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かくてありけり
40 五十嵐君のこと
2006年7月10日
沼田 清 沼田 清 [ぬまた きよし]

1948年、新潟県生まれ。千葉大学工学部卒業。2008年、通信社写真部を卒業、以後は資料写真セクションで嘱託として古い写真の掘り起こしと点検に従事。勤務の傍ら個人的に災害写真史を調べ、現在は明治三陸津波の写真の解明に努めている。仕事を離れては日曜菜園で気分転換を図っている。
 6月中旬に業界の調査・資料部門の研究会の総会があり札幌へ1泊2日で出張した。この時期、本来なら爽やかな気候に迎えられるはずなのに、両日とも雨だったのは残念だった。でも実りのある出張であった。研究会の方では、コンテンツの権利関係処理について各社の取り組みを知ることができたし、記事と写真の相互乗り入れが可能な統合データベースを視察することができた。いずれ来る自社の写真データベース更改に向け大変参考になった。

 それに加えてサプライズが一つあった。会議で高校時代の同級生に40年ぶりに再会したのだ。まさに奇遇と言って良い。彼は私の故郷、新潟の新聞社でデータベース部門の責任者を務めていた。見覚えのある彼の名前を出席者名簿に見つけたとき、ひょっとしてと思ったが、太めで貫録十分な姿は私の記憶に残る細身の彼と程遠い。それでも、会議が終わり懇親会に移ったところで、あいさつをした。名刺を交換してから、「新潟高校の出身ではありませんか」と尋ねたら、「はい、そうですが、、?」と。担任の先生の名前や年度を告げたら間違いなかった。向こうはこちらのことを余り覚えていないようだが、私は元々目立たないおとなしい人間だったし、家が県外に引っ越したりして同窓会のつながりは切れていた。印象が薄いのも仕方がない。話している間に互いの記憶の空白が埋まり、色々な思い出がよみがえる。しばらくして話題はある一人の同級生に絞られた。今は亡き五十嵐一(いがらし・ひとし)君のことだ。

 1963年の入学生はベビーラッシュ世代で、1クラスの定員を2人増の52人にして10クラス編成だった。その中で、五十嵐君はとにかく傑出していた。高校入学の時点ですでに大学の専門課程並みと言って良い程の学力が備わっていた。飛び級制度があったら一気に大学生になっていただろう。我々凡人が受験勉強に追われヒーヒー言っているときに、彼は真に学問のための勉強をしているように見えた。該博でかつ深い知識と教養に裏打ちされた思考力、特に語学の才能は際立っていた。サークル活動として英語研究会を起こし、主宰した。英語の授業では教師と生徒の立場が逆転することがままあった。ややこしい話が出ると教師は最後に「五十嵐、これで良いのだね?」と確認を求め、彼はにこやかに「それで結構だと思います」と応える。決して威張ることも偉ぶることもない。

 ボードレールの詩集を原語(仏語)で読んでいることも聞いた。演劇や音楽にも造詣が深く、シェークスピアに傾倒しているころだったのだろう、教室に入る際、茶目っ気たっぷりに「Enter Hamlet!」と言って主役を気取ってみせるのである。またあるときは歌劇の一節と思わしき歌を原語で朗々と歌いながら入ってくる。ほとんどの生徒が退屈し閉口した倫理社会の授業では、京大哲学科卒の教師との論戦を楽しんでいた。つくづくレベルが違うと思った。彼は超然とそびえ立つ孤立峰であり、私たちはそのすそ野でどんぐりの背比べを演じていた。その実力は3年時の初夏に旺文社が始めた全国規模の模擬試験で証明された。22万人の受験者の中で彼はトップの成績を納めた。9月に行われた模試でも再び全国一であった。

 そんな彼にも苦手はあった。体育の時間である。元々スポーツに時間を割くことがもったいないという考えもあったのかも知れない。1500メートル走ではトラックを半周遅れのドン尻集団にいた。私もその中にいて並走しながら「スーパーマンのような彼にも弱点はあるのだな」と何となくホッとしたことを覚えている。

 彼の令名は1年生の時から知っていたが、同級になったのは3年生で理数系クラスを選んだときである。彼は、「僕は理系に進んで文系の勉強をするんだ」と言ってのけた。普通なら、何を絵空事をほざいていると言われるのが落ちだが、彼に限っては「ふーん、すごいなー」と周りはうなずかざるを得ない。翌春には、宣言した通り東大理学部数学科に進み、卒業後、東大大学院美学芸術学の博士課程に移った。彼との接点は高校で終わったが、その余りある才能は強烈な印象を残し、いずれ専門分野で名を成す人と確信していた。

 彼は大学院を出た後、76年から3年間イランに留学、王立哲学アカデミーでイスラム研究に没頭した。79年にイラン革命を体験し帰国した。その後、著作も幾つか出してイスラム研究家として名前が知れ渡る。90年にサルマン・ラシュディの小説「悪魔の詩」の邦訳を担当してからマスコミに登場する回数が一気に増えた。私はこのころ自社配信で彼のインタビュー写真を見つけて、彼の活躍ぶりを知った。

 91年7月12日の朝、社内放送が「筑波大助教授の五十嵐一さんが大学の研究棟内で血まみれで倒れているのが見つかりました」と報じた。他殺であった。「何者だい?」というデスクに「『悪魔の詩』を訳した人です」と告げ、前年のインタビュー写真があることも伝えた。夕刊用の出稿の手配をしながら「五十嵐が死んだなんて、、」と信じられない思いだった。享年44歳、学者としてさらに飛躍が期待される段階での非業の死であった。

 40年ぶりに再会した旧友と「五十嵐が生きていたら、現今の世界情勢、とりわけイラクやイランなどイスラム圏の動きをどう見て、どう解説するだろうか、聞いてみたいものだね」と話した。それが無い物ねだりであることはいうまでもない。「死んじゃったらおしまいなんだよなー」と彼の無念に思いをはせ、グラスのウイスキーを飲み干した。

 事件は7月11日に15年の時効を迎える。反イスラム的とされる「悪魔の詩」を翻訳したことで“処刑”されたという説が強い。犯人が海外にいるなら時効は停止されるが、犯人の特定に結び付くものは少ない。
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