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縁の下のバイオリン弾き
116 レイルウェイマン
2015年8月1日
西村 万里 西村 万里 [にしむら・まさと]

1948年東京生まれ。大学で中国文学を専攻したあと香港に6年半くらし、そのあとはアメリカに住んでいる。2012年に27年間日本語を教えたカリフォルニア大学サンディエゴ校を退職。趣味はアイルランドの民族音楽 (ヴァイオリンをひく)と水彩画を描くこと。妻のリンダと旅行するのが最大のよろこび。
▲ 真田広之
最近「レイルウェイマン」(2013)という映画を見た。映画館でではなく、テレビの映画専門チャンネルで見た。アメリカの劇場では長続きしなかったから見たいと思っていたのに見逃してしまったのだ。


第2次世界大戦中に日本軍が捕虜を使って強制的に作ったタイービルマ間のいわゆる「泰緬鉄道」(たいめんてつどう)の話だ。泰はタイ、緬はビルマ(現在のミャンマー)をさす。

主人公のエリック・ローマックスはスコットランド出身の鉄道が大好きな20歳の若者だ。題名のレイルウェイマンは鉄道マニアという意味。

かれは軍隊で訓練を受けてラジオ連絡の専門家になり、シンガポールに出征する。当時シンガポールは英国の植民地だった。

ところがすぐにシンガポールが日本軍の攻撃によって陥落してしまう。大英帝国始まって以来の負けいくさだ。捕虜(ほりょ)になったエリックはタイ側のカンチャナブリというところで鉄道建設に従事させられ、苛酷な取り扱いを受ける。

彼が中心となって密かに作ったラジオが日本軍に発見されたことから毎日取り調べを受けるようになり、ごうもんが始まる。

肋骨を何本も折られ、両手首の骨を砕かれ、40度を越す炎天下に放置され、食料もほとんど与えられない。イラク戦争で米軍がイラク人捕虜におこなったとされる悪名高い水責め(ウォーターボーディング)で死の寸前まで痛めつけられる。

日本軍が知りたいのはこのラジオでだれと連絡をとったかということだが、そのラジオは受信機のみで送信はできない。それにもかかわらず尋問は何日もえんえんと続き、執拗に質問をたたみかける通訳の声がエリックの記憶に焼きつく。

連合軍によってからくも解放された時は彼の仲間の大半はなくなっていた。戦後イギリスに帰ったエリックは今でいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、しかもだれにもそれを理解してもらえないので50年の間沈黙を守り通す。彼の心の中で憎しみは言葉が通じた通訳に集中し、彼を殺すことを思い描くのがただ一つの救いだった。

エリックは汽車の中で偶然であったパティという女性と恋に落ち結婚する。パティはなんとか彼の苦しみを軽くしたいと努力するがどうしても彼の心の奧底に達することができない。

ところが彼を苦しめた通訳が生き延びていることが判明する。この永瀬隆という通訳は戦後罪悪感からタイで戦死者の慰霊のために私財を傾けて寺を作り、現地の人々との和解のために125回もタイを訪れているという。

パティは永瀬に手紙を書く。その結果エリックと永瀬は1993年に再会し、和解し、死ぬまで親友となるのである。

このありえないような話が実話なんだそうだ。私はエリックによる自叙伝「レイルウェイマン」を読んだ。そしてぼうぜんとしてしまった。話の大筋は同じだけれど、映画は原作をおおはばに脚色している。ほとんど別の話といっていいほど違う。

実話の映画化というのはこんなものなのだろうか。映画にするからにはドラマとして効果的でなければならないからここかしこ手を加えなければならないのは理解できるにしても、タイトルに「実話にもとづく」とうたっている映画がここまで自由に脚色されていいものだろうか。

またごうもんの場面は映画よりも本のほうがもっとくわしく、もっと苛酷だ。日本人として目をおおいたくなる。通訳の永瀬さんが戦後罪悪感にとらわれたのも無理はない。

映画にはでてこないけれど、エリックはこの鉄道建設キャンプにいたら死ぬことが確実だと思い、「目玉焼き」で私がふれたシンガポールの捕虜収容所、地獄のチャンギ刑務所(そこのほうがまだしも生きるチャンスがあった)に移送される事を目的として自分からはしごを踏みはずすという命がけの行為にでている。骨折していて動くこともままならないのに、だ。


エリックをコリン・ファースが演じ、パティはニコール・キッドマンが演じている。映画では当然のことながらエリックに重点が置かれているが、実際はパティがいなければこの話はなりたたないぐらい彼女の存在は重要だった。

永瀬を演じるのは真田広之だ。クリント・イーストウッドが監督作「硫黄島からの手紙」で主役を演じた渡辺謙を賞賛して「グレート・ケン・ワタナベ」と呼んでいるが、この映画の真田も「グレート」と呼びたい重厚な演技を見せている。


50年にわたるエリックの苦しみをあらわす手段がないものだから、映画ではファースと真田を対決させ、エリックに恨(うら)みつらみをのべさせている。それがクライマックスだ。しかし二人の再会は“Enemy, My Friend?” という別のドキュメンタリー映画になっていて、それを見るとエリックはなにひとつ恨みの言葉を発していない。そしてそのほうが彼の人格をよくあらわしていると思う。


この映画や原作についての批評をインターネットでたくさん読んだ。その中に「日本人がアジアで犯した罪は許されるものではない。でも何世紀にもわたってアジア人にひどい仕打ちをしてきた英国人にそれをいわれたくない」というものがあった。

