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142 松方コレクションと国立西洋美術館
2014年8月14日
齋藤 恵 齋藤 恵 [さいとう・さとし]

1948年埼玉県生まれ、1970年に大学卒業後、時計メーカーの輸出部門に就職。8年間の勤務の後、宮仕えには向かない自身の性格を認識して、父の経営していた小売店 (創業1912年 = 大正元年)に転身しました。歴史、風土、絵画、言語等に関心が強く、駄文ながら文章を書くことがストレス発散の手段のひとつになっています。ささやかながら、会社を経営するというのはそれなりにたいへんです。ここに書かせていただくことは、そうしたストレスの大いなる発散のためですので、お読みになる方もどうぞお気軽に。
▲ アルルの寝室(ゴッホ)
▲ アルジェ風のパリの女達(ルノワール)
▲ 舟遊び(モネ)
今から8年ほど前の2006年7月、私のコラムの37番に、「返却されなかった名画 <アルルの寝室>」と題して、松方コレクションについて書かせていただいたことがあったのですが、それを最近ちょっと書き直したものですから、再度このテーマについておしゃべりさせていただきます。

JR上野駅の公園口を出ると、すぐ目の前に東京文化会館があります。ご存じのように本格的な音楽の殿堂として、今から53年前の1961年(昭和36年)にオープンしたコンサートホールです。そして上野駅公園口から見て、その右手奥の方にあるのが、国立西洋美術館です。ここは東京文化会館が開館する2年前、1959年(昭和34年)6月から一般公開が始まった、現在でも日本を代表する美術館のひとつです。

国立西洋美術館は、館長さんが公式カタログに書いておられましたが、「欧米の大規模な美術館と比較することはできませんが、中規模美術館としては西洋美術の流れをきちんとたどることのできる優れたコレクションを有していると館員一同考えています。」という通り、私もアジアでは出色の、すばらしい内容を持った美術館だと思います。

絵が好きな私はこの美術館には何度も出かけているのですが、当初ここには「松方コレクション」という、昔の日本の富豪が集めた美術品がある、というふうに理解していたのですが、何度も出かけているうちに、だんだんと事情がわかってきました。実は私の当初の理解は主客転倒でして、国立西洋美術館は、「松方コレクション」があったおかげで誕生した美術館だったのです。その顛末を調べてみましたら、これがなかなか面白いのです。あらすじはこうです。

時は第1次大戦後の大正期、1920年(大正9年)前後のことです。明治の元勲、松方正義(薩摩藩出身)の3男の松方幸次郎は、当時、第1次大戦前後の造船ブームで莫大な利益を上げていた川崎造船所の社長でした。もともと美術愛好家というわけではなかったのですが、船材の買い付けに渡欧した大正5年頃、気まぐれに買い始めたのが、いつの間にか、国家に代わって美術館を作るという構想にまで発展していきました。

豪壮な買いっぷりで知られ、第1次大戦後の経済苦境の中にあったヨーロッパで、千載一遇のタイミングに恵まれ、ほぼ10年間で、当時の金額で約3千万円、現在の額に換算すると、何百億円というお金を投じて、一大コレクションを作ったのでした。「私に絵なんか判りはしません」という姿勢に徹して、美術品の購入に際しては、美術史家や何人かの優秀な若手協力者の助言に耳を傾けました。結果的にこれがコレクションの水準を大いに高めたと思います。と、まあここまでが第1段階です。

続いて第2段階ですが、1927年(昭和2年)の金融恐慌で、さしもの川崎造船所の経営も破綻し、松方は私財をなげうって負債整理にあたりました。買い付けた絵画だけでも千点以上といわれた大コレクションも売り立てられて散逸することになりましたが、運命とはわからないものでして、ここから話は第3段階に入ります。

実は松方はヨーロッパで買い付けた美術品をすべて日本に持ち込んでいたわけではなかったのです。収集最中の1924年(大正13年)に、日本では奢侈関税(政府が贅沢品と判断した物品に対する関税)が引き上げられ、美術品などは、買値の10割の関税が課されることになりました。つまり買値と同額の輸入関税を払わなければならなくなったのです。

国家に代わって自分が美術館を建てるのだという気概を持っていた松方は、これにたいそう憤慨し、購入した多くの美術品をパリとロンドンにまとめて保管させました。一部は日本の港に着いてすぐ、そのまま欧州に送り返したものもあったようです。結果的に、日本に持ち込んだものの方が少なかったのです。

このあと第2次大戦が終結するまで20年間以上、この一大コレクションは世の中から完全に消えました。松方が日本に持ち込んだ一部のものは、負債整理のために売り立てられて散逸しました。そして、ロンドンに保管されていたものは、残念ながら、1939年(昭和14年)に倉庫の火災で焼失しました。(戦災ではなくて火災事故でした。)かろうじて、パリに保管されていたものだけが、大戦とナチスドイツの追求をかわして数奇な運命を経ながらも、まとまって生き残ったのです。

