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縁の下のバイオリン弾き
117 事実は小説より奇なり
2015年8月15日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ ねずみ鹿
前回とりあげた映画「レイルウェイマン」の中に主人公のエリックがパティを家に招いて食事をご馳走する場面がある。かれはそのとき米の飯をたいて供するのだが、何の説明もないのでそれがいかにも唐突(とうとつ)に映る。

イタリアやスペインならともかく、スコットランドで米を食べるというのはふつうではない(ライス・プディングなどデザートのたぐいは除く)。

原作の本にはそのような場面はあらわれない。このシーンは映画だけのもので視覚的に強い印象を与える。エリック夫妻は映画撮影に協力しているからもとづくところがあっただろう。

私はこの場面は本来ならばもっと長いもので、かならずなんらかの説明がついていたはずなのに、その説明部分を切ってしまったのだろうと推測した。

その説明とは、長い捕虜生活で飢えにさらされたエリックには米の飯が第一に食べたいものだった、ということだ。捕虜収容所では主食は米の飯だった。

原作の本には廊下だったかの床に落ちていたたった一粒の飯をひろって食べた、という記述がある。それぐらい飢えに悩まされていたのだ。

かれの体験と同じものをあつかった映画にデビッド・リーン監督の「戦場にかける橋」(1957)があるが、エリックは本の中でひとこと「あんなに体格がいい捕虜なんて居るもんじゃない」とかたづけている。実際に捕虜が解放されたときの写真を見ると骨と皮だ。

「目玉焼き」でふれた「キング・ラット」の中にも、解放する側の連合軍の報告として「かれら(捕虜)にパンを与えても食べないで米の飯を食べたがる」という記述がある。冒頭近く、これは著者のことばとしてシンガポールで食べる米は「世界一うまい米だ」と書いてある。これを私が読んだのは香港にいるときで、そのときは世界で一番うまい米はもちろん日本の米だと思っていたからつよい違和感をおぼえた。(その後タイのジャスミン・ライスをたべてなぜ西洋人がそう思うかということになっとくがいったのだけれど)。

極限の飢餓状況でかれら捕虜にとって米の飯がどれほど強迫的に渇望の対象だったか、他の人にはわからないことだっただろう。だからこそエリックはスコットランドに帰っても米の飯が忘れられず、大切な人となったパティにそれを食べさせずにはおれなかったのだろうと思う。

でも映画にその場面を挿入してもどうやってその動機を説明できただろう。「捕虜だったころに食べてねえ。それから米が第一の好物になったんだ」なんてエリックに言わせてもどれだけ説得力があるだろう。いろいろ試みたあげく、結局監督は説明をあきらめて、その場面をただ見せるだけにとどめたのではないだろうか。

映画は視覚にうったえるものだから有無を言わせぬ力がある。「百聞は一見にしかず」でどんなにていねいな文章よりも一瞬のシーンのほうが効果的なことが多い。でもときにはイメージが意味不明で文章の説明がほしいときがある。これなんかその典型だと思う。


「キング・ラット」という小説は「キング」(王様)と呼ばれるアメリカ軍の軍曹が、持ち前のずるさと度胸で捕虜収容所を支配するボスとなる、という話だ。周りの捕虜たちが上官をふくめてみんながりがりにやせ、ろくに着るものもないのに、かれだけは肥えふとり、まっとうなものを着ている。

キングは収容所に繁殖するねずみをとらえてこの肉を食肉として仲間に売りつける、という悪辣(あくらつ)な商売を始める。ねずみと言ってはだれも買うものはいないから、マレー半島に生息する「ねずみ鹿」の肉だといつわって売るのである。

私はそれを読んだあと、シンガポールに行く機会があって、動物園でその「ねずみ鹿」を実際に見た。てのひらに乗るような世界最小の鹿だった。なるほど、これならねずみの肉をだまして売りつけるのにもってこいの動物だと感心した。


「末期米」(まつごまい)という言葉を聞いた事がある。第二次世界大戦の時に日本の兵隊は背嚢(はいのう)に必ずひとにぎりの米を隠していた。ほかに食べるものがまったくなくなってどうしようもなくなった時に食べようと思ってとってあるわけだ。末期というのは人間の最後、ということだから、それを食べなければ死んでしまう,食べたところで最後の食事になる可能性が高い米を「末期米」というのはこの米の性質をよくあらわしている。

日本人以外のアジア人もたぶん同じ事をするだろう。しかし、こういう窮地に陥った時に西洋人はどうするか。西洋人の「主食」と思われている小麦は米のようにそのままたいて食べるわけにはいかない。粉にしてそれをねってパンに焼かないと食べられない。戦場でそんなことをひとりでするわけにはいかないからもし小麦しかなかったら大量の水のなかにいれて長時間煮てかゆにするしかない。しかしたいていの西洋人にはそんなことは思い浮かばないだろう。

ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」(2002)はナチの追究をのがれてワルシャワをにげまわり、からくも生き延びたユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの話だ。主演のエイドリアン・ブロディが最後までもっていた末期米にあたる食料はひとにぎりの豆だった。

たしかに豆なら水さえあればゆでることができる。栄養はあるし、乾燥した豆なら長期間保存できる。末期麦より末期豆のほうがずっと実際的だったはずだ。


「ロビンソン・クルーソー」(1719)という話をごぞんじだろう。すべての「絶海の孤島」ものの先祖のような小説だ。クルーソーは難破してひとりになってもけっして絶望せず、神を信じて営々と努力する。船から必要なものを取り出し、木を切って机や椅子を作り、羊を繁殖させ、毛皮を服にし、ぶどうをほしぶどうにしてたくわえる。そうやってなんでも自分の力で着々と物事を実現するのがクルーソーのやり方なのに、