これが私にはとくに興味深かった。この人の言っていることは事実としては正しい。たしかに英国は帝国主義の権化としてアジアやアフリカで悪行をかさねた。

たとえば英国は18世紀から19世紀にかけて世界最大の麻薬の売人(ばいにん)だった。誰に売ったかといえば中国だ。

英国は中国の茶にいれあげて大量にそれを買った。中国は地大物博(土地が広くてなんでもある)とみずからいうとおりで英国から買うものはなにもない。しかたなく英国は銀で代金をはらっていたが、そのためにひどい赤字になった。その貿易不均衡をなんとかするために考え出されたのが麻薬だ。

インドで栽培されたアヘンを中国に密輸した(中国はもともと麻薬の輸入を禁じていた)。中国人の大半がアヘン中毒になった。それで当時の清朝政府はウォー・オン・ドラッグスに乗り出し、当時湖広総督だった林則徐(りん・そくじょ)に全権をあたえて取り締まりにあたらせた。林は広州に英国をはじめとする全外国貿易商をあつめてアヘンを没収し、これを廃棄処分してしまった。以後麻薬を密輸したら死刑、と宣告した。

英国は「自由貿易をまもる」ということを口実に、わずか9票(!)の差で中国に戦争をしかけることを国会で議決した。これだけ反対が多かったのは英国の中にもこの戦争は「正しくない」と感じていた人々が多数いたことを物語っている。

これがアヘン戦争だ。1842年のことだった。結果は英国の勝利におわった。中国は多額の賠償金(ばいしょうきん)を払わされ、香港を英国にゆずりわたした。香港が中国に返還されたのは150年あまり後の1997年だった。

1970年代に私は香港で何年も暮らしたからこの事情はよく知っている。アヘンを吸おうと思ったことはなかったけれど、もしそうしようと思えば当時でも簡単に入手できただろう。中国でアヘンが根絶されるには1949年の中華人民共和国の成立まで待たなければならなかった。


アヘン戦争と同じ頃、インドではチャールズ・ネイピアー将軍がシンド州(現在はパキスタン領)で英国の統治に反抗するモスレムの土豪たちと戦い、激戦の末反乱を平定した。この時ネイピアーは陸軍上層部に “Peccavi.”とだけ書いた報告を送った。これはラテン語で、英語に訳すると“I have sinned.”つまり「私は罪を犯した」という意味になる。しかし実は“I have Sindh.”つまり「シンドを手に入れた」と同じ発音のかけことばなのだ。要するにシンド攻略には成功したが、そのためにぼう大な数の敵味方の将兵を犠牲にしなければならなかった、自分の手は血ぬられている、という反省をこめた報告だった。

このできすぎた話は実話ではなく伝説にすぎない、というのがほんとうのようだけれど、ネイピアーがそう書いたということが長い間信じられていた。こういう話ができるためにはそれ相応の事実がなければならない。英国がインドを征服するためにいかにたくさんの血を流したかがうかがわれよう。

こういう前科がある英国に日本を責める資格があるのか、というのがインターネット上の批評だった。

しかし私はそういう喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)みたいな、あるいは悪事のひきわけみたいな論理は成り立たないと思う。

ある事件は独立した個別の事例として考えられなければならない。「あいつがやったからおれもやったのだ」というのではいつまでたっても憎悪の連鎖はおわらない。

他人にはとうてい理解できないような苦痛を体験して、かるがるしく許しを口にすることはできないと思うが、エリック・ローマックスさんは「憎しみはいつか終わらねばならない」と書いている。

第二次世界大戦での日本軍による捕虜の扱いはどう考えてもひどい。そもそも日本はジュネーヴ条約の捕虜の待遇に関する協定にサインしていないから国際的な規則にしたがう必要がなかった。協定にサインしなかった理由というのが「日本の軍人は捕虜という屈辱をこうむるよりは死を選ぶ」から相手方に捕虜を大切にあつかってくれと要望する必要がなかった、というものだ。むちゃくちゃな話だけれど、自軍のことならばともかく、その考えを敵軍の捕虜にまでおよぼして人権無視の虐待をしたのだからいいわけの余地がない。

国民を守るのが軍隊の役目であるはずだ。ところが当時の日本政府はその国民を守るための軍隊を死地に追いやってかえりみなかった。特攻隊とかバンザイ突撃とかはそういう精神風土から生まれたものだ。一人でも兵士を温存するのが国家のためだとは思わなかったらしい。沖縄では軍隊行動の邪魔になるからといって市民に集団自決を強要した。まるで話が逆だ。



鉄道建設の一番の被害者はタイやビルマをはじめとするアジアの現地の人々だっただろう。しかしだれもその歴史を書かなかったから、本も出版されず、映画もできなかった。

人生を台無しにされた経験とそこから立ち直る行程をローマックスさんが赤裸々に書いてくれたおかげで我々はわずかながらもその苦しみから学ぶことができる。

ローマックスさんに再会した永瀬さんは「これでやすらかに死ねます」と言っている。二人は2011年と2012年に90歳をこえてあいついでなくなった。



追記)映画はイギリス・オーストラリア合作でハリウッド映画ではありません。日本では「レイルウェイー運命の旅路」という題で2014年4月に公開されました。原作の本は日本語になっています。絶版になっていたのが、映画のおかげで再刊されたようです。

本文に書いたように、「レイルウェイマン」というのは鉄道マニアのことですが、エリックがタイで鉄道建設に従事したことももちろん意味しています。また汽車の中で生涯の伴侶となるパティに会ったように、彼の人生をつうじて鉄道がはかりしれない大きな影響を与えたことも指していると思います。
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