ということで、松方が購入した何千点かにのぼる美術品のうち、パリに保管されていた一部だけが、経済恐慌や戦争を生き抜き、現在に至っているという次第なのですが、そのプロセスを見ると、まるでドラマのようです。よくぞ、散逸、強奪、焼失、没収等を免れたものだと幸運に感謝したくなります。でもそこには、日置三郎という当時パリ在住の日本人の献身的な努力があったのですが、長くなり過ぎますので、そのお話はここでは省きます。

そして第4段階は戦後のことになります。松方コレクションは、敵国財産としてフランス政府に差し押さえられ、日置も戦後フランスで亡くなりました。戦争中フランスに居て、ナチスドイツという強盗殺戮集団から、まさに命をかけてコレクションを守った日置には、なんとも無念なことであったと思います。1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約によって、すでにフランス政府の管理下にあった松方コレクションは、正式にフランスの国有財産となってしまったのです。

でも当時の吉田茂首相はこの時点ですでに、フランス政府に対して所有権は日本人にあり、それは日本がフランスから返還してもらうべき筋合いのものであることを、正式に申し入れていました。

以来、8年間にわたり日本とフランスの間で様々な交渉が行われましたが、渋るフランスは簡単には同意しませんでした。多分、東西冷戦の存在も交渉が日本側に有利になった一因であったと思いますが、フランス政府も、やっと、渋々コレクションの返還に応じることになりました。1959年(昭和34年)のことでした。ただし、厳しい条件が3つ付けられました。

1)これらの美術品を収蔵し、展示公開する組織として、国立の美術館を新たに作ること。(実はフランス側のこの要求が、国立西洋美術館ができた理由なのです!) そしてその新美術館建築の設計監理を、フランス人にやらせること。(ということで、フランス人建築家、ル・コルビュジエが登場したのです!)

2)サンフランシスコ講和条約にもとづく敵国財産として、フランスの国有財産となったものなので、「返還」ではなくて、フランス政府から日本国民への「寄贈」であることを明確にすること。

3)ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、クールベ、マネ、ロートレック、ピカソ等の作品17点は、どうしても国外流出は避けたい作品なので、「寄贈」対象から除外すること。

とまあ、こういう次第でした。当時の世界情勢から見て、このあたりが日本としては妥協点だったのでしょうね、きっと。ちなみにこの「寄贈」を決断したのは、当時のド・ゴール大統領で、大統領による行政命令という形をとったのだそうです。フランスがその時返さなかった絵の代表格が、上段の写真、ゴッホの「アルルの寝室」です。現在、パリのオルセー美術館に主要作品のひとつとして展示されています。

国立西洋美術館の館長さんがこんなふうに書いておられました。「日本側は松方幸次郎が所有していた美術品の『返還』と認識していましたが、フランス側は『寄贈』であるという考えを変えることはありませんでした。ですから、一般には『寄贈返還』という言葉を使うのです。」

「寄贈返還」ですって! なんとも難しいというか、あいまいな表現ですが、こういうことが国際社会の力のバランスの中ではあるものなのですね。

中段と下段の写真は、左から「アルジェ風のパリの女たち(ルノワール)」、「舟遊び(モネ)」です。2枚共この「寄贈返還」の対象となった作品です。過日しばらくぶりにこの美術館を訪れて、私はこの2枚の絵の前でしばらく立ちつくしてしまいました。そして、フランスはよくぞ、この2枚も「寄贈!」してくれたものだと、あらためて感慨を深くしました。とくにルノワールの作品は、フランス側としては、つらい判断であったことでしょうが、日本にとってはたいへん幸運なことでした。

オープン時の国立西洋美術館の絵画の約3分の2、彫刻に至っては、4分の3が松方コレクションで占められていました。まさに国立西洋美術館は、松方コレクションのおかげでできた美術館だったのです。松方自身は、1950年(昭和25年)に85才で世を去りましたので、もちろん美術館のことは知らなかったわけですが、自身のコレクションのことは生前ほとんど口にしなかったと言います。

実は私が今最も強い興味を持っていることは、松方の意を受けて、フランスでコレクションを守り抜いた、日置三郎という人物のことです。「困ったときには絵を売って費用に充ててもよい」という約束で、松方から管理を託されました。ドイツ軍のパリ進攻寸前に全作品をパリから70キロほど離れた、小さな村に命がけで隠したり、フランス人と結婚して、パリの日本大使館の海軍駐在武官の職を辞したり、戦後もまったく沈黙を守ったままだったり、なかなか興味をそそられる人物です。そのうち、この人について調べてみたいと思っております。とりあえず、今日のところはこれくらいにしますが、長い話におつき合いくださって、どうもありがとうございました。

それにしても、戦前の日本において、すべての国民に過酷な犠牲を強いたあげく、強制的に供出させた金属類まで使って作った兵器類は、人を殺傷する目的で使われ、あげくの果てには、すべて海の藻屑かゴミになってしまいましたが、奢侈品の輸入など非国民のすることだとばかりの扱いを受けた美術品は、日本だけでなく人類の宝として今でも輝いています。何が大切か、よくよく考えなければならないことはたくさんありそうですね。

国立西洋美術館は、上野駅からすぐ近くです。たまにはいかがですか、戦前の日本に居た、文化的強者(つわもの)達の夢に思いを馳せながら。

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