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141 カタロニア讃歌 (Homage to Catalonia)
2014年7月20日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
5月末に母が91歳で眠るよう他界しました。看取ってくれた医師の診断書にも死因は老衰と書かれていましたので、まあ大往生だったと思います。これで妻と私の両親4人全員の送りが済みました。4人の中で最後になった母の葬儀を終えた私の実感は、「順番を違えずに済んでよかったなあ」ということと、「次は自分が送ってもらう番だなあ」というものでした。これは本当にしみじみと感じた実感でした。

近親者による密葬と、その後のお別れ会を済ませて、ちょっと落ち着いた先日、本棚にあった「カタロニア讃歌」という本がふと目に入りました。学生時代に読んだもので、もうあれから40年以上経ってしまいました。母の死とまったく関係ない内容の本なのですが、不思議なことにパラパラっと読みたくなってしまったのです。自分でもよく理解できない、まったく非論理的な衝動に突き動かされるようにして、この本を一晩読みふけったものですから、しばらく書き込みができなかったお詫びをかねて、今回はちょっとこの本について書かせていただきます。

ひと頃、ヨーロッパへ業務上かなり足繁く通ってきた私が、行きたいけれどもまだ一度も足を踏み入れていない国の筆頭がスペインです。仕事の相手先がスペインには居なかったことが主な理由ではあるのですが、隣国までは行っても、スペインにはなぜか気が重くて、まだ一度も行ったことがありません。

ところでスペインについて、あなたはどんなイメージをお持ちですか? 闘牛、フラメンコ、プラド美術館、パエリャ、コスタ・デル・ソル、アル・ハンブラ・・・。明るい太陽のイメージを中心にした、たくさんのイメージが浮かんでくることでしょう。

私も、こうしたスペインの明るいイメージに異議を唱えるつもりはないのですが、私の場合は、どうしてもこの国が持つ暗部にも、こだわらずにはおられないのです。そして、その暗部は私にとって大きく分けて2つに分類できるのです。分け方はいたって単純で、スペインが中世からひきずってきた暗さや奇怪さと、20世紀の前半におこった市民戦争(共和国政府とフランコを中心とする右派軍部との戦い)を起源とする暗く重い歴史、の2つです。

最初の中世以来の暗部につきましては、たとえばサルバトゥール・ダリの奇怪とも思えるアートや、アントニオ・ガウディの建築が象徴しているような不気味さ、と私には思える暗さです。これは、ダリやガウディという天才達が突然作り出したものではなく、この国の文化の、ということはつまりこの国のキリスト教文化の奥に潜んでいる暗黒の部分を反映したもの、と私は考えています。これについては、また別の機会に語ることにして、ここでは主に2番目の市民戦争についておしゃべりをすることにいたします。

この戦争は、1936年(昭和11年)2月に国会選挙で、人民戦線派が勝利し、従来の王政、教会、地主、特権層を中心とする支配制度に<ノー>を突きつけたところから端を発しています。その5ヶ月後、フランコを中心とする軍部がモロッコで反乱を開始し、旧支配勢力の強い支援のもと、またたく間に本土に上陸し、以後1939年(昭和14年)3月にフランコ軍がマドリッドに入るまでの間、1年8ヶ月ほどの間、ほぼスペイン全土で戦われた共和国政府=人民戦線派とファシスト軍部との戦争です。軍部には、ナチス・ドイツとムッソリーニのイタリアが堂々と支援の手をさしのべ、一方の共和国政府には、コミンテルンをベースにしたソ連が支援の中心になりながらも、ヨーロッパ各国やアメリカから、様々な党派の人々が個人の資格で国際義勇軍に入って、ファシズムとの戦いに参加しました。

これは単なる内戦のレベルをこえた、戦争と考えるべきものであったと私は思っています。結局、ちょうどかつてのチリのアジェンデ政権のように、選挙で合法的に勝利した人民戦線派が、武力にものを言わせた、旧支配勢力と軍部によって打ち破られ、ファシズムの勝利となってしまったわけです。その過程とその後に行われた、狂気の弾圧と悲劇。気が重くなりますが、実態から目をそむけてはならないと思います。

あれからすでに75年以上が経ちました。当時5歳だった子供も、すでに80歳余。もう戦争の傷跡もほとんど残っていないのかな、と思っていましたら、とんでもない。まだまだスペイン社会の奥底には、この時のシコリははっきりと残っているようです。もっとも、スペインには行きたくとも、気が重くてまだ行けない私のことですから、このあたりの情報は、多くの紀行文や、小説(主に逢坂剛さんのもの)から読みとったものなのですが。

