失った。それは想像を絶する味わいだった。(続く)
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