「…私は小さな袋をみつけた。これは前にものべたように船中で飼う鶏のえさ用の穀物を入れる袋だった。(中略)中に入っていた麦はみんなねずみに食べられてしまって籾(もみ)がらとほこりしか入っていなかった。たぶんその袋を火薬入れに使いたかったからだと思うが(かみなりが落ちる心配だってあったから火薬を分散させておきたかった)岩の下につくった私の陣地のそばにそのもみを袋からはたき出した。(中略)そのことはすっかりわすれていたのに、ひと月ほどたつとそこから緑の芽が生えてきた。私の知らない植物だろうと思っていたが、それが幾つかの穂を出すにおよんで私は驚き、あっけにとられてしまった。というのもそれはヨーロッパの、いや英国の大麦とまったく同じものだったからだ」

と書いてある。いくらなんでもこれではあんまり都合がよすぎる、ちょっと安易なんじゃないですか、と著者のダニエル・デフォーに文句を言いたくなる。

この偶然でクルーソーはパンを食べることができるようになった。


クルーソーとならぶ異域旅行の古典に「ガリバー旅行記」(1726)がある。ガリバーは小人国とか巨人国とかをへめぐった後に (この本にはいろいろ架空の国がでてくるが、中で唯一実在した国が日本だ)、人間よりも知能のすぐれた馬、フウィヌムたちが住む国へ行く。馬ではあるが、人間と同じ暮らしをしている。われわれ人間は「ヤフー」と呼ばれる下等動物で車をひくのに使われている(インターネットの「ヤフー!」はここから来ています)。

馬だから食料として麦を食べる。そのために畑があって麦はふんだんにあるのだが、馬はそれをそのまま食べてしまう。ガリバーにはそういう食べ方はできない。どうしてもパンが食べたいと思った。

「燕麦(えんばく=オート麦)を最初は拒否した私だったが、考え直してみるとこれでどうにかこうにかパンをつくって牛乳と食べれば命をつなぐことができると思い至った。この土地から脱出して同族(人間)にめぐり合うまでのがまんだ。主人の馬はすぐにめす馬の召使に命じてたらいいっぱいの燕麦を持って来させた。私はこれをできるかぎり火で熱し、手でもんでもみがらを分離し、ざるにいれて麦だけをふるいわけた。石を二つ使ってつきくずし、すりつぶし、水と混ぜてどろどろのかたまりにした。これを火で焼いてあたたかいうちに牛乳といっしょに食べた」

そんなことで本当にパンができるのかどうか疑問だが、著者のジョナサン・スウィフトはなにがなんでも主人公にパンを食べさせたかったのだろう。ガリバーは穀物にした段階でかゆにしようとはしなかった。

馬の国には塩もなく、著者は「塩なんてものは酒飲みが発明したぜいたく品にすぎない」などといって主人公に塩断ちの生活をさせているのに、パンのほうはまがりなりにも食べさせているのだから、こちらも都合がよいことではクルーソーとどっこいどっこいだ。

こういうふうに主人公にパンを食べさせているのはパンがなければとてもやっていけないだろう、という著者のデフォーやスウィフトの老婆心だと思う。

でもエリックの経験でわかるように極限状態になれば人間の好みなんて簡単に変わるものだ。ほかに食べるものがないのだもの、いやがおうでも米の飯を食べるようになる。パンがなくてもすこしも困らない。


江戸時代鎖国で海外渡航が禁じられていたから、大型船をつくることができず、日本の船は一本マストの単純な小型の船だった。西洋では常識である密閉式の甲板がなく、上げ板式の甲板なので入り込んでくる海水をふせぐことができない。大型のふろおけのようなもので、台風にあうとすぐ難破した。まずカジがこわれる。帆柱も風が当たるように思われて水夫たちがみずから切り倒してしまうことが多かった。

そうなるともう死を待つほかはないのだが、運よく離れ島に吹き寄せられることがあった。そういう島の中に鳥島という島がある。東京から約580キロ南、伊豆諸島の最南端の島だそうだ。この島に難破船が漂着する、ということが江戸時代を通じて何度も起こっている。無人島で、そのために無数のあほう鳥が生息していた。人間を知らず、おそれないから難破船の乗り組み員が近づいて石をうちつけて殺すことができた。

ほかに食べるものがないので何年もその鳥と釣った魚だけを食料として生き延びた漂流者たちの記録が残っている。中には火を起こす方法も知らなかったので、生の肉を海水にひたして食べた、という者もいる。米どころの話じゃない。(この話は春名徹「世界を見てしまった男たち:江戸の異郷体験」(1981)による)。

そういうのが本当の絶海の孤島だろう。クルーソーのように袋をふったら麦ができた、なんてのはそれこそ絵空事(えそらごと)だ。


「事実は小説より奇なり」という。そういえばベトナム戦争に記者として従軍した開高健の「輝ける闇」(1968)によるとベトナムでは兵士が野ねずみをとらえて食べるそうだ。野ねずみは米を主食とし、ばいきんなど持っていないのでごちそうの部類だという。


注)クルーソーとガリバーの引用は拙訳による。

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