ところで標記の<カタロニア讃歌>とは、この戦争に人民戦線派として参加した、イギリス人作家、ジョージ・オーウェル (George Orwell 1903-1950) が書いた体験記のタイトルなのです。ジョージ・オーウェルと言えば、<アニマル・ファーム>や、<1984>などという小説で、全体主義社会の悪夢を描いた小説家として名を残していますが、この人も参戦したのです。結局彼は戦いで負傷して、イギリスに帰ったのですが、彼の命を賭けた参戦体験は、単なる反ファシズム人民戦線万歳といった皮相なものではなく、人民戦線内部でいかに無駄な戦いが行われ、公式主義、権威主義、官僚主義やスターリン主義が、いかに恐るべきものであったかを鋭く指摘しています。

ゲルニカ、パブロ・カザルス、ガルシア・ロルカ、・・・、いずれもこの戦争に深く関わっている名前です。ゲルニカは、ナチス・ドイツ軍の爆撃を受けて壊滅した町の名で、パブロ・ピカソが抗議の気持を込めて描いた絵画の名前でもあります。カザルスは、共和国政府を支持して、フランコ政権の存続中は、ついに一度もスペインに戻らなかった世界的なチェロ奏者です。自身で作曲した<鳥の歌>の演奏で特に有名ですね。そして、ガルシア・ロルカは、フランコ軍によって38歳で、グラナダで銃殺処刑された共和派の詩人、劇作家です。私は学生時代からこの詩人が好きだったのですが、近年いろいろな場でよく取り上げられるようになってきて、とてもうれしく思っております。

オーウェルの<カタロニア讃歌>を読んだのは、たしか大学の2年生の頃でした。その頃、英語の授業で同じオーウェルの<1984>を読まされていた記憶があります。標記の本を最初に読んだ時の感想は、凶暴なファシズムと戦っている時に、どうして人民戦線派の内部で、そんな無駄な争いをしていたのだろうか。もう少し妥協、協力をすれば戦況は変わったかもしれないのに、というものでした。当時はベトナム戦争の最中で、ソ連もまだ健在でした。スターリン主義の恐ろしさは、その当時も様々な指摘が行われていたのはたしかですが、ソ連邦崩壊後に表に出てきたほど、ソ連社会の骨の髄までが、それに汚染されていたとは思っていませんでした。

オーウェルのこの本の最後はとても印象的でした。それは、彼が負傷して1938年(昭和13年)にイギリスに帰国した時の印象です。

「どこかで何かが本当に起こっているなどとは、信じがたい。日本に地震? 中国に飢饉? メキシコの革命? かまうものか、ミルクは明日の朝も玄関にあるだろう。・・・・ のどかなロンドン郊外の広野、泥深い川を行くはしけ、見慣れた市街、クリケットの試合や王室の結婚を伝えるポスター、山高帽の男達、トラファルガー広場の鳩、赤い色をした乗り合いバス、水色の警官達、すべてが深い深いイギリスの眠りをむさぼっていた。爆弾の轟音にたたき起こされるまで、ついにこの眠りから醒めないのではないかと、私は時おり不安に思うのである。」

そして、彼の不安は的中し、この後何年も経ずして、ロンドンはナチス・ドイツの爆撃に苦しめられることになったのでした。

1930年代のヨーロッパの心ある人達にとって、スペイン戦争が持った意味について、ここに象徴的な一文があります。それは次のようなものです。

「取り乱し品位を下げた30年代のヨーロッパでは、息をするのも苦しかった。ファシズムは攻勢に出ていた。誰はばかることなく攻勢に出ていた。どの国も、いやどの人間も、自分だけ助かろう、どんな値を払っても助かろうと、じっと押し黙って、なんとか我が身を救おうと考えていた。小心翼々の時代。ところがここに挑戦を受けて立つ民族が現れたのだ。この民族は自己を救えなかったし、またヨーロッパも救えなかったけれども、私の世代の人々にとって『人間の尊厳』という言葉に意味が残っているとすれば、それはスペインのおかげだ」

戦いに敗れ、自らも傷ついて帰国したオーウェルが、自らの負け戦の記録を<讃歌>と名付けたのも、この人間の尊厳を守ることに参加した多くの無名の人々への讃歌だったのかも知れませんね。いずれは私も、この国スペインへ出かけてみようと思います。そしてできれば、共和派の記念碑を探して、花束でも供えることができたらいいな、と思っています。

最後になりますが、ジョージ・オーウェルとはペンネームで、本名は、エーリック・アーサー・ブレアー (Eric Arthur Blair) と言います。ちなみにブレアーというファミリーネームは、あのトニー・ブレアー (Tony Blair) 元首相と同じ名前ですね。

ジョージ・オーウェルの方のブレアーさんは、インドで生まれ、植民地警察に勤めた経歴があります。その植民地主義、帝国主義や収奪の実態に対する反省と嫌悪から、彼の社会正義感はスタートしていたのだと思います。もう少し生きて著作を残したら、どんなものができていたでしょうか? 結核による47歳での早世は残念でした。あらためて冥福を祈ります。
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